第36話:春のきざしと終わらない始まり
修士1年の3月、あたしはスガルンと早春のフィールドに出ていた。
「はぁ~、ついた~!」
山頂の草原へ着くなり、あたしは体を投げ出して地面に寝転ぶ。ときおり吹く風はまだ少し冷たいケド、大気と接するお腹と大地に接する背中からじんわり暖かさを感じる。
「ほらほら、スガルンも寝転がりなよ! お日様が気持ちいいったい!」
「ああ……」
こんなにいい天気なのに、あとから地面に座り込んだスガルンの周りだけ、まるで間伐の行われていない人工林の林床のように薄暗い。リフレッシュに連れ出したつもりだったんだケド、その効果は見ての通りっちゃんね。……逆にこの陽気でその暗さを保ててるのマジすごい。
「もー、フィールドに出てるときくらい忘れなよ! 今日ほとんど虫採っとらんとね」
「そうは言っても……」
「ホント、普段はウザいくらいテンション高いくせに、一回凹みだすとこうなるけんめんどくさい」
「だって……」
はぁ……と、もう数えるのも面倒になるくらいのため息を吐く。こっちがため息つきたいっての。
「いい加減切り替えなって! そんなんじゃ先に進めないよ。――たかだか一回リジェクト食らったくらいで」
*
リジェクト。
それは研究者が聞きたくない言葉の最たるものだと思う。この言葉が書かれたメールが来ることで、期待は泡となってはじけ、世界は闇に包まれ、やけ酒からふて寝へとつながる。
リジェクトとは何か、という話の前に、研究者の仕事と論文についてまとめてみよう。
研究者としての仕事は主に4つ。
一つめ、問題を解決するための研究を計画すること。例えば、
二つめ、計画を実行し、調査や実験、解析を行うこと。
三つめ、結果を考察し、問題を解決すること。
そして一番重要なのが、四つめの研究を論文にまとめ投稿し、世界に公表すること。どれだけすごい研究をしてても、それを公式に発表しなければなんの価値もない。論文として発表することで初めて、誰もが研究結果を知ることができるようになり、世界に貢献できるというワケ。
つまり、研究者の存在意義というのは論文を出すことでしか認められず、論文を出さない者は研究者ではない、ということ。あたしもセンセイには『論文を出すことでしか研究者は認められない』とよく言われるし、スガルンも言わずもがなだ。
論文を書き上げると、あたしたちは
そしてリジェクト。|Rejectは不合格、却下などという意味で、この界隈では「掲載不可」のこと。つまり、あなたの投稿した論文は私達の
「リバイスまでは行ってたのに……なんでだよ……」
ラボでデロデロになりかけているスガルンを見つけて、慰めるために飲みに行ったら本当にデロデロのゲロゲロになったのが先週のこと。しばらく観察してたケド、ずっと虚空を見つめて虚無ってたので、今日は近所の山に連れ出した、というワケなんだケド……。
「まあ、そういうこともあるって」
スガルンの場合、4ヶ月で論文が返って来て(まあまあ早い)、
「やっぱり私なんて駄目なんだ……研究者向いてないんだ……」
スガルンに限らず、あたしたち院生なんてみんな悩んでる。卒論計画する時点で向いてないと思い、実験や解析がうまくいかなくて向いてないと思い、うまく考察ができなくて向いてないと思い、論文としてまとめるのが大変で向いてないと思う。それでもなんか最後はうまく卒論としてまとまっちゃって、あれあたし研究者向いてるんじゃない? とか思っちゃうワケ。まあ卒論なんて練習みたいなもんだし、センセイの力もあって最後にはなんとかなるっちゃけど。
そしていざ院に進学すると、やっぱり向いてないと思うんだケド、もう逃げられない。若いうちの業績は大事だし、院のうちに論文1本くらいは出せないと、と焦りつつ、でも書けないから向いてないと思うんだよね。で、せっかく書けたのにこうしてリジェクトを食らうと、このように思考がマイナスにフリーズして虚無るワケ。
「ま、まあ、いいレフェリーコメントももらったんでしょ? 面白い研究だから今後も頑張って、って」
「面白いと思うなら載せろよ……」
「まあそうなんだケド……」
たとえリジェクトされたとしても、その分野の研究者に査読してもらうということはとてもいいこと。自分の研究をはじめて客観的に評価してもらえるわけだし、査読者のコメントに答えることで、その論文は今以上にいいものになっているはずだから――というのは紛れもない事実だケド、こう思わないとこころがしんどいというのもあるよね……。
「いいよな……マユは」
「なにが」
「だってもう1本受理されてんだろ」
「まあ……」
「私も分類したかったな……すぐに書けるし、リジェクトなさそうだし」
「――はぁ?」
きさん何言いとらすか。くらすぞ。
確かにスガルンの言う通り、分類における記載論文は普通の論文と違う。記載論文は、イントロでその分類群の過去の変遷を書き、そのあと種の記載(体長や色だけでなく、頭幅や縦横比、毛の色、爪の形状など、形態的特徴を事細かに記し、生態やホロタイプの産地も記す)をして終わりだ。考察とかないし、それに導くストーリーをイントロで考える必要もない。サンプル数が足りなくて追加実験とかもないし、当然実験に失敗することもない。
さらに、種を記載するのにフィールドワークすらいらないこともある。1種だと思われていた種が実は何種かに分かれるかも、という場合、標本自体はすでに十分あることも少なくないので、それを使えば自分で採集にいかなくてもいい。まあたいていDNA抽出用とかなんとかで新鮮な個体が必要になるんだケド。
つまり、種記載の論文なんてのは1日あれば書けるワケ。極論だけどね。
だからと言って、種記載が簡単なことなのかというと、まったくそんなことは無い。
まず、それが本当に未記載種なのか、という疑問が常に付きまとう。不用意な新種の乱立は混乱を招くし、特に分類学者は多かれ少なかれ過去の研究者のそういう所業に苦労させられている。まあ、黎明期の研究者がたくさん発表してたたき台を作っていてくれてたからこそ、今こうして分類できてるという面もあるケド。
加えて、その種が日本では未記録だけど、海外では記載されているという可能性も十分ある。そういう場合海外の論文も検討しないといけないんだケド、古い昆虫の記載文は電子版はおろか地方同好会誌みたいなものに載っている場合もあるので、とにかく文献探しが大変。今どき、ネットで検索してもろくに出てこない重要文献がごろごろあるとかどうかしてるよ。
さらに、既知種とはどうも違うようだけど、論文の情報からは判断できないからホンモノを見たい、という場合ももちろんある。昔の記載文は2行で終わっているものとかもあり、ホントいい加減にしろって感じ。標本を見るために博物館を国内・海外問わず渡り歩く必要があったりする。こうやって何度も何度も確認して、それでもやっぱり新種だ、ってなってようやく記載論文を書くことができる。
つまり、記載論文だって死ぬほどめんどくさいプロセスを経て書き上がっているワケ。だから、今の発言には怒らなきゃいけない。
「そげんこと、本気でいいよっと?」
「――すまん。私が落ち込むのは勝手だが、人のせいにするのはよくなかった」
「うん」
ざざーっ、と私たちの間を春風が突き抜けていった。
「また次のジャーナルに投げればいいよな。どっかは拾ってくれるだろうし」
「スガルンの研究なら国内誌は余裕だろうし、もうちょっと粘ってみなよ」
「どうせ学振には間に合わないしな。じっくりやっていいところに拾ってもらうよ」
「そうそう、そのいきそのいき」
ざっ、と網をもって立ち上がるスガルン。
「そうと決まればまずはむしとりだ! この瞬間を楽しまないとな!」
「――単純なんだから」
やれやれ、さっきまでの暗さはどこへやら。あたしはため息をついて、むしあみ片手に陽気に駆けていくスガルンをしばらく眺めているのだった。
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