第27話:夏のむしとり指南(夜の部1)

 見晴らし台でスミレのお弁当を食べたあと、暑くて溶けそうになった僕たちは近所の博物館に避難した。


「文明の利器……」

「涼しくて気持ちいいねー。とりあえず日が暮れるまではここで涼ませてもらおうか」

「そうしましょう」


 先ほどまでいた森に隣接するこの博物館も、僕が子供の頃から何度も通っている馴染みの場所だ。もちろんスミレとも何度も来ている。というかここの昆虫関係の学芸員も知り合いだし。


「あ? なんか見たことある顔だと思ったらケイとその嫁じゃねえか」


 ほら、さっそく声をかけられた。顔を向けると、茶色に染めたツンツン髪に耳には派手なピアス、よく知らないメタルバンドのTシャツに派手なハーフパンツの上から白衣という、およそ学芸員にしては奇抜な格好をした青年が現れた。


「やあギンくん、お邪魔してるよ」


 ギンくんは僕達と同世代の研究者で、学会で顔を合わせるうちに仲良くなった。好きな虫はトンボだけど、水生昆虫全般を専門としていて、その保全活動も精力的に行っている。


「……その”嫁”という呼び方、いい加減やめてくれない?」


 スミレは彼の声を聞くなり目に見えてしかめっ面になる。どうも彼女にとって彼は苦手なタイプらしい。


「おう、悪い悪い。――ポプラだっけ?」

「何よそれオーダーしかあってないじゃないちょっと近縁なファミリーを選んでくるあたりがなお腹立たしいわねぶっとばすわよ」

「スミレーどーうどう」


 やっぱり今日は外出させるべきではなかったかな……。でも家の中も灼熱地獄だし……。


「そうだそうだスミレだ思い出したわ。いやー昔はケイのガードが強すぎてなかなか話せなかったからなぁ……名前覚えるまでにいたらなかったんだわ」

「……ぶっとばすよギンくん」


 今日はそういう日じゃないんだってば。


「でも嫁の機嫌はマシになったぞ」

「……」

「どーもご配慮ありがとう! でも機嫌を悪くさせたのもキミだよ!?」


 ギンくんは見た目からは想像できないくらいいいヤツなんだけど、見た目通りのお調子者でもあるからなぁ……。


「それもそうか、すまんすまん。まあそれはそれとして、今日はどうしたんだ? 標本調査とかの話は聞いてないが」

「今日はプライベートだよ。家の冷房が壊れたもんで、そこの裏山に涼みに来たんだ。……まあそれでも暑くてここへ避難してきたんだけど」

「なるほどな。まあ今年の夏は異常な暑さだからな……。虫の出が読めないせいで、友の会の行事もなかなか難航気味でつれえところだ」


 ○○を見に行こう系の行事は難しいだろうね。


「ということは、今日はもう帰るのか? 暇なら――」

「いや、夜間採集はするよ」

「――そりゃあいい。そろそろ”アレ”が出てるころだぜ」


 にやりと口の端を上げるギンくん。


「何? カブトムシの時期とでも言いたいのかしら?」

「そりゃカブトムシも出てるけどよ。お前らは今更大喜びはしないだろ。そうじゃなくて、アレだよアレ」

「――ああ、アレかい」


 なるほど、確かにもうアレの時期だ。


「今回は樹液メインで巡るつもりだったけど、街灯もしっかり確認することにするよ」

「おう。車で山頂まで行ってその辺の灯りを探せば、灯火しなくても採れるかもな」


 良い情報を聞いた。これは楽しみだ。


「ねえケイ、アレって何?」


 ギンくんと別れてから、スミレが僕の袖を引いて聞いてくる。


「アレってのはね、夏の盛りにようやく出てくるカミキリ、ヨコヤマヒゲナガカミキリのことだよ」

「ヨコヤマって……ああ、アレね」


 ヨコヤマヒゲナガカミキリDolichoprosopus yokoyamai。7月の終わりごろから8月にかけて出現する大型のカミキリムシで、本州から九州に生息しているが、その生息地は局所的で個体数も少ない。黒地に白の微毛を散布し、斑紋や帯を形成する。黒地に白の模様といえば最もポピュラーなのがゴマダラカミキリだろうけど、ヨコヤマはその比じゃないくらい上品で、その模様も相まってまるで大理石のようだと例える人もいるくらい。

 ブナ帯に生息するのであまりなじみのない虫だけれど、この森の頂上あたりにはブナ帯があるので可能性はある。ギンくんのお墨付きならなおさらだね。


「いつかオオスミは採りに連れて行かれたけれど、ヨコヤマはまだ見たことがないわね」

「僕も大昔に関東に行ったときに見て以来かなぁ。見れるといいね。……まあヨコヤマが飛来するのは遅い時間だから、樹液を巡ってから頂上に行こうか」


 午前中たどった道を、ヘッドライトをつけながら歩いていく。なければ懐中電灯でもいいけれど、虫を採るには両手が空いている方がいいからね。


「ここで、昼間の座標データが役に立つんだよね」


 昼の森と夜の森はまったく様相が違う。一度歩いて覚えているようでも、暗闇の中をライト一つでさまようと結構わからなくなるものだ。でもこうして日中見つけた樹液の木の座標データを記録しておくと、大体の場所は把握できるから便利だ。昔は白いビニールひもを巻き付けたりもしたけど、ちゃんと回収していかない不届き者もいるからね。


「この辺かなー」

「ここよ。木の配置と、この木の形は覚えているわ」


 ――たまにまったく必要としない人もいるけれど。


「どれどれ……おおー」


 昼間は微妙だった樹液も、夜はたくさんの虫が集まっている酒場となっている。


「今日は甲虫が多いわね。クワガタは……ヒラタとコクワ、ネブトってとこかしら。大きさはまあまあね」

「ケシキスイも多いね。小さいけどかっこいいから結構好きな虫だよ」


 ほかにも、昼間もいたカナブンやハナムグリの仲間、あとは……。


「カブトムシって、こんなにいたんだね」


 いつか話したように、僕はカブトムシをほとんど採ったことがなかった。この森にはよく来たけれど、それは昼間のこと。子供の頃は夜の採集なんてほとんどしたことがなかった。大学生になってから夜も平気で活動するようになったけれど、たいていはどこも山奥や標高の高い場所で、ライトをしてもカブトムシがやって来たことはなかった。

 それがまさか、こんな近くの森にいるだなんて。灯台下暗しとはまさにこのことだ。


「まあ、子供が一人でここまで来るのは大変よね」

「この森も意外とうっそうとしているからね。きっとろくな装備もなしにつっこんで、迷子になって泣きわめくのがオチだったと思うよ」


 大人でも迷いそうな森だ。子供が一人で入るには危険だろう。だからこそ、子供が行きたいと言ったら連れて行ってあげてほしいと思う。樹液を巡りながら、僕はふと昔の事を思い出していた。


「――あ、シロシタバ」


 スミレの声で思い出から目を覚ます。


「案外人里近くにもいるんだよね、シロシタバって」


 樹液に集まるガの仲間も色々いるけれど、一番の目玉はカトカラの仲間。カトカラというのはシタバガの属名で、地味な前翅に隠された後翅が赤や青、黄色、白と派手な色合いをしていることが特徴。このあたりの話は18話くらいでマユさんがしてくれているからそちらを参照のこと。18話って何? わからない。


「ライトをすれば向こうから集まってきてくれるから楽だけど、こうして自分から探しに行くのもオツなものだよね」

「自分の足で歩いて採りに行くのがむしとりの本質だもの。それに――」


 スミレが木の洞に潜んでいた何者かを掴んで引きずり出す。


「こういう大物はなかなかライトには来てくれないものね」


 その手に握られていたのは――。


「スミレ、黒いダイヤってまじかい?」

「どこからどう見てもオオクワガタよ」


 色々と奇跡を起こすスミレだけど、今回ばかりはさすがスミレとしか言いようがない。そうか、この森にもちゃんといたんだ……。

 もはや説明する必要もないだろうけど、オオクワガタは日本で一番大きなクワガタだ。野生個体でも大きいものでは70mmをゆうに超えるほどで、大きな内歯を備えた太く内湾する大あごを持つ。黒いダイヤというのはクワガタブームの頃の異常な高値を揶揄した表現だけれど、その呼び名はこの高貴で頑強なクワガタを示すのにふさわしいと僕は思う。


「メスもいたし、繁殖させましょう」

「まじかい!?」

「まじよ」


 さすがスミレ、いとも簡単に見つけるんだからなぁ……。

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