第35話:冬にしかいない虫がいるだろ
白。
一面の白。
何物にも乱されていない、白銀の世界。
昨夜降り積もったばかりであろう新雪が、ときおり吹く冷風に巻き上げられて宙を舞う。
凍てつく白銀の大地に、俺は立っていた。
*
「スキー合宿行こうぜ!」
大学三回生のある冬の日、部室で筋トレをしていた俺ことクロシマは飛び込んできた馬鹿に驚いてその手を止めた。
「来るなり何を言い出すんだお前」
馬鹿ことハチ屋のスガルはこのクソ寒い中走ってきたのか、息を荒げて頬を赤らめたまま言葉を繰り返した。
「スキー合宿! ツアーだと結構安いらしいし、行こうぜ!」
スキー合宿? なぜ唐突にそんなことを?
「スキーって、急にどしたのスガルン。スキーとかするんだっけ?」
ガの標本を整理しながらにやにやしていたマユが首をかしげる。
「いや、したことはない!」
「はぁ?」
なにいってんだこいつ。俺とマユは顔を合わせて困惑する。
「まあ聞けよマユにクロシマ。確かに私はスキーなんてしたことないが、スキーをするかどうかは些細な問題なのだ」
「スキー合宿って言ってるんだからそこは些細な問題じゃないだろ」
「聞けって。スキーをする場所ってのは当然雪が積もっているわけだ。すると――」
「雪渓の虫が採れるっていうんでしょ」
さっきまでの会話を部屋の隅で黙って聞いていたメグリさんが口を開いた。
「ばかメグリ、なんで先に行っちゃうんだよ」
「あんたの考えなんてお見通しなのよ」
やれやれ、と首を振るメグリさん。
「雪渓の虫かぁ。俺はいままでノータッチだったな」
「あたしも。まあ西日本に住んでると雪渓ってあんまり身近じゃないけんね」
九州でも福岡のように日本海側だと割と雪は降るが、冬場常に雪がある場所となると標高の高い阿蘇九重や高千穂のような九州山地に行かないといけない。そして冬場そういう場所に行くには道が悪くて少し危ないので、できれば控えたいと思う。
「しかし、スキーのツアーについていけば数千円で楽に行けるのだ!」
「っていうのをヒメノお姉様に聞いたのね」
「……あまりにお見通しで怖いんだが、メグリ」
「そりゃまあ去年それ提案したの私だし」
今日のスガルはなんか散々だな。
「と、ともかく、せっかくだしみんなでセッケイカワゲラとかクモガタガガンボとか採りに行こうぜ。フユシャクもいるかもしれんし」
「高山帯のフユシャク……! そういえばあれが……」
「まあ、久しぶりにスキーってのもいいかもな」
「私はパス。去年行ったし、地元でも採れるし」
ということで、何故か唐突にスキー合宿に行くことになった。
*
参加メンバーは、俺、スガル、マユ、そしてのちにスガルがひっかけたケイとスミレである。このうちスキー経験者は俺とスミレの二人。マユとケイは昔一回やったことある程度で、スガルに至っては雪の上をすべるということ自体したことがないという。
スキーツアーに潜り込み、とあるスキー場に向かう。ツアーといっても期間中何をしていてもいいので、初日はスキーして二日目は各々したいことをするということになった。
「雪だ―!」
スキー場につくなりハイテンションに叫ぶスガル。瀬戸内の女はよほど雪に恋い焦がれていたらしい。
「おいクロシマ早くスキー教えろ!」
出発する前からずっと教えろ教えろとうるさい。最初は虫を探す手段としてスキーツアーに乗り込んだはずなのに、どうやら企画をしていくなかでめちゃくちゃスキーしたくなったらしい。アホだ。
そういうわけで、一日目は普通にスキーをした。ケイとマユはスミレに教えてもらっていたが、物覚えがいいのか昔の経験がよみがえったのか、短時間である程度滑れるようになっていた。一方のスガルはというと、
「うはははははは!」
心底楽しそうに雪玉になって転がっていった。アホだ。言っておくが俺の教え方が下手というわけではないぞ。こいつが根本的に雪の上をすべるということにむいていないんだ。まあでも楽しそうだしいいだろ。
*
そして翌日。
「うーん……」
はしゃぎすぎたスガルは熱出して寝込んだ。アホだ。
「あなた本当に馬鹿ね。いったい何しに来たのよ」
「セッケイカワゲラ……私はセッケイカワゲラを……」
「ああもうスガルンは寝てて!」
起き上がろうとするスガルをマユがベッドに叩き付ける。当たり前だ。病人に対して容赦ねえけどな。
「うう……クロシマ……お前に託した……」
「ええ……」
なんか託されたんだが。まあ俺もその気ではあったが……。仕方ない、探してきてやるか。
というわけで、二日目は本来の目的である、雪渓の虫探しだ。
冬に出現する虫というのは意外と少なくない。当然、冬の雪渓に出現する虫というのもいるわけだ。有名なところだと、セッケイカワゲラとクモガタガガンボだろう。どちらも翅のない虫で、冬の雪上を歩き回って餌と生殖相手を探す。彼らは寒さに耐える変わりに、外敵の少ない世界で生きているというわけだ。
ほかにも、トビムシやハエ、ユスリカ、ハチ、コガネムシ、ゴミムシなど、様々な虫が活動している。寒すぎて探す気にならないが、探せばいつでも色々な生き物に出合えるのだ。
さて、そんな彼らを見つける方法は一つ。雪原に目を凝らし、ただ歩くのみだ。
「――しかし一瞬ではぐれるとは思ってなかったな」
そして冒頭に戻る。全員下を向いて歩いていたものだから、気が付かないうちにはぐれてしまった。まあいつも途中でどっかに行く連中だし、心配はいらないだろう。こっちはこっちで勝手に探すとする。
「といっても、どこを探していいのやらさっぱりわからんな」
ナナフシは枝を探せば見つかる。キノコムシはキノコを、クチキムシは朽木を、だ。しかしこの一面真っ白な世界で、何を目標に虫を探せばいいのやら。
セッケイカワゲラだってカワゲラなんだから、水辺っぽいところの近くにいるんじゃないか? と思った俺。だがスキー場は山の頂上付近にあるのだから、周囲に流れの痕跡はない。あれ、これ詰みじゃないか?
い、いやまて。まだ結論付けるのは早い。カワゲラは流れがないと生息していないものだが、逆に少しでも流れがあればいるもの。根気よく探せばいるはずだ。
「根気よく探すのには慣れてるしな」
スキーのコースから少し離れたこの辺りは、雪が汚されていないので何か落ちていれば目につきやすい。逆に落ちているものには何でも目が行ってしまう。虫かと思って近づいてみても、リター、土塊、石――ハズレばっかりだ。
「あっ、クリューいた」
「うわ、どこいってたんだお前」
「森の方! フユシャク探しにね。……まあいなかったケド」
森の方からぬっとあらわれたのはマユだった。生きてたか。
「なんかいた?」
「こっちもダメだ。そもそもどういう場所を探せばいいのかわからん」
「たしかに……でも、林縁の方が虫はいそうじゃない?」
「かもしれん」
雪原のど真ん中の方より林の近くの方が不均一性が高いから見つけやすいかもしれん。
――などと、雪上をさまよい続けて数時間。
「だめだ~!」
「いねぇな……」
結局ろくに虫を見つけることはできなかった。ムラサキトビムシくらいしか見つけられなかった。まあこういう時もあるわな。
ロッジに戻ってくると、ケイとスミレの二人もちょうど帰ってきていた。
「やあ、無事だったかい」
「本当、虫屋ってすぐはぐれるわね」
スキーゴーグルをくいっとあげ、呆れた目をのぞかせるスミレ。あれ、なんではぐれたのは俺ってことになってるんだ?
「そっちはなんかいた?」
「いや~いなかったよ。雪渓の虫採りは難しいね」
「少し疲れたから休憩して、あとはまたスキーしようということになったわ」
まあスミレは虫屋じゃないしな。さすがにこの採集はつまらないだろう。
「ケイがギブアップだっていうのよね」
「いや……だって雪の上歩き慣れてないから大変というか……。なんでスミレはそんなにざくざく歩き続けられるの」
「慣れてるもの」
ギブしたのはケイの方なのか……マジか……。
*
とまあ、雪渓採集はうまくはいかなかった。そういうときもあるよな。
しかし釈然としないことが一つ。
「ふっふっふ……」
帰りのバスで、ずっとにやにやしている鬱陶しいやつがいる。
「よかったわね、スガル」
「いやあ、まあな~」
「やっぱり持ってるんだよな~私」
「そうね」
「結局採れたのは私一人だけだってな~」
「そうね」
あっ馬鹿、そろそろやめとかないと――。
「でも病人のくせにベッドを抜け出して歩き回っていたことは絶対に許さないけどね」
「……はい」
怖えーやっぱスミレ怖えー。こういうときのスガルの鬱陶しさはしばらく続くはずなのに、一撃で黙らせやがった。ケイとマユ挟んで座っといてよかった……。
「お前の彼女、やっぱり
「
ケイ、お前もやばかったか。
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