第14話:瑠璃の名をもつもの

 色というのは、モノをとらえるうえで重要な形質の一つだ。

 大きさ、長さ、重さなどといった情報は他のモノと比較されることで表現される。オオスズメバチはスズメバチの中でも大きいからオオスズメバチという名前がついているわけだが、カブトムシやアゲハチョウよりは小さい。

 一方、色というのは感覚でとらえられる。デジタルではRGB値という数値で表現されるが、人間が判断する際は自分の知っているものに近い色で表現される。そのため、同じ色でも人によって表現の仕方がかわる。『私とあなたの見ている夕日は同じ色か』ということでもあるし、ある色を「緑色」と言う人もいれば「青緑」と言う人も「孔雀色」「碧色」「青銅色」と表現する人もいる、ということでもある。


 さて、色の名を冠する昆虫というのは数多いるわけだが、その中でも高貴で麗しいと思う色が「瑠璃色」だ。ああ、もちろん美しい色をした昆虫は瑠璃色に限らない。だが、格調でいえば瑠璃色というのは高位の色だろう。真珠の耳飾りの少女で有名な画家・フェルメールは美しい青色の絵具を使用した絵画を作成し、この色は「フェルメールの青」とまで呼ばれているが、この絵具の原料はラピスラズリ――日本語で瑠璃と呼ばれる鉱石である。


 そもそも、自然界において青色というのは特に希少な色なのだ。その理由は様々で私もあまり詳しくはないが、青色を反射するということは生物にとってコストがかかる、もしくは不利益なのだろう。

 理科の授業で習うことだが、光には様々な色の成分が含まれており、どの色を反射しどの色を吸収するかでそのモノの色が決まる。葉っぱが緑色に見えるのは、緑色の光を反射しているからだ。付け加えると、吸収した赤色や青色の光のエネルギーを利用して植物は光合成をおこなっている。

 詳しい説明は省くが、青色の光は波長が短くエネルギーが大きい。紫外線やブルーライトが身体に悪いと言われるのは、エネルギーが大き過ぎて組織や細胞を破壊してしまうからである。逆に、植物の様に光エネルギーを利用している生物にとっては、上手く扱えれば栄養満点の餌になる。



 ルリ、と名の付く昆虫は数多く存在する。しかし、実際の色がそうとは限らない。ルリタテハやルリボシカミキリといった虫は確かに美しい青色をしているが、瑠璃色というよりかは水色だ。ルリハムシの中には綺麗な藍色がでるものもいるが、金属光沢が強く色そのものがあいまいになっている印象がある。和名におけるルリ色とは、美しい青系統の色、もしくは金属光沢のある形容しがたい色(ある意味虹色かもしれない)に対する色であるように感じる。

 そのようなバッタモンが多い中、今回私が話そうと思っているルリジガバチ(ヤマトルリジガバチ)のルリ色は光沢を持った深みのある青色で、また個体によっては発色が非常によく、まさしくラピスラズリ瑠璃色と呼ぶにふさわしい体色をしているのだ。


 私が初めてこのハチに出会ったのは、例の友の会の活動で大阪は箕面山へ行ったときのことだった。

 箕面山は東京の高尾山や京都の貴船と並び昆虫採集の聖地と呼ばれている。湿潤な森林環境で昆虫の種数や個体数が多い、都市近郊のためアクセスしやすいなど理由はたくさんあるが、簡単に言えば「めっちゃええとこ」だったわけだ。残念ながら箕面山に関してはその面影はほとんど見られず、目当ての虫の種類によっては不毛の地と化している。

 また、箕面は観光地だ。現在は電動式になってしまった箕面大滝は季節を問わず観光客が訪れるし、秋の紅葉も有名である。中腹には瀧安寺や勝尾寺といった寺が鎮座しているし、麓の箕面温泉は関西人なら誰でもCMを口ずさむことができる。


 そんな観光客がたくさんいる参道を、虫あみを持った子供がぞろぞろと歩く光景はさぞ奇怪に見える……と思いきや、日々様々な採集者や自然観察会が訪れているので意外と馴染んでいる。この間一人で採集に行ったときはすごく変な目で見られたけど。ここは虫採りで有名だということを知らない、教養のない人が増えたのだろう。決して私が不審だったわけではない。

 滝まで進み、大休止をとる。この日は水量が多く、瀧周辺がかなり湿っていた。というかびちゃびちゃだった。しぶきを避けるようにトイレの影に隠れたとき、私はこの美しいハチと出会ったのだ。


「うわあ、綺麗……」


 キラリと光を反射して飛行する姿は水しぶきのきらめきより美しく、まるで本当に宝石ラピスラズリが飛んでいるかのようだった。慌てて追いかけ、捕まえてよく見てみると、その色の美しさに息をのんだ。


「これはルリジガバチというハチだよ」


 引率の学芸員さんにその名前を教えてもらう。美しい名だ。前回登場したアメリカジガバチと同じジガバチの仲間だが、全身がくまなく瑠璃色をしているのはルリジガバチだけだ。

 トイレの周りをよく見まわすと、他にもルリジガバチが飛び回っている。といってもハエや糞虫のように老廃物に集まってきているのではない。


「ああ、ここに巣があるね」


 トイレの外壁と屋根との角の部分に、黄土色っぽい泥のかたまりが張り付いていた。よく見ると小さな穴の開いている場所がある。時折ハチが飛んできて、周囲で何かをしてまた飛び立っていく。


 ハチの巣には大きく3種類あり、地面や木などに穴を掘るタイプ、樹液や花の蜜を固めて巣をつくるタイプ、そして泥を固めて巣をつくるタイプだ。ルリジガバチをはじめ泥で巣をつくるハチは多く、ちょっとしたぬかるみの前で待っていると様々なハチが泥を集めに来る光景を見ることができる。この時は泥の収集場所まではわからなかったが、これだけ滝からのしぶきを受けている環境であるから、泥の収集は容易だと考えられる。

 また、巣をつくりやすいのだろう、トイレや軒下など人工物はハチが巣をつくる場所として好まれる傾向がある。もしくは巣を発見しやすいというだけかもしれないが、ともかくよく見られることは確かだ。我々がフィールドでハチを探す際のポイントの一つである。


 この美しいハチにひとめぼれしたJCスガルだったが、その後しばらく出会うことは無かった。といってもこのハチ自体は珍しい虫ではない。どちらかというと南方系のハチだが、少なくとも関西以南の平地では(都市部より山手に多い傾向はあるが)普通に見られる種だ。

 出会わなかったのは、このころを皮切りに昆虫に触れあう機会が失われていった――いや、自ら捨てていったと言ってもいいだろう。高校入学とともに文化部の皮をかぶった運動部に属した私は平日休日問わず練習に出ていたとか、高校に生物部がなく虫好きの友達もいなかったとか、勉強が――勉強はしてないか。ともかくそうやっていくらでも理由は提示できるが、結局自分の中における昆虫の優先順位を下げていたのは自分自身なのだから。


 大学に入り、再び昆虫への興味を取り戻した私は、ルリジガバチが普通種であることを知る。だが私のルリジガバチへの愛はそんなことでは冷めない。他の多種多様で魅力的なハチと巡り合う中で、むしろその愛は増していくんだよ、不思議なことに。

 今はルリジガバチルリジガバチが生息している全県で採集することを目標としている。とはいえ、今のところ私が採集したのは兵庫・大阪・三重・福岡・鹿児島・沖縄(西表)だけなので、まだまだ道のりは長そうだ。

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