第3話 薫との再会
「ふわあ」
次の日の朝。たっぷり七時間の睡眠を取ったのにも拘わらず、ずっしりと身体が重かった。
疲労が抜け切れていない。たぶん、昨日の出来事のせいだと思う。今日は授業中の爆睡は決定だ。
あの後、みーちゃんからメールが来た。
『さっきは、ごめんねー』
……なんだよ。あれだけ理不尽に不機嫌で、俺の言うこと全てシカトしていたくせに「ごめんね」の一言だけかよ。
何か割り切れない思いでもやもやしながら携帯をいじくっていると、みーちゃんからのメールにはまだ続きがあったことに気がついた。
『一つ言い忘れたことがあったんだ! 明日の午後六時からの歌番組『どたキャン』に出るんだよ! たぶん私たちが出るのは六時二十分頃だと思う。仕事しながらでも見てくれると嬉しいなー』
俺はそれを見て驚いた。
凄いな『どたキャン』に出るんだ。
『どたキャン』とは『どたんば! 歌のキャンパス 生放送!』という歌番組のことで、この番組に出れば、超一流と約束されたも同然と噂される怪物番組だ。というか、なぜ今まで『Weight less』が出演出来なかった方が不思議なくらいだ。俺は
『絶対見るよ。緊張すんじゃねーよ』
とたっぷり三時間くらい掛けてから返信した。
あやうく返信するのを忘れて寝てしまうところだったが、すんでのところでそれは回避した。俺も少しは学習するのだ。
その数秒後すぐにみーちゃんから即返信がある。
『緊張なんてしないっつーの! 番組から耕平に合図するからね! お楽しみにー』
おいおい。公共の電波を私信に使って良いのかよ。
ま、ともかく、みーちゃんの機嫌だけは、ごきげんはっぴーになったようだ。とりあえず、それだけは分かってほっとしていた。
さて、もう一人の方だけど、こちらは相変わらず不機嫌なままだった。
というか、そもそも俺にはケイが不機嫌になる理由がさっぱり分からない。朝起きて
「……、ケイ朝だぞ。おはよう」
と言っても
「……」
と背中向けられたまま無言で返されるし、通学するために『すおう』から出るときに
「んじゃ行ってくる。出かけるときは戸締まりをしっかりしてな」
と言っても
「……どうぞ勝手に行ってらっしゃいナ」
と変な日本語で送り出される始末。
仕方が無く、俺は自分一人で『すおう』の戸締まりをして、出かけることにした。なんだってんだよ、もう。
まあ、しょうがない。頭を切り換えよう。
外に出ると真っ先に目に入ってきたのは『すおう』の向かいにあるコインパーキングだ。
昨日竜也の指摘があったサッカーボールの跡のある車は今日もあった。
なるほど、持ち主は泊まりだったみたいだ。
コインパーキングにおいて夜間は日中より割引率が高い。だから一晩中停めて置いても不自然さはない。
ましてレンタカーを借りてわざわざ船橋の地に来ている人間だ。用事が済むまで置きっぱなしということでも不思議はないだろう。
そう納得した俺は駅に向けて歩を踏み出す。俺の通っている高校は、習志野にあるので、船橋駅まで行って電車に乗らなくてはならないんだ。
と、その時、俺は思わず「あ」と声を漏らした。
コインパーキングのその先に見覚えのある人影を見つけたのだ。
その少女も俺の姿に気付いたようだ。口が「あ」の形で固まっている。
その片側ポニーテールが印象的なその少女――あの日以来『すおう』に来なくなってしまった少女、薫がランドセルを背負ってそこに居た。
薫も登校途中なのだろう。薫は、俺と目が合うとばつが悪そう顔をして、すぐさま踵を返して走り去ってしまった。
一声を掛ける隙もない。
薫の走り去る背中を見ていると、頭の中であの日の出来事がプレイバックされる。
そう、薫が大泣きして『すおう』から逃げ出したあの日の出来事が。
心の中の小さな棘が動いて、ちくりと刺さった。
薫はもう『すおう』に来ないんだろう。
それは仕方がないのかも知れない。
あんなにショックを受けた後じゃ、おいそれと来ることは出来ないだろう。
でも、他のお店で万引きとかしなければそれでいい。
他人の気持ちを分かるようになってくれれば、それでいい。
人は千差万別だ。百人の子どもがいて、その百人と仲良くすることは恐らく無理なんだと思う。
どうしても俺と相性の悪い子どもだっているはずだから――
俺はそう思うことにした。
はっと気が付いたら放課後だった。
覚えているのは、昼飯を学食で食った時だけ。
授業中はひたすら寝て、休み時間もひたすら寝ていた。
え? 授業中は寝てばかりじゃないかだって?
失礼な。寝ている状況しか描写していないから、そう思えるだけだ。
だって授業を受けている描写を延々と続けても面白くないだろ?
だから必然的に寝ている描写だけになるんだ。
うん、本当だって。本当……。
ともかくも今日は授業中『たまたま』寝てばかりいた。
今日が、あまり厳しくない先生の授業ばかりだったということもあるのかも知れない。
途中、コキンとなにやら会話を交わした気もするけど、それすら夢うつつだ。
だけど、おかげで元気になった。身体中に百二十パーセントの力が漲っている。今日は仕事がいつも以上に頑張れそうだ。
船橋駅を下車して『すおう』に帰る道すがら、大きく背伸びをして空を見上げた。
今日は快晴。気候も寒くもなく暑くもなくちょうど良い。
睡眠も十分に取れたし、非常に良い気分だ。
船橋駅から『すおう』までの道のりは約十分。その途中、小さな商店街と住宅街を抜けることになる。
住宅街の中にぽつんとある児童公園を抜けるとほんのわずかなショートカットになる。
その公園を歩くのは俺のお気に入りのルートだった。
公園を抜けると裏路地に入り、そこから二分ほどで『すおう』だ。
そしてその途中にあるのが、今、子どもたちの間で絶賛話題沸騰中の『呪いの館』である。
『呪いの館』は八階建ての空きビルだ。
確か、元々は健康センターみたいなものだったという記憶がある。
だけど健康センターだったときの面影はすでになく、看板は外されて、外壁は風化して所々剥げ、金属の部分は錆び果てている。
なるほど、『すおう』に来ている子どもたちが言うようにビルを囲んでいる塀の上には、禍々しい有刺鉄線が張り巡らされている。
鍵が掛けられてしまったと言う裏口はどうなんだろうか。
そう思って、その裏手に視線を巡らせた時、俺は不審な車と人影を目撃した。
普段、車なんか停車されないその場所に、グレーのワゴン車が横付けされていたんだ。
そしてその車に、一人の男が肩を貸すようにして、もう一人の男を乗せようとしているところだった。
肩を貸されている男は、足を怪我しているようだった。
アスファルトに右足をつく度に、苦痛に顔を歪めていたからその見立ては間違いないと思う。
更にもう一人の男が、空きビルの裏口の扉から出て来た。
そう、子どもたちが「鍵が掛けられてしまった」と嘆いていた、その扉からだ。
新たに現れた男も苦痛に表情を歪めている。彼は両腕を痛めているようだ。
その極端に腕を使わないで車に乗り込むその様子からそう推測した。
負傷した男二人をワゴン車に乗せた後、付き添いの男は裏口の扉の鍵を閉めることもせず、運転席に乗り込み、車をスタートさせた。
どういうことだ?
俺の頭の中にはハテナマークが後から後から浮かんできて、破裂しそうになる。
あの男たちはなぜ『呪いの館』から出て来たんだ?
そしてなぜ怪我をしている?
そしてなぜ、救急車を呼ばない?
俺は呆然とその場に突っ立ったまま、走り去った車を見送っていた。
車のナンバープレートは『わ』ナンバーだった。
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