第16話:”チョウ”と”ガ”の違い

 あの日の会合のあと、ミスターケイがご丁寧に音源付きで脅しをかけてきた。


『マユさん、お願いね?』

『夫婦は似てくるっていうけど、本当なんだね……』


 弱みを握ってから交渉に入って、相手に一切有無を言わさないところとかそっくり。勝利を確定させてから勝負を始めるのは研究者としては大切なことだけどさぁ。


 虫の話、虫の話ねぇ。そーだなぁ……っていったってあたしにできるのは鱗翅の話だけなんだけどさ。あ、ミスターケイは鱗翅の話をしてないの? じゃあ何話してもいいね。あたしがいつもにする話でもしよっと。



 みんな「チョウとガの違い」って何か知ってる? あたしたち虫屋にとっては常識というか愚問というか、こんなこと聞いてくるやつはもぐりっていうか、環境破壊の化身メガソーラー建設予定地に磔にするぞって感じだけど、普通の人はほとんど知らないよね。

 先に答えを言ってしまうと、チョウとガは同じ鱗翅目というガの仲間。チョウはガのほんの一部のことを差すんだ。日本産鱗翅目約6000種のうち、チョウはたったの300種。ほとんどがガだと言えるね。

 系統樹という、生物がどのような進化をしてきたかを表したものを見ると、チョウは最も新しいガの仲間だってことがわかる。高い飛翔能力をもち、昼の環境に適応したガがチョウと呼ばれているだけなんだよね。この辺の詳しい話は次回以降にして、今回はよくある質問について答えていこっかな。



 昔、民放で「この違いを知っている人はすごい!」的な番組があったんだケド、その番組内で今まさに話そうとしている「チョウとガの違い」についてやり始めたんだよね。当時番組を見ていたあたしは、


「うわー嫌な予感しかしない」


 と目を覆いたくなった。そしてその嫌な予感は残念ながら的中。この番組、なんて言ったと思う?


『実は、翅を閉じてとまるのが蝶、開いて止まるのが蛾なんです! 知ってましたか???』

「なんば言いよっと!? しかもそん写真チョウやが! くらすぞきさん!」


 テーブルひっくり返してテレビにぶつけようとしかけるのを何とか踏みとどまった。わざわざ自分の家を破壊するのは無駄やけん。

 もうねー怒りを通り越して呆れたっちゃん。なんば言いよっとって。そんなわけなかろって。自信満々に表示したその「翅を開いてとまる蛾」の写真、ヒョウモンチョウやろって。

 その時の虫屋界隈は大騒ぎだったよ。まーたテレビが大嘘言いよる、やけん生き物を扱うテレビはダーウィンが来たしか信じられんのや、ってね。SNSでも積極的に拡散したけど、残念ながら関心を持つ人が少なかったのか大きく取り上げられることはなく、今でもそのクソ番組――ろくに調べもせず、放送内容を精査せず、事実を歪曲して伝える社会のゴミのような番組は続いているらしいんだケド、あたしの脳は拒絶反応を起こしてて番組名が目から入ってこないから、本当に放送しているかは知らない。


 さーて、いいたいことを吐いてすっきりしたところで、この「翅が開いているかどうか」問題について説明するね。

 一言でいうと、これは間違い。チョウもガも休んでいる時は翅を閉じているし、すぐに飛び立つような時はどこかにとまっていても翅を開いていることもある。チョウとガの違いは翅を開いているかどうかではなく、に注目してほしいんだよね。


 一般にガと呼ばれる虫の多くは、前翅で後翅を覆うように翅を閉じるんだ。分かりにくければ、クワガタの翅を想像してみて。クワガタの翅は、硬い前翅が薄くて軟らかい後翅を覆うように閉じるよね。あれと同じような感じで、翅を平行に動かして閉じている。

 一方で、チョウは翅を垂直に閉じる。アゲハチョウとかを思い出してもらったらいいんだけど、翅の表同士がくっつくように閉じているよね。これが「チョウとガの違い」の一つ。でももちろん例外はたくさんあるし、さっきも言った通りその時々によってとまり方は様々だから、翅が垂直に閉じてないからガだ! みたいな決めつけダメ。



 次によく言われるのが「ガの鱗粉には毒がある」ということ。これもまあ、微妙なところだよね。ガはチョウに比べて鱗粉や毛が多くてモフモフしてるから、まわりを飛ばれたら鱗粉がかかりそうでやだとか、なんか害がありそう、って気持ちはわからなくもないけど……っていうかあたしはそのモフモフが好きだからやっぱりその気持ちはわかんないや。

 実は、鱗粉に毒があるっていうガはほとんどいません。ていうかたぶんいないんじゃないかな。そもそも鱗粉の役割は水をはじくこととメスを引き付けることだから。でも人によっては花粉みたいにアレルギー反応を起こすことはあるから気を付けて。

 ガの成虫を触ってかぶれたっていうのは、鱗粉じゃなくて毒針が刺さったから。ドクガの仲間とかは幼虫の時の毒針を体につけたままにするから、それが刺さってかぶれるらしい。生き抜くための戦略だね。

「毛虫にさわるとかぶれる」っていうのも微妙なトコロ。毛虫って明らかに「触るなやきさん」って感じがするけど、これも同じく毒を持っているのは一部だけ。逆に毛が目立たないような幼虫でも毒針を持っているのもいるから、毛虫だからって毒があるわけじゃないし、毛がなくてもかぶれる場合もあるわけ。ま、よくわからないなら触らないに越したことはないっちゃんね。



 そうだ、「チョウの幼虫は芋虫、ガの幼虫は毛虫」っていうのもよく言われるけど、これも正確じゃないねぇ。まあ、チョウの幼虫はイモムシ系――体に目立った毛がない幼虫だというのは(一部例外を除き)言ってもいいかな。ツマグロヒョウモンの幼虫とかは体に突起がたくさんあるケド、毛むくじゃらってほどでもないし。

 一方で、ガの幼虫はケムシというのは間違いだね。反例は皆さんもご存じシャクトリムシ。ぴょこぴょこ進む様子が愛らしいシャクトリムシだけど、あれはシャクガというガの幼虫だよ。あとはスズメガの仲間とか、絵描き虫として知られる葉の中で育つガの幼虫もイモムシ状だね。思い返してみるとケムシってドクガ類やイラガとかだけで、鱗翅の中でもごく一部だなぁ。

 そもそもね、イモムシってのは芋の葉につく虫って意味なんだって。その虫ってのはさっきも挙げたスズメガっていう、ハチドリみたいにホバリングしながら花の蜜を吸うガの仲間。ね、ガの幼虫は毛虫っての、語源からして違うでしょ。



 あと一つくらい……そうだ。あたしが一番「なんばいいよっと? ぶちくらすぞ?」って思うやつが残ってたよ。「チョウは綺麗なのにガは汚いよね」ってやつ。あたしの前でうっかり口を滑らせでもしたら、ただで帰れるとは思わないことだ……。


 あたしは基本的にどの鱗翅も好きだケド、それはとりあえず置いておいて……。まず、チョウは綺麗な色や模様をしているっていう幻想を打ち砕いていこう。

 セセリチョウっていうチョウがいる。モンシロチョウより小さくて、シジミチョウより大きいくらいかな。飛ぶのがバリ速くて、翅の畳み方も戦闘機みたいでバリかっこいいチョウ。でも色は薄茶色というか褐色というか、あんまりパッとしない地味な色をしている。

 ていうかさ、モンシロチョウだって別にそんな綺麗じゃないでしょ。真っ白なだけだよ? シジミチョウだって、あんまり発色の良くない種類も多いし。あたしはそれぞれのこういうところが好き、綺麗って言えるけど――モルフォとかトリバネとか、日本だとオオムラサキとか、派手で綺麗なチョウだけ見て「チョウは綺麗」っていうのはどうかと思うね。


 じゃああたしの一番許せない「ガは汚い」について……は次回にしよっかな。これについては、書き出したら”無限”やけんね。

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