第9話:熱帯・闇夜の森で2

 集まってくる虫の種類がどんどん増えていく。そのうちの多くはガだ。ガは夜行性のものが多く、ナイターをすると嫌というほど飛んでくる。ナイター中、ガが耳の中に入ってしまい、耳の中で暴れるので耳鳴りがひどく大変な目にあったというのは時々聞く話だ。病院でとってもらうということがほとんどなんだけど、たまに耳の中をヘッドライトで照らしてガを誘引し取りだすという猛者の話も聞く。


「あ、いたいた。おーい、スミスミ、ミスターケイ」


 異国の地マレーシアの密林で、しかも夜中に日本語で話しかけられて思わず飛び上がる。


「あれ!? マユさん、どうしてここに!?」

「いやあ、あたしたちさっき着いたところでさ。今日は街灯めぐりだけにしようと思ってたんだけど、スミスミがおいでって」


 スミレの方を向くと、珍しくしてやったりといった顔でピースしていた。


「来たわね、マユ」

「私もいるぞ」

「俺もだ」


 クロシマくんにスガルさん、わらわらと見慣れたメンツが後ろから顔を出す。


「誘ってくれてありがとう、スミスミ。……でもよかったの? あたしたちが

「邪魔なんかじゃないわ。これだけ集まってきていても私達じゃ採りきれないし。それに、ケイもガについてはあまり詳しくないのよ。だからいてくれた方が勉強になるのよ」

「いや、そういうアレじゃなくてさ……」


 マユさんはちらりと僕の方に目を向ける。僕は肩をすくめる。


「……ああ、それも問題ないわ。二人きりの旅行もいいけれど、みんなとむしとりするのも楽しいもの」

「ま、そういうわけさ。僕らとしては大歓迎だよ。……ただし、いい虫は僕の検閲を通すこと」

「がめついわねケイ……」


 当然。僕は虫屋だからね。そういうところは簡単には譲れないのさ。


「じゃあ、その辺に転がってるコーカサスのメスは検閲を通した方がいいのか?」


 クロシマくんが白布の隅に鎮座する大きくて黒い塊を指さす。


「それは……通さなくていいかな」


 *


 コーカサスオオカブトChalcosoma chiron。コーカサスは地名ではなく、ギリシャ語で”白い雪”を意味する。背中の美しい光沢から名付けられたらしいけど、実はchironの同物異名シノニムだったことが分かり学名からは消されてしまった。でも和名は相変わらずコーカサスオオカブトのままだ。

 コーカサスの中でもマレーコーカサスC. c. kirbyiは、でかい・ごつい・角がよく湾曲するなどカッコいい要素がてんこ盛りなので、日本でも人気の種だ。それに、それなりに珍しい種でもある……はずなんだけど。


 マユさんたちがくる少し前のこと、大きめの虫も飛んでくるようになってきたころだった。


 ドゴン!

「!?」


 さっきまでのセミの弾丸攻撃とは比べ物にならないくらい鈍く大きな音がした。


「ケイ、これ、これ!」

「う、うん。そうだね。コーカサスオオカブトのメスだ」

「コーカサス! 私でも知ってる!」


 珍しく興奮気味のスミレがコーカサスをむんずと掴んで僕の顔に近づけてくるので、どうどうとなだめて落ち着かせる。


「すごい……大きい……」

「うーん、日本のカブトとは比べ物にならないくらい大きいね――」


ボコン!

「え、また?」


 コーカサスオオカブト♀、二匹目。


「やっぱり大きい。そういえば、カブトムシのメスってあまり大きさ変わらない気がするけど」

「そういえばそうだね。個体群ごとの差はあるのかもしれないけど、だいたい同じくらいの大きさかも。少なくともオスみたいに大小さまざまにはならないかなあ」


 ベコン!

「……あ、これオスよ」


 今度はオスだった。さすがに小角の個体だったけど。大角のコーカサスは頭が重く飛ぶのも大変なので、ライトに来る個体はもっぱらメスや小角のオスだ。

 そもそもどうしてカブトやクワガタは無駄にツノやアゴを大きくするのだろうか。虫同士の戦いに勝つため? ツノやアゴが大きければ戦いには多少有利なこともあるし、そもそもその大きさで相手を牽制できる。でもその分動きは遅くなるし、飛ぶのにも邪魔だ。機敏な動きができないと、鳥や哺乳類などの捕食者から逃げられない。虫同士の喧嘩に勝つよりよっぽど重要だ。

 ツノやアゴを大きくするのは「自分はこんな大きくて邪魔なツノを持っていても生き残れるくらい強いんだぞ」ということをアピールする役割があるのではないかと考えられている。ハンディがあっても生き抜く強い遺伝子を持っているということをメスに示しているわけ。

 逆に、小型のオスも存在しているのは、小さい故に機敏に動け、物陰に隠れて外敵から身を守ることができるからだ。俺は強いんだぜとアピールするか、うまく逃げ延びるかのトレードオフだね。


 というようなことをスミレと話している間も次々にコーカサス(ほとんどがメス)が飛来した。最初は嬉しがって採っていたスミレも、


「ケイ、ケイ、入れ物がなくなった」

「その辺に転がしておいても逃げないと思うよ。最後に回収したらどうかな」

「……そうする」


 なんせ大きくて分厚いので、そもそも毒ビンに入らない。適当なタッパーに入れていたけどそれも限りがある。まさかこんなにコーカサスが採れるとは思っていなかったので、入れ物を用意していなかった。


「……というわけで、もはや飛んできてもほったらかしにしてあるんだ。たぶんまだ飛んでくるし、コーカサスは持って行ってくれていいよ」

「了解、サンキュー。まあ一匹くらいは採っときたいしな」

「じゃあ私も」

「じゃああたしも」


 それぞれが一匹ずつ採集しても、まだあまるほど。ここは良いナイターポイントだったようだ。


「そういえば、ケイが『僕はアトラスの方が好き』って言うのよ。私は絶対コーカサスの方が綺麗だし格好いいと思うのだけれど」

「彼氏さんの意見は?」

「コーカサスの真っ黒で光沢があるのもいいけど、アトラスのちょっと苔むしたっぽく緑色が混ざる感じが好き」

「なるほどですね」


 マユさんが白布のガを次々三角紙やスクリュー管に収めながら「うーん」とうなる。


「俺もどっちかっていうとコーカサス派かなあ。体色やツヤの差もだけど、アトラスってモーレンカンプみたいに胸角が上下に湾曲するだろ? それよりコーカサスみたいに横に湾曲している方が上から見たときかっこいいし、横から見たときも頭角と垂直に交わる感じが超イケメンなんだよ」

「あたしはアトラス派だな。ミスターケイも言ってたけど、あの緑がかった感じが職人っぽいというか玄人っぽいというか、わびさびを感じてイカしてると思うんだ。スガルンは?」

「え、私か? 私は……三角紙に入らなくて邪魔派」


 ハチ屋のスガルさんは大きな虫を邪魔だと言い張る。なんて人だ。


「というか、ハチ屋ってナイターの時してるんだい?」

「寝てる」

「えっ……」

「だってナイターには基本ハチ来ないし。アメバチの仲間やアリは来るけど、私はその辺専門じゃないし」


 確かに有剣ハチの類はナイターには一切来ないけどさ。


「そうなんだよー! スガルンは一緒にナイター行っても『虫集まるまで寝る』とか言って車に引っ込んじゃうんだよね」

「まあさすがに熱帯のナイターでは寝ないけどな。ハチ来なくても熱帯の虫ってだけで面白いし。琴線に触れたやつを適当に採ってる感じだ」


 確かにさっきから彼女は白布の傍に座って、たまーに動いて何かを採り、また同じ体勢に戻ってじっとするのを繰り返している。

 虫屋にもいろいろいて、僕やスミレ、あとクロシマくんはかっこいい虫や綺麗な虫を分類関係なしに採るミーハー虫屋だ。一方スガルさんやマユさんはそれぞれの専門の虫を中心に採集し、他の虫はその片手間に採るタイプの虫屋。特に彼女たちは一年間の採集品のうち専門の虫以外を一割採るかどうかというくらい、他の虫に目もくれず自分の好きな虫を採りまくっている。この間なんか「ミヤマのメスか。イラネ」と逃がそうとするのを慌てて止めて僕がもらったりした。


「じゃあ、もしここに大角のコーカサスが飛んできても一切無視して採らないの? タッパーを圧迫するだけの大きな虫だから採らないのかしら」

「何を言っているんだスミレ。採るに決まってるだろうそんなもの」


 とはいえ彼女もまた、腐っても虫屋という生き物だった。

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