地酒祭り

「酒んで温泉入りに行くぞコノハ」

 とある金曜日の昼頃、陽ノ目ひのめそうにやってきたナガレがいきなりそう言ってきた。

「は?」

 思わず素の声が出た。

「平日の昼間に何を言ってるんだお前は?」

「実は、俺ひさびさに半休が取れてな」

 ナガレは拳を握り締めながら言った。

 拳がプルプルと震えてる……たぶん、本当に久しぶりの休みなのだろう。

「っと! いうわけで、ちょうど温泉地で地酒祭りがやってるから行こうぜ!」

「いや、テンション上がってるのは分かったけど、ボクはこれから夕飯の買い物行かないとだから」

「平気だって! 夕飯までには帰れるように日帰りにするから!」

「いや、だから買い物」

「ンなもん向こうで買えばいいって! なんなら土産も買ってきゃ娘ちゃんも喜ぶだろ」

「いや、何の連絡もなしに勝手にいなくなるわけには」

「メールしときゃいいだろそんなの」

「あれー? ナガレさんじゃん。どったの?」

「おーツヅラさん! これからコノハと地酒祭り行って温泉入るんだけど、ツヅラさんもどう?」

「そんな……原稿終わった直後のあたしに酒と温泉とか、行くに決まってんじゃーん!」

「よっしゃ! じゃあ三人で行こうぜ!」

「おー!」

「いや、あの」

「コノハ、観念しろ」

「管理人さんも行こ行こー!」

「あのちょっと」


 というわけで――。


 ナガレと二ノ木にのぎさんに無理やりタクシーに詰め込まれ、くだんの地酒祭りの会場までやってきた。

「よし、着いたぞーコノハー」

「久しぶりにお前のあり得ん行動力を痛感した」

 そしてそれに巻き込まれる僕。

 学生時代と何も変わってない。

「やれやれ」

 件の地酒祭りの会場は、地元の温泉旅館組合の一階のようだ。

「ていうか、駅から近いじゃないか。これなら電車で来てもよかったんじゃないか?」

「このあと温泉も行くし、タクシーのがいいだろ」

「まあ、タクシー代はナガレ持ちだから別にいいけど」

「よっしゃ、それじゃあ早速飲み比べてくらぁー!」

「くらぁー!」

 ナガレと二ノ木さんは腕を突き上げ、会場へ突撃していく。

 スゴいはしゃぎっぷりだ。

 まあ、せっかく来たんだから僕も楽しむか。

 僕も会場に入り、軽く歩いてみる。

 さすが地酒祭りとめい打ってあるだけあって、たくさんのお酒が並んでいる。

「ふむふむ」

 会場に貼ってあったポスターで詳細を確認すると、栃木中の蔵元が持ち寄ったお酒が、どれでも一杯百円で飲むことができるらしい。

 娘がいるので家ではあまり呑まないが、お酒はまぁまぁ呑む方だと思う。

 呑む時は外で、大体は同僚や作家さん、あるいはナガレとお店で呑んでいた。

 そういう意味で言うと、こうしてひとりでお酒を選んで呑むのは珍しいかもしれない。

 というか、昼から呑むこと自体が滅多にないんだけど。

 今日ばかりはそんな野暮やぼなことは言いっこなしだ。

「どーぞ、兄さん呑んでってよ」

「はい。どうも」

 僕はお金を払い、目についたお酒をいただいていく。

 よくよく考えてみれば、お酒を飲める歳になった頃には上京していたので、地元のお酒にはあまり詳しくない。

 いい機会だし、ここで好みの銘柄を2、3見繕みつくろっていくとしよう。

 それにしてもどれも美味しい。

 これは2、3じゃ足りないかもしれないな。

 さすがに祭りと銘打っているだけはある。

「お兄さんみたいに若い人にもたくさん呑んで、お酒好きになってもらわないとねー」

「あ、いや、僕もそんな若いわけでも……」

 童顔のせいで若者と思われつつも、僕は栃木の銘酒を楽しみながら会場を回っていた……のだが。

「にゃはははー、おじさんこれ美味しー」

 会場のどこにいても聞こえてくる二ノ木さんの声が、段々と気になってきた。

 時間が経つごとに笑い声のテンションが上がってる。

 たまにナガレの声も聞こえるが、そっちはあんまり心配してない。

 あれでわりと自制心はある奴だ。

 けど……二ノ木さんはなぁ……。

 陽ノ目荘での振る舞いをいつも見てるので、正直気が気でない。

 特にこんな美味しいお酒がたくさんある場所じゃ。

「ヘーイ! コノハっちー!」

「のわっ!」

 あれこれ考えていたら、当の本人が急にやってきた。

 後ろから首に手を回してきて、思いっきり背中に体重を預けてくる。

「ねぇー、楽しんでるー?」

「あ、はい。ていうか、飲み過ぎですよ二ノ木さん」

「なぁーに言ってんのよー。こんなとこまで来て、呑まなきゃ損でしょ呑まなきゃー」

「いや、まぁそうかもしれないですが……」

 問題は、その、胸が。

 彼女のスゴい胸がスゴい当たってる。

 背中の間で潰れる質量がヤバい。

「おおー、兄さん美人のカノジョさんだね」

「違います」

 変な誤解まで生まれ、ついでに会場内の注目も集めている。

「二ノ木さん、騒ぎすぎですよ。少し声を抑えて」

「なーんか暑くなってきたねー」

 全然話聞いてないこの人。

「コノハっちー、脱いでいい?」

「ダメです!」

「えぇ~~~」

「えぇーって言いながら脱ぎ始めないでください!」

 人前で本当に脱ごうとする二ノ木さんを必死に止める。

 だが彼女は不満顔だ。

「む~! じゃあ温泉行こ!」

「お、温泉ですか?」

「早く脱ぎたいの!」

「脱ぐのが目的!?」

 どんだけ脱ぎたいんだ。

 とはいえここで脱がれるよりはマシだ。

 温泉でなら脱いでも合法だし。

「おーい、コノハー」

「ナガレちょうどいいところに」

「ん?」

「すぐ温泉行くぞ。どうせ目星はつけてあるんだろ」

「ああー、んじゃ行くかー。俺もひと通り楽しんだし」

 というわけで、二ノ木さんが脱いでも大丈夫な場所へ行くため、俺とナガレは再び駅前でタクシーを捕まえに行った。


 カポーン……っ!


「ああ~~~~っ」

「ああ~~~~っ」

 僕とナガレは温泉に浸かりながら、腹の底に溜まった息を吐き出した。

「コノハ、おっさん臭いぞ」

「お前も同じだろ」

「俺のは普段の疲れを吐き出してるだけだからセーフだ」

「普段から疲れてる時点でおっさんなんだと思うぞ」

「そんな悲しいこと言うなよ」

「最初に行ったのはナガレだろ」

「……この話やめるか」

「そうだな。ていうか、気持ちよくてどうでもよくなったきた」

「まったくだ」

 僕らはまた息を吐き出す。

 ああ、温泉っていいな。

「いやぁー、平日の真っ昼間から酒呑んで温泉とか最高だな」

「そういや平日の真っ昼間だったな」

 お酒の所為せいですっかり忘れてた。

 でもまぁ、いいか。

 実際気持ちいいし。

露天ろてん行ってみるか?」

「お、いいな」

 僕らはザパーッと立ち上がり、連れ立って露天風呂の方へ移動する。

「あああーーキモチィーーお酒呑みたーーい」

 露天風呂の男女を区切る柵の向こうから二ノ木さんの声が聞こえてくる。

「ツヅラさんも露天入ってるみたいだな」

「まだ呑み足りないのか……」

「何言ってんだ。温泉出たら三人で呑むぞ」

「お前もまだ呑むのか?」

「温泉入ったら呑みたくなるだろ。チビチビやりゃーいーじゃん」

「帰りタクシーだからって酔い潰れるなよ?」

 僕はいちおう釘を刺しておきつつ、ナガレと一緒に露天風呂に浸かる。

「…………あ~~」

 今度は少し我慢したけど、やっぱり声が出てしまった。

 この湯から出ている肩から上が風でヒンヤリして、体は湯でポカポカしてというのが……たまらん。

「露天風呂もやっぱいいもんだな」

「だなー。これ考えた奴は天才だろ」

 ナガレはパシャッと顔を洗って、前髪をかき上げる。

「で、コノハは今カノジョとかいんの?」

「はぁ?」

 また唐突とうとつだな。

「いや、オヤジに訊いとけって言われてな」

「オジサンが?」

「いい加減、俺もお前もいい歳だしなー」

「あー……そういうことか」

「まっ、お互い浮いた話もないのは事実だけどな」

 ハハハ、とナガレは笑ってみせる。

「まあ、親友の息子ってことで、オヤジも心配してるんだ。気を悪くすんなって」

「悪くなんてするわけないだろ。むしろ、心配かけて申し訳ないと思ってる」

「で、どうなんだ?」

「今さっきお前も言っただろ。浮いた話なんてないよ」

「へぇー、婚活とかは?」

「そんなひまなかった」

「ホントかぁ? じゃあ暇あったら行ってたのか?」

「……いや、たぶん行ってなかったな」

「やっぱりな」

「そういうお前は?」

生憎あいにくと俺は自分を楽しませるので忙しい」

「何だそりゃ?」

「ハハハ、まぁ俺のことは置いとけ」

 そこでふとナガレは僕のことを横目に見る。

「コノハが結婚とか考えないのは、やっぱ娘ちゃんがいるからか?」

「……どうかな?」

 言われて少し考えてみたが、よく分からなかった。

「確かに娘のことを第一に考えて生きてきたから、そういう意味でプライベートはあんまり顧みなかったかもしれないけど」

「けど?」

「別にそれで後悔とかはないから」

「ふーん」

 ナガレは温泉の縁に頬杖をついて軽く頷く。

「てこたぁー、別に結婚自体が嫌ってわけじゃねーんだな?」

「ん? まぁ、そういうことになるか?」

「そっかー」

「何だよその顔?」

「いや、最初に言ったろ? オヤジにけって言われたって」

「言ったな」

「絶対アレだぞ、たぶんこれから見合い写真とかコノハのとこに山程送られてくるぞ」

「あー……え? そういうことになるのか?」

「たぶんだけどな。俺もたまに見合いの話持ってこられるし」

「そ、そうか」

「まっ、俺は大体逃げてるけどな」

 ナガレはまた笑って顔をパシャッとやる。

 コイツはそれでもいいかもしれないが、僕は彼のオヤジさんにはとてもお世話になっている。

 お見合いの話を持ってこられても、無下に断わるわけにはいかない。

 いや……まぁ、見合いをしたから即結婚というわけでも、結婚したくないわけでもないんだけど……うーん。

「どうすっかな……?」

「まー、オヤジなら変な話は持ってこないと思うけどな」

「そうなんだよなぁ。たぶん、スゴい気を遣って相手を選んでくれそうだし、余計に断わるのも申し訳ないというか」

「そしたらアレだろ」

「アレ?」

「今からカノジョ作ればいいじゃん。そしたら見合いとかする必要ねーだろ?」

「……ん? あ、ん? いや、そうだけど」

「今の仕事なら結構時間にも余裕あんだろ? またどっか一緒に遊び行ってよ、ついでにナンパでもするか?」

「お前な……そういうの僕が苦手なの知ってるだろ」

「それじゃ見合いするか?」

「んっ、んー……」

「なら、あの女子寮のたちとかどうなのよ?」

「え?」

「まあほとんど学生だけど、狩野かりやさんはいちおう大学生だし、ツヅラさんはあの美人だろー? 普通にアリだと思うけどな」

「お前……自分が紹介した女子寮の住人を薦めるなよ」

「別に恋愛は自由だろ。ん? これもある意味職場恋愛なのか?」

「いや、違くないか?」

 その後もグダグダと話し続けたが、酒が回ってきた所為か段々と話は脱線していき、最終的にセミの幼虫の話になっていた。

「あー……僕はそろそろあがるけど、ナガレはどうする?」

「あー……俺はもうちょっといるわ」

「そうか……」

「あー……」

「んじゃ、先出るぞ」

「あー……」

「……のぼせんなよ」

 そういう僕も少しヨロヨロとしながら温泉をあがった。

「ふぅ……」

 扇風機の前でしばらく体を冷やしてから着替えて、脱衣所を出る。

 何か飲み物でも買おうかと思い、自販機のある待合所的なところへ向かう。

 すると、そこには先にあがっていたらしい二ノ木さんがいて、無料のマッサージチェアに座っていた。

「あ~~~~」

 スゴいリラックスしてる……。

 それだけならまぁ風呂上がりによくある光景なのだが。

 ばるばるばるばるばるばる

 ……彼女の胸がスゴいことになっている。

 いや、マッサージチェアが震動してるんだから、それは当たり前なのだけど。

 背の高い建物ほど地震の時に揺れるというが……彼女の胸もその法則に則って、非常によく揺れている。

 というか、あれってノーブラなのではなかろうか?

「あの、二ノ木さん?」

「あ~~~コノハっちだぁ~~~~」

 まだ酔いが抜けていないのか、二ノ木さんはだらしない顔で僕の声に反応する。

「どしたの~~~?」

「えー……何か飲み物買ってきますけど、何がいいですか?」

「おしゃけ~~~」

「コーヒー牛乳買ってきます」

 僕はとりあえず二ノ木さんに酔いを覚ましてもらうため、コーヒー牛乳を二本買ってくる。

「二ノ木さん、買ってきましたよ」

「あ~~ありがと~コノハっち~~」

 二ノ木さんはそう言いながら、マッサージチェアから立ち上がる。

 しかし、急に立ち上がったのがよくなかったのか、彼女は立つと同時にフラフラとよろめいてしまった。

「おろろ~」

「危ない!」

 僕は慌てて二ノ木さんに手を伸ばす。

 しかし、スリッパだったのが災いし、手を伸ばすと同時に足を滑らせて転んでしまった。

「痛たた……二ノ木さん大丈夫で……ッ!?」

「んあ~~」

 幸いケガはしなかったようで、二ノ木さんは暢気のんきな声を上げていたが――僕の方はそれどころではない。

 僕の上に倒れ込んだ彼女の服は転んだ拍子に変にはだけていた。

 案の定ノーブラの胸元がギリギリまで捲れ上がり、深い谷間の大半があらわになって僕の視界に飛び込んできている。

 そんな状態の二ノ木さんにのしかかられているのだから、もうヤバい。

「あら~最近の若い人は大胆なのね~」

「なーに、ワシらだって若い時分はあれくらい」

 待合所にいたお爺さんお婆さんが、僕らを見て暢気に昔語りをしている。

 それはいいのだが、変な騒ぎになる前に誰か助けて欲しい。


「ああぁぁぁあ!?」


 ほら、こんなことになる前に……って。

「え? キララ?」

 聞き覚えのある声だと思ったら、そこにいたのは本当にキララだった。

「ふたりともこんなところで何してるんですか!?」

 驚く僕をよそに、キララはこっちへやってきて二ノ木さんを引っ剥がす。

「キララ、どうしてここに?」

「セイラに届いたメールを見て居ても立ってもいられなかったので、シリンさんに頼んでここまで連れてきてもらったんです!」

「え?」

 改めて振り返ると、そこにはセイラとシリンさんも立っていた。

「……」

 先程の僕と二ノ木さんの有り様を見ていたのか、シリンさんは若干よそよそしい態度でそっぽを向いている。

 一方、セイラはジトッとした目で僕を睨んできて。

「パパサイテー」

「うぐっ!」

 そのひと言はかなり胸にグサッと来た。

「おー、何だー? 娘ちゃんたちも結局来たのか」

 と、そこへ温泉からあがったナガレが現れる。

「ちょうどいいや。寮のみんな来ちゃったんなら、今日はもうここに一泊してこうぜ」

「なっ!?」


 というわけで、急遽きゅうきょ僕らはこの温泉宿で一泊していくことになったのであった。

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