第13話:私がハチ屋になったわけ

 私は今、必死になって記憶の海を遡っている。

 なぜ私はこのような記事を書かなくてはならないのか? 私には記憶がない。記憶はないが記録はある。


『わーったわーった、じゃあこのスガルさまが書いてやろう!』

「お願いね、ス・ガ・ル・さ・ま?」

「くっ……」


 まさかケイがこんな姑息な手に出てくるとは思わなかった。よほど切羽詰まっていると見える。しかし音源を提示されては無碍にもできん。というかあの柔和な笑顔ですごまれたら断るとか無理。


「あー……」


 私は今、必死になって記憶の海を遡っている。

 とりあえずケイに習って、自らの幼少期の昆虫話を語ろうと思ったのだが……。


「あまりないよなぁ」


 虫が好きだとか、虫の研究をしているからといって、子供の頃から積極的に虫を採ったり観察していた人ばかりではない。ケイやマユは子供の頃からの興味が高じて虫の研究をしているが、メグリのように大学生になりたまたま昆虫関係の研究室に所属したため昆虫の勉強を始めたという人もいる。

 かくいう私はといえば、その中間くらい――つまり、昆虫に興味はあったが、本格的に始めたのは大学生になってからだ。それ自体は珍しくない。だが私の場合、何故ハチ屋を名乗っているのか全く覚えていないのだ。


「うーん……ハチはほとんど入ってないよなぁ」


 高校生まで、すなわち私が大学へ行くために家を出るまでの間の標本箱を確認してみる。50個体も無いその標本のうち、ハチはニホンミツバチとセグロアシナガバチ、クマバチの3つだけだ。およそハチ屋とは言えない標本箱である。


 というか、そもそも私はハチが特別好きなわけではなかったのだ。少なくとも高校生までは。

 だいたいだなぁ、最も有名なスズメバチは危険生物の頂点みたいなものだし、当時の図鑑にはたった4ページしか載ってない。最近はハチ専門の図鑑も増えてきたが、私が子供の頃は図鑑の片隅にほんの少しだけしかハチはいなかった。こんなのでどうやってハチを好きになるっていうんだ。


「私がハチを好きになった理由……きっかけ……」


 記憶の奔流に思考をさらし、はじまりの光を求め漂う。


 *


 中高ともに”生物部”というものがなかった私は、学外で自然関係の集まり顔を出していた。いわゆる博物館の友の会というやつで、月一の自然観察に参加していた。昆虫はもちろん、野鳥や干潟の生き物、キノコ狩り、鉱物や化石掘りなど、その内容は多岐にわたった。

 その博物館の昆虫担当の方がハチの専門家だったことは、少なからず私のイマに影響しているのだろう。というかそこ以外、私の人生におけるハチとの接点がない。


「今日は植物園のハチについて調べてみましょう」


 ある年の夏、博物館に隣接する植物園にはどんなハチがいるか調べるという会があった。学術的いまふうに言ってみると、植物園におけるハチ相の調査である。みんなでハチを採ってきて標本にし、図鑑で名前を調べてまとめるということをしたわけだが、この時に初めてハチの採り方というものを教えてもらった。以下は当時教えてもらったハチの安全な採り方である。


 まず、ハチを網に入れるネットインする。まあこれは当たり前だ。

 次に、毒ビン(酢酸エチルという薬剤を脱脂綿にしみ込ませ、密封容器に入れたもの)を網の上からハチにかぶせ、蓋とのあいだで挟み込み、毒が効いて動きが鈍るまで待つ。

 動きが鈍くなったら、今度は直接ハチを毒ビンの中に入れる。この時も直接つまむのではなく、毒ビンですくうようにすればより刺されるリスクを減らすことができる。


 今では、コールドスプレーを吹きかけて動きを止めて毒ビンへ入れる方法を使っている。この方が安全だし早いうえ、暴れて毛が落ちたり寝たりせず、翅もいい感じにまとまってくれるのだ。


 そんな話はさておき、当時は「なるほど、こうすればハチが採れるのか!」と感動したものだ。私だってこの時まで”ハチ=刺す=痛い・危ない=わざわざ採らない”という考えだった。

 そうだ、思い出した。この時までは、飼っていたカブトムシが死んでしまったら標本にするし、セミが死んで落ちていたら標本にしていた。けれど、毒ビンを使って生きた虫を殺して標本にするという行為はこの調査会が初めてだったのだ。

 ハチは飛び回るし、たいした害はなくても刺されれば痛い。だから生きた状態のハチをじっくり見るのって結構難しいんだよ。図鑑の写真も当時はそれほど良いものではなかったし(特にハチに関しては)、細かい魅力にまで気が付きにくいのだと思う。少なくとも私はそうだった。この時までは。


 植物園に行き、花に飛んできているハチをネットイン。ここまではチョウやトンボなどの飛ぶ虫と同じだ。花に集中しているぶん採りやすいかもしれない。

 ここからが未知の世界だ。網の中でブブブと暴れるハチ(確かアシナガバチだったと思う)におっかなびっくり毒ビンをかぶせ、刺されないように慎重に蓋をかぶせて待つ。手にはハチが翅を震わせる振動が直に伝わってくる。それが徐々に落ち着いてきて、手の中の生き物が急速に弱っていくのがわかる。子供ながらにごめんなさいと謝りつつ、動かなくなるまでおよそ15秒ほどを祈る。

 今ではコールドスプレーからの手づかみもするが、中学生の私はいつ息を吹き返すかと緊張で手をこわばらせながら毒ビンの中に、


「うわわ脚が長いからうまく入らない」


 もたつきながらも何とかおさめることができた。初めてハチを採った瞬間であり――初めて虫を自ら殺した瞬間だった。


 *


 ハチというとスズメバチ・アシナガバチくらいしか知らなかった私だったが、この調査会でアメリカジガバチ、ルリジガバチ、オオフタオビドロバチ、エントツドロバチ、キボシトックリバチなどなど、主にジガバチやドロバチというハチを知った。特にアメリカジガバチというハチは私の中で「なんやこれめっちゃかっこいいやんけ」という称号を得た。

 アメリカジガバチは比較的大型のジガバチで、前胸や小盾板、脚部の黄色が目立つ。腹柄節と呼ばれるくびれの部分が細長く伸長するのも特徴だ。その名の通り北アメリカからの移入種で、同属である在来のキゴシジガバチはこの腹柄節が黄色く、本種は黒いことで区別される。泥で壺状の巣をつくり、その巣は時に公園のトイレの壁や家の塀などにもつくられるため、住宅地の周辺でよく見られるハチだ。というかド普通種である。

 しかしながらJCスガルはこのハチを初めて認識したので、ハチといえばスズメバチで停止していた私はいたく感動したのだ。ほっそりとしたフォルム、折れそうなほど細長い腹柄節、なにより黒と黄色のツートンカラーが私には鮮烈に映ったのだ。


 ハチの色と言えば黄色を想像する人も多いかもしれないが、実際はオレンジ色であることが多い。スズメバチの仲間を思い浮かべてほしい。黄色というよりは橙色ではないだろうか。”キイロ”スズメバチも明るめの橙色で、少なくともクマバチのような純粋な黄色ではない。

 一方アメリカジガバチのそれはまさに黄色からレモンイエローに近い色で、黒色とのコントラストが眩しくてさ……もう、ね、感動してしまったわけだよ、JCスガルは。この虫は欲しい! と心から思ったのだ。

 その後様々なハチを見ていく中で、こういった黄色と黒のツートンカラーというのは日本では普通だということを学んでいくわけだが、その始まりはこの時のアメリカジガバチだったのだな。


 お、思ったより記憶がよみがえってきたぞ。そうだそうだ、確かこの時ハチ採集に味を占めた私は、その後の観察会で”ルリジガバチ”というハチに惚れこむことになるのだ――。

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