第23話:早春の河川敷で3

 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ (紀貫之)


 *


「大学時代は周りにろくな河川敷がなかったから、河川敷採集ができなくてフラストレーションが溜まって仕方がなかったのよ。私の地元も良好な河川敷環境がありましたし」


 スミレに『人の目の付くところでタバコをふかしながら枯草をばきばき割っている姿は怪しすぎるからやめなさい』とたしなめられたメグリさんは、ざくざくとあし原の中へ入っていく。


「あんたたち、アシでハイイロヤハズ採ったことある?」

「いいえ、ここでは採ったことないわ」

「ハイイロヤハズ自体はどこかで灯火をしたときに偶然採ったと思いますけど」


 ハイイロヤハズカミキリというカミキリがいる。体色は灰褐色で、翅の先が矢筈(矢の末端の弦に番える部分のことで、二又に分かれている)に似ているのでこの名前がついたんだ。タケやササなどの茎の内部を食べて育つ虫で、秋に羽化した成虫はその植物の中で越冬するんだ。


「じゃあそもそも探したこともないの?」

「いいえ、一度探してみたことはあるわ」

「でも、全然見つけられなかったんだよね。出てくるのはせいぜいガの幼虫くらいで」


 ここの河川敷に生えているアシの中にも、ハイイロヤハズを含む様々な虫が潜んでいるよ。といっても僕が以前少しだけ採集したときは、ガの幼虫や羽化殻とか、ハエの集団やアリの巣が見つかるくらいで、まともな虫が採れずすぐにやめてしまったんだよね。飽きっぽいのは僕の悪い癖で、虫屋としての欠点でもあるんだよね……。


「どういうところを探したの?」

「その辺に落ちてる枯れ茎を適当に割っていたわよこの人」

「あーだめだめ。全然だめね。まあそういうところから出ることもなくはないけど……そもそも生きた茎の中身を食べてるんだから、下がまだ生きているものじゃないとだめなんです」


 メグリさんは地面に落ちている枯れ茎には目もくれず、まだ直立して生えているアシの中で上部が枯れているものに目をつける。


「こういうやつがいいわね。茎の途中から枯れていて、かつ煤で汚れたように黒っぽくなっているのが狙い目。こういう茎を割ると入ってることが多いんだけど……これははずれ」

「黒ずんでる茎がいいというのは聞いたことがあるんですけど……。産卵痕がよくわからないので手あたり次第割るしかないのかなって……」

「あー産卵痕はねぇ、なんか黒い横一文字の切れ込みみたいなのがそれです。あれ説明難しいのよね。まあ見つけたら言うから」


 親が木や茎などに卵を産み付ける時にあける穴を産卵孔とか、産卵した痕のことを産卵痕とかいうんだけど、虫の種類によってこれの形が変わるんだよね。例えばコルリクワガタの仲間の産卵痕は(・)こんな感じだし、ニホンホホビロコメツキモドキの産卵痕は・□・こんな感じ。いやこれほんとだからね?

 まあこんなにわかりやすくてかつ面白いのばかりではないけど、虫の種類によって形状が変わるので産卵痕だけで種類がわかるものも多いんだ。


「これは脱出孔よね……」


 スミレが手にしている茎には丸くて小さな穴があいていた。こういうのはすでに虫が出た後なので、割ってみても何もいないか、クモやアリが巣として利用している場合があるね。


「ああ、これこれこういうの」

「どれです? ……これは確かに表現しにくいですね」


 茎に対して垂直に黒っぽいスジのようなものがついている。これが産卵痕のようだけど、これはわかりにくい。


「まあ、痕があったからっているとは限らないけど――っと」


 メグリさんが手でアシの茎を割る。茎の中には削りカスのようなものが詰まっていた。虫が食べた痕だ。


「ビンゴ。とするとたぶんこっちの方に……ほらね」


 食べカスを追って割り進むと、目的のハイイロヤハズカミキリ(成虫)が姿を現した。


「あら、思ったより大きいのね。小指の第一関節くらいはあるかしら」

「もっと小さいと思ってた? もしかして今まであんたたちが割ってた茎、小さすぎたんじゃないの?」

「……」


 スミレに無言で見つめられ、思わず顔をそらす。さすがスミレ、圧がすごい。


「まあ細い茎なら細いなりの大きさのが入ってますけど。今のは偶然すぐ見つかったけど、当たれば次々出るし、そうでなければ『これだ!』って思ったのに全然出ないこともあるのよね」

「あ、出たわ」

「あんた昔からそうよね……」


 *


 

「さて、ハイイロヤハズだけ採ってても芸がないから、もうちょっと他のものも探そうかしら」


 無事目的のカミキリを採集できたところで、メグリさんは別の虫を探すみたい。


「ところで、この辺って最近雨降った?」

「三日前に大雨が降ったわ。あなたのところでも嵐になったでしょう」

「ああ、あの雨ね。じゃあ十分洪水採集できそうね」

「洪水採集?」


 なにそれ。


「あんたホントに何も知らないのね。洪水採集ってのは、雨とかで川が増水したときに川岸に堆積したいろんなものをひっくり返す採集よ」

「掘りとは違うんですか?」

「掘りほど面倒じゃないわよ。枝とかひっくり返すだけだから」


 川岸まで出てきた僕達は、周りを見渡して堆積物がないか探す。


「あそこ、木とか枯草が山になってるけれど、ああいうところがいいのかしら?」

「そうね。ちょっと見てみましょう」


 雨による増水で、流木や上流のアシなどの枯草が流れてきて僕らの背丈くらいまで山積みに堆積している。


「足元気を付けてね、スミレ」

「ええ。ありがとう」


 河川敷の枯草の上を歩いていると、たまに落とし穴のように地面が抜けているところがある。地面の起伏に見える場所が、実は枯草がわしゃわしゃってなってるだけで踏み抜いてずぼっと嵌ってしまうことがあるんだよね。しかもそれがトゲのある植物だった場合……死にます。僕は買ったばかりだったズボンをずたずたにしてスミレに叱られました。


「この辺りをひっくり返してみましょうか。地面との境目にいることが多いから、見逃さないように」

「わかったわ」


 枯草をかき分けるのは土を掘るのより軽い労働で済むんだけど、絡まっていたり軽すぎてすぐ崩れてきたりして、これはこれで面倒くさいんだよね。


「あ、なんかいたなんかい――消えた……!?」

「すぐ下に落ちていってしまうから気を付けなさいね」

「遅いです先輩……」


 地面だと見失ってもすぐ見つけられるんだけど、枯草の隙間に落ちていってしまうともう虚空に消えたも同然で、再び見つけるのは至難の技。特に小さい虫は二度と見つからないよね……。

 枯草の下から見つかるのはほとんどが小さなゴミムシの仲間やハネカクシの仲間で、たまに大きいオサムシや他の虫も見つかる。


「これ、結構見つかるものね。増水のあとって全部流されてしまって何もいないものだと思っていたのだけれど」

「これって土の下で冬眠していた虫が洪水に驚いて出てきたとか、そういう感じなんですか?」

「それもあるのかもだけど、どっちかっていうと堆積物にくっついて流されてきているみたい。だから山の方の珍しいゴミムシとかが見つかったりして面白いのよね」


 このあと枯草の下から色々ゴミムシを採集したり、ヨツボシゴミムシの集団越冬を当てたりマイマイカブリが出てきたりして子供の様にはしゃいだりした。


 *


「もうすっかり春ねぇ。今年もようやく生きる活力が湧いてきたわー」

「あなたは冬場もあちこちに採集に行っているでしょう」

「オフ期の採集とオンシーズンの採集は全然違いますもの。網振らないと体がなまって仕方がないわ」


 肩をぐるぐると回し「じゃあ、またどこかのフィールドか学会でね」と軽く手をあげて別れる。


「桜ももうじき散りそうだね。毎年この時期は少し寂しい気持ちになるよ」

「……私はそうは思わないわ」

「それはどうして?」

「桜の季節が終わる頃、いよいよ虫たちが活動を始めるじゃない。桜の花が散る様子は、まるでこれから始まる虫たちとの日々を祝福してくれているように私は感じるの」

「――さすがスミレだ」


 永すぎた冬は幕を閉じ、いよいよ僕達虫屋の季節がやってくる。桜舞い散る河川敷で、これから出会うことになる昆虫たちに想いを馳せる僕とスミレだった。

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