第11話:熱帯・闇夜の森で4
「モフモフ~。か~わ~い~い~♡」
ほおずりする勢いでヨナグニサンに顔を近づけ愛でるマユさん。その手にはすでに注射器が握られている(鱗翅は普通胸部を圧迫して気絶させ動きを止めるのだけれど、ヤママユガの仲間は胴体が太く胸部圧迫できないため、胴体に直接アンモニアを注射する)。
「この命も、たった数日間なんだねぇ」
別に『うふふふふ……今あたしが綺麗な標本にしてあげるからね……』とマユさんがヤンデレ化した結果の発言ではない。ヤママユガの仲間の成虫は口が退化しており、羽化してからは一切食事をしない。その後は子孫を残すためだけに飛び、数日間で死んでしまう。
大きく美しいその姿も、羽音が聞こえるほど力強い羽ばたきも、たった数日間を懸命に生きる彼らの命の煌めきなのだ。
「えへへへへへ……あたしがその儚い姿を綺麗に――永遠に保存してあげる♡」
「……うわぁ」
意味は同じだけど、予想を上回る言い回しにちょっと引いてしまう。いやまあ結局は僕らも同じことをしてるんだけどさ……。
ところで、今の発言に水を差すようだけれど……このヤママユガしかり、短命というレッテルを貼られているセミしかり、確かに成虫の期間は短い。けれど、生まれてから死ぬまでは短いわけではない。もちろん虫としてね。
例えばTHE・ヤママユガは秋ごろに卵を産み、そのまま越冬する。幼虫はモリモリ葉っぱを食べ成長し、8~9月ごろに羽化し卵を産む。およそ一年の命だ。カブトムシも同じように一年。越冬する形態が卵だったり蛹だったり成虫だったりするけれど、たいていの日本の虫は一年周期で生きている。クワガタとかは成虫になってからもう一年生きるものもいる。
そんな中セミは七年近く生きるのだから、短命どころかめちゃくちゃ長命である。もっともそのほとんどを土の中で過ごすわけで『ようやく空を見れたのにすぐ死んじゃうなんてかわいそう……』とかいう人がいるけど、土の中で生きている生き物なんて星の数ほどいるし特別なことじゃないよね。
「昔『ただでさえ短い命なのに殺すなんてかわいそう』と言われたことがあるのだけれど、答える気力もなかったから黙って”標本学”と”ゾウの時間ネズミの時間”を読むことを勧めたわ」
「的確だねぇ……さすがスミレ」
そして答えてあげないあたりがスミレらしいというか。
*
「お、スットコドッコイ……じゃねえ、アスタコイデス来た」
「ぎゃああああクソデカスピニだぁああああ!」
「やだもー採っても採っても止まらないよー♡ あ、鼻血でそう」
どうでもいいけどこのテンション、最終日まで
「いや、さすがに保たないと思う。特に虫が採れない場合はきついな」
「ほら、昆虫採集って気力で動いてるところが相当じゃない? 日中のスウィープにしろ、ナイターにしろ。トラップ設置だってやる気がいるしさ。あたしなんかこの後宿に戻ってから夜通し
ミクロレピと呼ばれる小さなガの仲間は殺してすぐに翅を広げないと、体が硬くなって綺麗に翅が開けなくなってしまう。翅の模様で種を見分ける際重要なので、こういった長期の採集時は現地で標本をつくる必要がある。
「この後帰ったらたぶん0時くらいでしょお? そこから展翅を始めて……4時には終わりたいなぁ」
「相変わらずミクロ屋は人外だな。とはいえ俺も甲虫の展足やナナフシの内臓抜きとかあるから2時は越えるだろうが」
ナナフシやバッタなど体の柔らかい虫は、内臓を抜いておかないとすぐ腐って色や形が変わってしまう。甲虫は硬いのでそういった処理は必要ないが、持ち帰るまでの破損を抑えるために、脱脂綿の上に虫を並べ紙で包んだタトウというものをつくらなくてはいけない。こういった現地での処置が、後に標本にする際の無駄な破損や手間を省くことになる。
「……約一名は早々にベッドでいびきをかくけどね」
「だって、ハチはそんなことしなくてもいいからな。アゴは開けとくけど、脚とか翅とかそろえても結局ずれるし、どうせ後で軟化して整形するんだから一緒だし。基本そのまま三角紙へポイだ。それに小さいやつは全部液浸にするしな」
虫の分類ごとに標本の作り方も変わる。甲虫は脚をそろえておいてから針を刺すが、ハチやハエはどちらかというと針を刺したあとに脚をそろえることが多い。また、小さな昆虫はエタノールに入れて持ち帰る。乾燥させてしまうと翅や腹部がぐちゃぐちゃになってしまうかららしい。
「あたしが必死に展翅している後ろで『やったぜド珍品のギングチだひゃっほー!』って寝言を叫ばれた日には、枕もとに微針をばらまいてやろうと思ったよ」
「本当にやってはないだろうな……。いいんだよ私は帰ってからが大変なんだから」
三者三様のため息が漏れる。
「さっきの気力の話だけど、だいたい出かける三日前くらいからすっごい行く気なくさない? うわーめんどくさい、って」
「なるなる。あれ絶対なるよな。計画段階ではめっちゃわくわくしてるし、飛行機とかレンタカー予約したときも落ち着かない感じでそわそわしてるっていうのに」
「採集地に着くまで絶対めんどくさい、帰りたいって思うヤツな。俺もあれ自分じゃ制御できんのだが、そこは気力で乗り越える感じある」
「なんなんだろうねー採集地についたら一目散に走っていくのに」
計画を練り、資金を調達し、何時間も移動する。その先にいる虫を採るためだけに。めんどくさいめんどくさいと言いながら、それでも彼らが採集に行くのは、ひとえに虫が好きだからだ。ここならこの虫がいそうだ、あそこの環境が気になる、この島ではまだ見つかっていないから見つければ大発見だ――あれこれ考える時間も楽しいし、実際採集できれば飛び上がるほどうれしい。逆にうまくいかなかったとしても、次こそは、とリベンジマッチへの炎を燃やす。そしてまた採集へいくんだ。めんどくさいと笑いながら。
難儀なものだね、虫屋ってのは。
「そういうキミらはどうなのさ。スミスミもミスターケイももともとそんなに派手に騒ぐタイプじゃないけど、多少はしんどいとかめんどくさいとか感じるんじゃないの?」
マユさんの質問に、僕らは顔を見合わせる。
「そうだねぇ……普段のちょっとした採集に比べれば、こうして遠くまで旅してくる時は煩わしい気持ちもあるにはあるけど……」
「わたしだって、かっこいい虫とか綺麗な虫、変な虫が採れたら喜ぶし、採りそこなった時は落ち込みもするわ。でも、それも含めて楽しみの一つだし、なにより――」
「「一緒に採集しているのが、何よりの楽しみだから」」
「……うわぁ、見事にハモったよこの二人」
「いやはやお熱いことで」
僕らが一緒に採集に行く理由。もともとスミレは自然やフィールドワークに興味があったし、本人も一緒に行きたいと言ってくれていた。そのうち一緒に採集に行くのが当たり前になってしまったけど、結局のところ、一緒にいて楽しいからなんだ。
「ていうかスミレが笑ってるの初めてみたぞ私」
「えっ、そうかな。スミレはよく笑うよ?」
「くっ……これが彼氏の実力……」
なんだか約三名から歯ぎしりとかうめき声が聞こえてくるんだけど……。
「さーて、そろそろ今日は店じまいかな」
そろそろ23時を回るころ。ライトの電池もじきに切れるだろう。
「結局さ、あたしらが採集に行くのって、そういう人種だからとしか言いようがないのかもね」
マユさんがぽつりとつぶやく。
「人種というか、生きざまというか。どれだけ面倒でも毎日寝て起きてご飯を食べて。それと同じなんだよ」
登山家が山を見れば登りたくなるように、読書家が本を見れば読みたくなるように、僕ら虫屋は虫がいる限り、どんなに遠いところにでも出向き採集をするのだろう。
虫屋はきっと、そういう人種なんだ。
「と、いうわけで。さっき飛んできてから誰もがくぎ付けになっているこの大角のコーカサスについて、あたしはまったく譲る気はないよ。だって虫屋だもん」
「もちろん俺だって120mmワイルドは譲れねえな」
「何を言っているの。このライトは私達のものなのだから、このコーカサスも私達のものに決まっているでしょう」
虫を巡って血で血を洗う争いが始まってしまうのも、そういう人種だからなんだ……。
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