第5話:雑木林の雑兵・ノコギリクワガタの話
ノコギリクワガタProsopocoilus inclinatusは、北海道から屋久島まで生息している大型のクワガタだ。黒褐色から赤褐色まで色彩が変化し、大型の個体ではあごが牛の角のように湾曲してかっこいい。
海外へ目を向けると、超大型種のギラファノコギリクワガタや橙色の模様を持つゼブラノコギリクワガタなど、その種類も様々だ。
さて、このノコギリクワガタ、別に珍しい種ではない。というか、かなり普通種だ。
クワガタの中には特殊な朽木材や植物を好む偏食家がいて、そういう種類は特定の場所にいかないと採集できないものもいる。また、標高の高い、すずしい所を好むという種類もいる。例えば、ミヤマクワガタは西日本だとちょっと標高を上げないと出会えない。
しかし、ノコギリクワガタはそういった好みがあまりうるさくなく、低地の人里近くの雑木林にも生息している。さらに、湿った材を好むため河畔林などにも生息する。コクワガタ、ヒラタクワガタ、ノコギリクワガタあたりの有名な3種のクワガタは、実はちょっとした裏山や公園、河川敷にも生息しているような虫なのだ。
……そのはずなんだ。
まず、コクワガタは本当にどこにでもいる。樹液にも集まるし灯火にも来る。川岸や中州にあるヤナギなんかにもいる。冬にそういうところへ行き朽木を割ってみれば、コクワガタの幼虫がボロボロ出てくることもある。
九州、少なくとも福岡や佐賀、長崎などには、そういう河川敷や河畔林のある川がほとんどない。ないっていうか、三面張りにされていたり草も生えないほどならしてあるなど、整備され過ぎている。佐賀にはバルーンフェスタで有名な嘉瀬川という大きな川が流れているけど、バルーンフェスタができるほどガチガチに整備されていて実に面白くない。
一方、関西や関東に行くと河川敷環境はぐっと面白くなる。というか関東は、有名な渡良瀬遊水地のようにめちゃくちゃ大きな湿地帯があり別格だ。関西でも、淀川一帯は都市部を流れているにもかかわらず良い場所が結構残されていたりする。
虫の採れないオフ――つまり冬に暇を持て余した場合、そういうところへ行って石をひっくり返したり朽木を割ったりすると、越冬している虫がたくさんいて面白い。たいていはオサムシやゴミムシの仲間が多いけど、時々クワガタの幼虫や成虫が出てきたりもする。
僕はあまり幼虫で種類を判別できないので、
「お、これ結構大きい幼虫だ。もしかしてオオクワ? あるいはヒラタかも」
なんて思って持って帰り、わざわざ菌糸ビンに入れて育てたら大きなコクワガタが出てきてずっこけた、なんてこともある。ちなみにオオクワガタの幼虫は河川敷のような湿った環境はあまり好まないらしい。というかそもそもそんなにホイホイいない。
ヒラタクワガタというのも、いわば雑魚のひとつだね。6月の下旬ごろから7月くらいにかけてが狙い目。昼のうちに樹液の出る木を確認しておいて、夜その木に行ってみると当たれば数匹ついていることがある。クヌギやコナラなど、クワガタの好む樹液の出る木が生えているところなら人里近いところでも簡単に採れる虫だ。夜中に山奥まで子供を連れていくのはちょっと、という奥さんにもおすすめ。
クワガタを採るのに一番手っ取り早く、かつ特別な道具がいらない方法は、樹液を巡ること。事前にいくつか調べておけば、そのうちのどこかにはいる。夜は危ないスズメバチもいないので、安心して採集ができる。
もう一つは街灯や自販機の灯りを巡ることなんだけど……最近はどこもLED照明に変わってしまって、虫が集まっていない。LEDは光の波長が違って、虫が光と認識できないらしい。
さて、長くなったけど、本題のノコギリクワガタだ。これも普通種のはずで、コクワやヒラタと生息している環境は似たようなもの。数が少ないわけでもない。
なのに出会えない。
ノコギリクワガタももちろん樹液や灯りに集まる虫だ。前述の2種を採集していれば、同じような確率で出会えるはず。しかし、僕は一度だってこのノコギリクワガタという虫を採ったことがない。ほんと、なんで?
以下は、本州のとある山の中で、夜中に電気をたいて虫を集める灯火採集を行った時の話だ。
*
「スミレー、何か飛んできたかい?」
ナイトウォークから戻った僕は、キャンプチェアに座ってホットコーヒーを飲んでいたスミレに手を振った。ナイトウォークっていうのは、夜の森にヘッドライト一つでざかざかと入っていき、昼間は表に出てこない夜行性の虫を採ることを言う。言ってるのは僕で、夜見回りや見回り、単に散策っていう人もいる。
「あら、お帰りなさい」
大事な彼女をほっぽりだして何してるんだという批判が聞こえてきそうなので弁明すると……まずこんな山奥に人はめったに来ないし、夜の森を歩かせる方が危険なこともある。怖いのはクマだけど、ここに居ればいざとなったら車で逃げられるし、何よりスミレはクマでも何とかしてしまいそうだ。
そうじゃなくて、そもそもそばを離れるなって? まあおっしゃる通りで……。でもこれしないと採れない虫も多いしゴニョゴニョ……。
「さっきからクワガタラッシュに入ったみたい」
「お、いいね」
ク、クワガタの飛んでくる時間帯っていうのはある程度決まっている。それに、ライトを点けたらすぐ飛んでくるガやハエの仲間に比べて、クワガタは飛ぶのが下手なので灯りに来るまで時間がかかる。
灯火を始めて一、二時間すると、ちょうどクワガタが集まる
「どれどれ……コクワのメス、コクワのメス、コクワのオス、ヒラタのオスメス、ミヤマ……ミヤマ!?」
そんなに高い山でもないのに。まあ本州だとこのくらいでもいるのかなあ。
「まあまあ数は来てるみたいだね。……ところでノコギリは見なかった?」
「見てないわね」
「本当に?」
「ええ」
「実はこっそり……」
「しつこいわね」
何故だ……。他のクワガタは結構集まってきているのに、何故ノコギリクワガタだけ……メスすら来てないだなんて。
*
そして以下が、沖縄島へ行ったときの話だ。
*
「スミレー、何か飛んできたかい?」
ナイトウォークから戻った僕は、キャンプチェアに座ってさんぴん茶を飲んでいたスミレに手を振った。ナイトウォークっていうのは、夜の森にヘッドライト一つでざかざかと入っていき――これはもう説明した。
「あら、お帰りなさい」
ええそうです僕は大事な彼女をほっぽりだして採集へ行く駄目なやつです。でも今回はそんなに遠くまで行ってないし。やんばるの森で怖いのはハブだけど、正直僕はハブを見たことがない。林道沿いで座っているくらいでは、出くわさないだろう。それにスミレなら捕まえて焼いて食べそう。
「何か失礼なことを考えていない?」
「滅相もない」
「……さっきからクワガタが頭突きしてきて痛いわ。ラッシュ来てるわよ」
「お、いいね」
山の様に集まっているナナホシキンカメムシをよけながら、虫の確認をする。
「オキノコ、オキノコ、オキノコ……全部オキノコじゃないか」
実は沖縄ではクワガタの珍しさが違っていて、一番多いのがオキナワノコギリ、次にオキナワヒラタ、リュウキュウコクワはかなり珍しい。
「よかったわね、ノコギリクワガタ採れて」
「違うんだ、違うんだスミレ……」
そしてこれらは本土のものとは別種……そう別種なのだ!
オキナワノコギリは本土のものと比べて、大型になってもあごがあまり湾曲しない。でもこれはこれでかっこいい。
ともかくだ、たくさん飛んできているオキノコはもちろんうれしいんだけど、やっぱりこれと本土ノコは別の虫。依然僕はノコギリクワガタに出会えないままだ。
ちなみにこの話にはこんなオチがついた。
「ねえ、ケイ。これはノコギリクワガタじゃないわよ。何かしら……ネブト?」
「どれどれ……こ、これは!」
――リュウキュウコクワガタ――
だからなんでこういう珍品は採れるのに、最普通種が採れないのさ!
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