第2話:飼える王様・カブトムシの話

 小学校のころ、僕はカブトムシを飼っていた。


 きっかけは何だっただろう。確か友達がカブトムシを飼ってて、幼虫が何十匹と育ってしまったから貰ってくれと言われたんだっけ。

 大きな衣装ケースにわんさと幼虫がいて、一部は蛹になっていた。個体密度が高すぎて土の上で蛹化してしまった個体も多く、時たまうぞうぞと動いていた。蛹って動くのか、と驚いたことをよく覚えている。

 そんな感じで、それなりに育っていた幼虫をもらって帰り、近所のショッピングモールのペットショップで買ってきてセッティングしておいたケースに入れた。うにうにと潜っていき、見えなくなる。


 カブトムシの幼虫を飼うのは簡単だ。土が乾燥しないように、日に一回程度霧吹きで水をやること。土の表面にころころとした糞が目立ってきたら土を交換してやること。この二つくらいしかやることはない。


 そうして育った幼虫は蛹になり、無事羽化し成虫へと至った。うまい具合にオスもメスもいたので、適当にペアにして30cm×20cmくらいの飼育ケースに入れていた。

 今にして思えば、この大きさは少し狭かったのかもしれない。というかそもそも、同じケースに複数の個体を入れておくこと自体あまり良いことではない。エサの取り合いになるし、密度が高いことでストレスにもなる。人間でも同じだ。狭い部屋に何人も押し込められて一つの皿を囲えなんて、デスゲームでも始まるのかという感じだ。

 当時はそういった知識もなかったし、オスメス仲良く入れといてあげよ、くらいに思っていた気がする。ヒラタクワガタがメス殺しをするっていう情報は結構「飼い方図鑑」みたいな本に載っていたのだけれど、カブトムシは大抵ペアで入れられていたしなあ。実際カブトムシは比較的穏やかなほうだとは思うけど。


 さて、この状況、実はもう一つ良くないことがある。この個体は全部友達のところで増えすぎたものをもらってきたもの、つまり兄弟である。このままだと近親交配になってしまう。

 近親というのは当然遺伝的に近いわけだ。双子の顔が似ているとか、あらまああんたお母さんに似てきたわねなんていうのも顔を構成する遺伝子が非常に近いからである。遺伝子が近いもの同士で交配すると奇形になったり上手く成長しなかったり、あるいは孵化しないということもある。


 生物の授業で習った人もいるだろうが、遺伝子を発現させるための取説であるDNAというのは、しばしば欠損したり入れ替わったりしてしまう。DNAの配列が入れ替わると、発現する遺伝子も変化してしまう。もちろん生物にはそういうDNAの修正をする機構も備わっており、ほとんどはそれで修正するわけだが、たまに修正されないで残ってしまうものがあり、それが突然変異につながるわけだけど。

 遺伝学においてもう一つ重要なのが、優性劣性である。この優劣というのは発現する形質の優劣のことではなく、両方の遺伝子が存在した場合優性の遺伝子が発現するという意味だ。とはいえ、本来は自分、あるいは種に不利な遺伝子を発現させない、また排除するための機構なのだろう。


 同じ親から生まれた子供は、遺伝的に近い。それはもちろん、欠損や不利な劣性遺伝子も同じように持っているということである。他の遺伝子を持つ個体と交配すれば相手の持っている遺伝子と補いあえるわけだが、同じ欠点を持つ近親で交配するとそれがもろに発現してしまうわけだ。


 小難しい話になってしまったけれど、もちろん子供の時はそんな遺伝子がとか優性劣性がとかは知らなかった。だが、近親交配させるのは良くないということは「飼い方図鑑」などで知っていた。


 *


「そういえば、スミレは子供の時何か虫を飼ってたりした?」


 ちょうどマレーコーカサスのゼリーを交換していたスミレに聞いてみる。


「私は……どうだったかしら。少なくとも私自身は飼ってなかった気がするわ。でもいつだったか、家にスズムシがいたことはあったわね」


 スミレは自分からはあまり昔の話をしない。でもこうして聞いてみると、色々話してくれる。たぶん、あんまり自分の過去に頓着していないんだろうな。


「スズムシかぁ。僕も飼ってたよ。クラスの女の子が増えすぎたって言ってみんなにばらまいてたのをもらったんだよね」

「ふうん。ケイは色々飼ってたのね。――でも、私が知っている限りでは何も飼ってなかったと思うのだけれど」

「うっ、そ、それは……」


 *


 冒頭、僕はカブトムシを飼っていたと述べたが……あれは若干嘘である。

 実際は、ほとんど母親が飼っていたようなものだ。日に一回の霧吹きも、昆虫ゼリーの入れ替えも、たいてい母親がやってくれていた。


 何故だか、僕は昔から生き物を飼えない。飼いたいと思うし実際採ってきたり買ってきたりするのだけど、すぐに飽きてしまう。そしてこれは、カブトムシの幼虫は土の中に入ったままでつまらないとかそういうことではないのだ。温湿度管理が手間なオカヤドカリでも、水槽の中を泳ぎ回る熱帯魚でも、水をやるだけで育つアサガオだって育てきることができない。

 もはやこれは何かの因縁なのだと思って、大人になってからは生き物を飼うことを我慢していた。……今は、スミレが世話をしてくれているから、家に置いたりもするけど。


 というわけで、自分でろくに世話もしていないのに、どこかから新しい婿もしくは嫁を連れて来るのははばかられる。というか絶対「あんた世話もしないで何言ってんの」って言われる。

 しかし、ここで転機が訪れる。


 ある夏休みの朝。僕は一人、家の前で日課のセミ採りをしていた。よくもまあ毎日毎日クマゼミばっかり採って飽きなかったものだと思うが、ともかくセミを採っていた。それにしても、日課のように虫採りに行くだなんて、今の僕と同じことをこの時からやっていたんだなぁ。

 ぼちぼち帰ろうかなと考えていると、ヤクルトの人が乗っているような荷台の付いた自転車に乗った、サンバイザーで顔が見えないほど日焼け対策万全なおばちゃんが声をかけてきた。


「朝から元気やねえ。虫好きなん?」


 そりゃ虫かごぎちぎちにセミを採っている子供が虫嫌いなわけない。サンバイザーに威圧されながら、うん、と頷くと、


「ほんならこれあげるわ」


 といって例の荷台からヤクルトではない黒っぽいものを取り出し、僕の虫かごを勝手に開けてそれを押し込んだ。


「ほんならな。気ぃつけてな」


 とおばちゃんはさっそうと自転車をこいでいった。僕はしばし唖然としたまま見送り、虫かごに押し込まれたものを見るとカブトムシのメスだった。


「どういうこっちゃねん……」


 やったあカブトムシ貰っちゃった嬉しい! とかいう感情よりも、知らないおばちゃんが自転車の荷台からカブトムシを取り出して虫かごにつっこんでいったという現象にただ困惑した。


 ……貰ってしまったものは仕方がない。僕は母親に正直に、


「そこで知らんおばちゃんにカブトムシもろた」


 と言った。

 僕が買ってきたわけでもなければ、貰ってきたわけでもない。あのおばちゃんが押し込めていったのだ。もう返すことはできないし、野山に離すわけにもいかない。仕方がない。これは仕方がない。仕方がないことだったのだ。


 こうして近親交配は一部免れることとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る