第6話:三すくみ・ミツバチとスズメバチの話

 今回は、であるミツバチとスズメバチの話をしよう。


 僕は子供の頃よく近所の伊丹市昆虫館いたこんに遊びに連れて行ってもらった。駐車場から昆虫館までの森の小道にはよくシデムシの幼虫が歩いていたり、昆陽池の周りには都市部では珍しいチョウトンボが飛んでいたりと周辺環境も面白いんだけど、今回は昆虫館の中の話。

 エントランスを通り、昆虫が拡大されまるで自分が虫になったかの様に感じる森のジオラマを抜けると、2.4mもある大きな大きなミツバチ”ビッグ・ビー”が鎮座している。このミツバチの模型はただ200倍になっただけでなく、その背中に乗って、実際のミツバチの視界がどのようになっているかをモニターで見ることができる、子供に大人気の模型だ。


 また、二階の学習室の窓の外にはミツバチの巣があり、窓越しに巣の内部構造が見えるようになっていた。巣の中で働きバチがせっせせっせと動き回って蜜を蓄えたり風を送ったりしている姿は、いつまでも見ていられるほど面白いものだった。でも最近行ってみたら巣箱が無くなっていてちょっと残念だった。


 この話を他地方の人にすると「なんね、関西ばっかりうらやましか」と言われるが、古来より学問的にも発達していた都は伊達じゃない。三大昆虫館と呼ばれる伊丹(兵庫)・箕面(大阪)・橿原(奈良)の昆虫館は全て関西にある。他にも人と自然の博物館とか大阪の自然史博物館とか挙げればきりがないんだけど、まあその辺の話はそのうちするとしよう。

 こうした背景には古くから発展した都市圏というのももちろんあるけれど、そのおかげで自然環境が多いというのも強い。前回も少し話したけれど、うっそうとした原始林よりも里山や雑木林のほうが昆虫採集はしやすいんだよね。

 それにアマチュアの人も参加しやすい。おかげで専門家も真っ青なアマチュア昆虫研究家が数多く生息していた。今でも関西出身の昆虫研究家は多い。


 話が脱線してしまったね。今日はミツバチとスズメバチの話だった。

 日本に生息しているミツバチは2種類だ。二ホンミツバチApis cerata japonicaとセイヨウミツバチApis mellifera。名前からもわかるように本来日本に生息していたのは二ホンミツバチの方で、セイヨウミツバチは外来種だ。セイヨウミツバチの本来の分布はアフリカ、ヨーロッパから中央アジアなんだけど、今は養蜂のために世界中に人為的に分布を広げている。

 二ホンミツバチとセイヨウミツバチの見分けは、簡単なものとしては腹部が黒いのが二ホン、褐色っぽいのがセイヨウなんだけど、これも絶対ってわけじゃなくて中間っぽい色のやつもいる。正確な同定形質としては、後翅のM3+4脈が伸長するのが二ホンで……あ、こういう話はよくわからないからしなくていい? そっか、かな……。


 さて、どうして日本在来の二ホンミツバチを使わず外来種のセイヨウミツバチを使うようになったのだろう? これはセイヨウミツバチの蜜を集める量が多いから。世界中の養蜂農家が同じセイヨウミツバチを使っているのだから、よっぽどたくさん蜜を集めるんだろうね。


 でもこのセイヨウミツバチは、古くから二ホンミツバチで養蜂している人たちにとっては憎き相手でもある。セイヨウミツバチは二ホンミツバチの巣にこっそり侵入して蜜を盗むんだ。二ホンミツバチだってもちろん防衛はするんだけど、セイヨウミツバチの方が一枚上手みたいだね。しかも結構な量を盗まれてしまうので、養蜂農家さんとしては大泥棒なわけだ。


 しかし、このセイヨウミツバチにも天敵がいる。そう、スズメバチの仲間だ。

 スズメバチ――ここでは特にスズメバチ属Vespaのこと――はユーラシアの中でも特にアジアに多い仲間だ。特に日本は22種中8種も生息していて、有名なオオスズメバチはスズメバチの中でも最大の種類だ。

 スズメバチの仲間はほかのハチの様に花の蜜をなめることもあるけど、巣材にするために樹液や樹皮そのものを、その大きなあごでかじって集めたり、あるいは頻繁に他の昆虫を狩ったりもする。しかも、体の柔らかいバッタやカマキリだけでなく、コガネムシやカミキリなどの大型で硬い虫も狩ってしまうのだからすごい。


 *


 大学内を歩いているとき、ふと地面にオオスズメバチがいるのを発見したことがある。やけにじっとしているので近づいて観察すると、オオカマキリの首根っこをがじがじとかじっていた。カマキリは毒でやられてしまったのかピクリとも動かない。


「あらケイ、ごきげんよう。地面にかがみこんで何をしているの?」

「あ、おはようスミレ。ほらほら、スズメバチがカマキリ食べてる」


 道端で座り込んでいる男なんて普通は知り合いでも近づきたくないのだろうけど、もともとの動じない性格からか、この当時でも平然と僕に話しかけてきた。


「わ……豪快ね」

「うん。僕も驚いた」


 食べるのに夢中なのか、あるいは繁殖期でもないからおとなしいのか、スズメバチは僕達が覗き込んでいてもまったく反応しないまま黙々とあごを動かしている。


「あれ、スミスミじゃん。あとミスターケイ。こんなところで何不審者やってるの?」

「いやうちらは人の事言えんだろう」


 さらに後ろから声がかかる。スミレの友達の……。


「マユ、スガル、ごきげんよう。スズメバチの捕食シーンの観察中よ」


 そうそう、そうだった。二人とも僕と同じ虫屋なんだけど、ガの人とハチの人という風にしか覚えていない。そして彼女が苗字を呼ばないのでいつまでも覚えられない。


「ほんと? あ、ほんとだ、すごーい。あたし初めて見たかも」

「全然逃げないな。ちょっと写真撮ろう」


 そういってスガルさんはやけにぼろぼろのリュックサックからデジカメを取り出す。


「あなた、いい加減フィールドワーク用と大学用でカバンをわけたらどうなの」

「ねー、あたしもずっと言ってるんだけどさ」

「いやだってめんどくさいし……」


 などと四人でわらわらしていると、また知り合いがやってきて……といつの間にか一大観察会になってしまった。


 *


 とまあちょっとした小話を挟んだけど、スズメバチはほかの虫も積極的に襲うんだ。もちろんミツバチもよくスズメバチに襲われる虫だ。人間がわざわざ育てて蜜をとるくらいだから、栄養満点で美味しいんだろうね。


 そんなスズメバチだけど、実はを襲って食べるのは容易ではない。常にスズメバチという外敵がいる状況で進化してきた二ホンミツバチは、その撃退方法を身に着けている。それが蜂球だ。

 追い払っても追い払ってもしつこく襲い掛かってくるスズメバチが巣に入ろうと地面などに降りた瞬間、二ホンミツバチは集団でスズメバチを取り囲んで封じ込めてしまう。この時ミツバチは体を震わせて発熱し、スズメバチを熱殺しているんだ。

 スズメバチの耐熱温度は45℃くらい。一方二ホンミツバチはそれより1~2℃は耐えられる。もちろん内側の方にいるミツバチは死んでしまうこともあるけど、巣全体の損害は少なく済む。


 一方、大型のスズメバチがいない環境で進化してきたセイヨウミツバチは、この撃退方法を見につけていない。スズメバチが巣に近づいてきてもブンブン翅を震わせるばかりで、蜂球をつくって熱殺ということはしないんだ。なにせそういう撃退方法を遺伝子レベルで知らないからね。


 というわけで、セイヨウミツバチは二ホンミツバチの巣から盗蜜する、二ホンミツバチはスズメバチを熱殺できる、スズメバチは撃退されないセイヨウミツバチを悠々と狩る、という三すくみが出来上がっているんだ。面白いよね。


 実は最近、この関係に介入する新たな無法者ツマアカスズメバチが侵入してきたんだけど……この話はまたいずれ。

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