第4話:クワガタの亜種とブームの話

 カブトの次は、クワガタについて語らなければならないだろう。


 残念ながら幼少期の僕のクワガタ遍歴は大したことがない。縁日の出店で買ったミヤマ、なんかどっかで買ったコクワ、なんかどっかで買ったオオクワ、なんかどっかで買ったノコギリだ。……ぶっちゃけ全然覚えていない。家に標本があるので、買っていたことは間違いないんだけど。


 カブトムシに比べクワガタは種類が多く、オオクワやヒラタのような有名種の他にも、オニ、ネブト、アカアシ、ヒメオオ、チビ、ルリ、ツヤハダ――実に39種ものクワガタが日本に生息している。これを亜種に分けると、その数はさらに増える。


 ここで一度、亜種について説明しておこうかな。亜種というのは”生物学的には同じ種だけど、住んでいる場所などの違いで姿かたちが少し違うもの”を分ける基準のこと。”生物学的に同種”っていうのは、交配して生まれた子供が産んだ個体が正常に発生するかということで――まあ難しいことは置いておいて、子孫が残せるかどうかくらいで考えていてほしい。


 で、亜種についてなんだけど、ヒラタクワガタDorcus titanusを例に話してみよう。

 ヒラタクワガタはめちゃくちゃ亜種が多い。本土にいるホンドヒラタ、壱岐にいるイキヒラタ、先島諸島のサキシマヒラタ、他にもゴトウヒラタ、アマミヒラタなど、だいたい離島ごとに別亜種扱いにされている。またパラワンオオヒラタやスマトラオオヒラタなどの東南アジア各所のヒラタクワガタも、全てD. titanusの亜種になる。

 こうして亜種としてわけるのは、それなりの根拠がある。たとえば、大あごが太く短いとか細くて長いとか、内歯(あごの内側の突起)が一部消えるとか、すごく大きくなるとか、まあ色々だね。とはいえぶっちゃけ、日本のクワガタの亜種は分けすぎだと僕は思う。正直イキヒラタとか多少大きいものが生まれる個体群程度でいいと思うんだけど。


 亜種の是非についてはいいとして、どうして住んでいる場所ごとにあごが太くなったり大きさが変わったりするのだろう。ヒントは前回の”クワガタは飛ぶのが下手”という話だ。

 クワガタムシは飛ぶのが下手だ。大きなアゴや硬い外骨格は戦ったり身を守るのには使えるけれど、どれも飛ぶには邪魔なもの。チョウやトンボが風に乗って軽々渡れるような海でも、クワガタにとっては大きな大きな障壁になる。壱岐島と佐賀の東松浦半島なんて、たかだか20㎞しか離れていない。20㎞なんて、博多から太宰府よりちょっと長いくらいだ。


 ある島に隔離された個体群は、いわば近親交配を重ねているようなもの。もちろん個体数が多いから完全に純系になってしまうことはないけれど、それでも血はかなり濃くなる。すると、体が大きいものばかりいる島やあごの長いものばかりいる島ができるわけだね。


 さて、亜種ということは交配して子孫を残せるということ。これが現在、逃げ出したり捨てられた外国産クワガタと交雑してしまう問題へつながるわけだ。

 実は、僕がまだ実家にいたころ、一度だけクワガタを野外で拾ったことがある。僕でなく母が、だけど。


「家の前になんかデカいクワガタ落ちとったから、必死に牛乳パックですくい上げて採ったったで」


 と言いながら母が僕に渡したのは、なんかデカいオオクワガタだった。

 僕の実家は都市近郊の住宅地にあり、一番近い山でも10㎞は離れていた。コクワならいざ知らず、オオクワガタは生息地が限られ個体数も少ない虫だ。こんな街のど真ん中に落ちているはずがない。母が拾ってきてくれたこの個体は、誰かが逃がしたものだったのだろう。


 *


「あったあった。これこれ」


 僕は古い標本箱をガタガタとひっかきまわして、そのクワガタの標本を引っ張り出してきた。


「ね。これオオクワじゃないだろう?」

「ちょっとホペイが入っている感じがするわね」


 標本をもう一度よく見てみると、日本のオオクワガタというよりはホペイオオクワガタという別亜種に近いような気がする。ホペイの大あごは主歯(一番外側の大きくて長い部分)と内歯が重なることが多いけど、日本産のでは重ならない。この標本は若干重なりつつあるといった感じだ。


「状況的にはたぶん逃げ出した、あるいは捨てられた個体なんだろうけど、交雑個体の可能性も捨てきれないからね……。今更だけど、これはあの人に見てもらったほうがいいかもしれない」

「最近特に外国産の野外個体がよく見つかるものね。まったく、親は最後まで責任を持ちなさいよ。ねぇ?」


 うっ、す、すみません……。


 *


 何故これほどクワガタが人気になったのか? 実はクワガタの人気はここ30年くらいのものなんだ。

 1990年くらいまでは、昆虫マットとか昆虫ゼリーとか、そういう飼育用品や飼育方法もあまり確立していなかったらしい。野外で採ってきた土や朽木を使わなきゃいけなかったから、一般にはあまり普及していなかったんだね。

 それが、菌糸ビンという栄養価が高く飼育しやすいエサが登場したことでハードルが一段階下がった。そこに外国産クワガタの輸入解禁が拍車をかける。

 これまでは植物防疫法によって規制されていたクワガタの輸入が、規制緩和によって次々と国内へ入ってきた。とはいえまだ流通の少ない時代、マニアの間では価格が高騰し、それに目を付けた人が金儲けの道具ビジネスにしてしまった。特大オオクワガタが何百万で落札されたなんていう話は聞いたことがある人もいるだろう。


 それにさらに追い風を吹かせたのは、2003年登場の”甲虫王者ムシキング”。何が甲虫王者だカブトとクワガタしかでないじゃないか、というのは置いといて、これが大人気となり、クワガタブームはますます盛り上がったわけだ。僕らはドンピシャ世代だったけど、当時はまだ本物は高いし、親には「外国の虫はやめとけ」と言われていたのもあって、あのゲームで我慢して楽しんでいたような気もする。

 ――一応言っておくけど、僕は別にムシキングから虫好きになったわけじゃないからね! そりゃカードも200枚くらい持ってたけど、それより前から虫は好きだったんだから!


 ムシキングが世間にカブト・クワガタの知見を広めた功績は大きい。だけど、そのせいでこのブームが暴走していったという見方もできる。ブームが落ち着いた現在でも外国の虫が安価に安易に買えてしまう現状は、この狂気とも思えるブームの大きな爪痕だろう。

 そして「クワガタムシを野外に逃がしてはいけない」ということを理解していないような人々でも簡単に手に入ってしまうから、飽きたとか飼いきれないと簡単に逃がしてしまう。

 ――ああ、なんだか書いていて腹が立ってきたな。いけないいけない。こうやって啓蒙していくことこそが、僕達虫屋の使命だと思うのだよ。


 さて、今回は亜種という学術的な話とクワガタブームの歴史という、ちょっと小難しい話をしてしまったね。

 次回は「ノコギリクワガタに出会えない」話をしようと思う。僕はどうやらカブトムシだけでなく、ノコにも嫌われているようだ……。

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