第3話:会えない王様・カブトムシの話2

 実を言うと、僕はカブトムシを採ったことが人生で一度しかない。



 日本にはカブトムシの仲間――正確にいうとカブトムシ亜科の種が5種生息している。

 まず、赤茶色から黒色をしていて角が二又に分かれている、いわゆる”カブトムシ”と呼ばれるカブトムシTrypoxylus dichotomus。本州から沖縄まで生息しているが、沖縄や久米島は別亜種扱いになる。近年はどんなペットショップにでも必ずおかれるようになり、逃げ出した個体が本来生息していない北海道や別亜種の沖縄で繁殖してしまっている。

 次に、カブトムシのメスを小さくしたようなかたちで、色は黒色、オスの角が非常に小さく雌雄の区別がつきにくいコカブトEophileurus chinensis。これは全国に生息しており、灯りにもよく飛来するけど、カブトムシと比べて数は多くない。

 3種目は、サイのような一本角が特徴的で、沖縄諸島と八重山諸島に生息し、サトウキビの大害虫であるサイカブトOryctes rhinoceros。以前はタイワンカブトとも呼ばれていて、その名の通り台湾から侵入したと考えられている。東南アジアに広く生息しており、派手な音を立てて灯りに飛んでくるので期待すると「なんだサイカブトか……」とがっかりする。

 残り2種はトカラ列島宝島からしか見つかっていないクロマルコガネと、南大東島からしか見つかっていないヒサマツサイカブトという珍品なので、実質見ることのできる種は上の3種だ。


 そして、僕が一度しか採ったことのないという種は1種目の”カブトムシ”である。

 実際はコカブトもサイカブトもそんなに採ったことはないのだけれど、先に述べたようにコカブトはそんなにいないし、サイカブトも国内だと沖縄に行かないといない。

 それに、同じように樹液や灯りに集まってくるクワガタムシは結構採ったことがあるのだ。ヒラタやコクワはいろんなところで採ったし、ちょっとマニアックなコルリクワガタやツヤハダクワガタなんかも秋の終わりの落葉した山へわざわざ出向いて採ったことがある。このあたりの話は後に書くと思うけど、ともかく採ったクワガタの数に対してカブトムシはたった1匹だけなのだ。

 別に「カブトムシなんていまさらいらないよ」と見逃しているわけではない。何故だか知らないが本当に出会わないのだ。


 *


「カブトムシ、私の実家の裏山にはまだそれなりにいたと思うわ。クラスの男子がうちの山で採ったカブトで女子をからかっていたから、私有財産の侵害だって買い取らせたもの」

「ぶれないねえ、スミレ」


 アクティオンの幼虫を手のひらに乗せて成長度合いをはかっていたスミレが眉一つ動かさずに言う。その男子たち、ずっとスミレにはかなわなかったんだろうなぁ、とちょっと同情してしまう。


「あなたの家の周りでは珍しかったの?」

「すくなくともキミの家ほどすぐには見つからなかったかな。山までちょっと距離あるし。小学生が自分たちだけで採りに行けるような範囲にはいなかったよ。でも、日帰りできる範囲でも十分カブトムシのいるような雑木林はあったね」


 子供の頃は気が付かなかったけど、少し山の裏まで足を伸ばせば良好な環境はたくさん残されていたものだ。それに気づいたのは大学生になってからだったけど。


「それにそもそも、キミと採集に行く時だって一度も見たことないじゃないか」

「……そうだったかしら。あんまり有名な虫だからかえって覚えていないわ」

「僕の覚えている範囲だと……コカブトはいろんなところでたまに採ってるし、サイカブトは東南アジアで何度も出会ってる。マレーシアではコーカサスも灯りに来たし、ほかにもアトラス、ヒメ、ゴホンヅノ――。でも、カブトムシだけは何故だか野外で見てないんだよね」

「そう言われればそうかもしれないわね……。どうしてかしら」


 本当に縁がないとしか言いようがない。樹液めぐりをしてもケシキスイやクワガタばかりしかいないし、灯火採集をしてもカブトムシが飛んできたことはない。色々な場所、様々な時間帯で採集をしてきたけど、それでもあの昆虫の王様にはまったく出会わないのだ。


「それで、あなたが唯一見つけたカブトムシっていうのは?」

「それはね……」


 *


 僕が人生において唯一カブトムシを採ったのは、路上で見知らぬおばちゃんにカブトムシをもらった翌年の夏、家族で東京に行った時だ。上野の博物館や幕張の恐竜展などを見た後、虫が多そうということで昭和記念公園に連れて行ってもらったのだ。

 もちろんこの時、僕は虫あみと虫かごを持参していた。虫あみは網の部分が取り外せるもので、かごもスプリングで縮められるすぐれものだった。

 しかし、いざ行ってみると公園内はむしとり禁止と言われてしまった。まあ今考えてみれば当たり前なんだけど、かなり期待していった僕のショックは大きかった。


 ぶうたれた僕を、父親が「とりあえず外で虫を探してみたら」と公園入口の手前の広場を連れて歩いていた。今となっては何の木だったか覚えていないけど、とある木にを見て僕は叫んだ。


「父ちゃん、カブトムシカブトムシ!」


 慌ててその木に駆け寄ると、昼のさなかだというのにカブトムシのメスが1匹どんと居座っていた。僕は虫あみを伸ばして何とか採集に成功した。

 これが、僕が唯一野生のカブトムシと出会った瞬間だった。



 カブトムシは日中土の中に潜んでいる。夜になると土から這い出してきて、樹液を求めて飛んでいく。木の洞や樹冠近くにいるクワガタムシに比べて見つけにくいのは確かだ。日中、網を持ってうろついている分にはカブトムシを見ることはほとんどないだろう。

 また、カブトムシは飛ぶのがへたくそだ。外骨格は厚く頑丈で、飛ぶための翅は2枚しかない。オスともなると大きな角がさらに邪魔になる。クワガタも同じように飛ぶのが下手だけど、体が大きい分やはりカブトムシの方が下手だろう。灯火に集まるのもカブトムシの方が遅い。

 飛ぶのが下手ということは、行動範囲が狭いということ。一度樹液の出る木を見つければ、他の虫に追い出されたりしないかぎりそこに居続ければいいし、わざわざ毎日寝床を変える必要もない。


 行動範囲が狭いということは、僕ら人間と出くわす機会も少ないということだ。これはどんな虫にも言えることだけど、いわゆる”自然豊かな森”というのはあまり採集に向かない。生息範囲が広すぎて、虫を見つけられないのだ。

 一方、里山や自然公園というのは範囲が非常に狭い。そして密度が高い。だから、虫に出会う回数が必然的に多くなる。僕らにとっては採集しやすい環境となるわけだけど……土壌環境が良くないと生きられないカブトムシにとってはあまり良い環境ではないのだと思う。


 こうしてまとめてみると、結構カブトムシを採るのって難しいような気もするなぁ。地域にもよるだろうけど、僕らが普段灯火をするような場所は自然度が高すぎるんだろうし、かといって里山くらいの環境だと灯火とか夜間採集ってあまりしない。人里に近いと迷惑なこともあるしね。

 それに、僕らがよく採集する西日本には、カブトムシの好きな腐葉土モリモリの森があまりない気もする。東日本に比べて低地はたいてい照葉樹だし、地質も花崗岩で岩山っぽい場所も多い。九州なんて1000m超えないとブナ生えないしさ。


 結局何故カブトムシに出会わないのかっていうのはよくわからないけど、一定の答えは得た気がする。今更カブトムシなんていいや、とも思うけど――やっぱりあの昆虫の王様がのしのしと歩いている姿は、ぜひとも野外で見てみたいものだ。

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