第3話 みーちゃんの恩返し

 俺はおもむろにテレビに近づくと、スイッチを入れた。

 ブン、という音がして、画像を結び始めるテレビ。

 部屋の壁に掛かっている時計を見上げると、六時十四分を指し示している。

 時間としてはばっちりだ。

 あとはタイミングが合うかどうか。

 リモコンを操作して、チャンネルに合わせる。

 その様子を見て、良太は「あ」と声を上げた。

「そうか! 姉ちゃんか!」

 どうやら良太は気が付いたらしい。

 テレビ画面にはきらびやかなステージで、軽快なロックを奏でる五人組の姿が映し出されていた。

 今人気のロックバンド『Rock Rock Bee(ロツクロツクビー)』だ。

 そのグループは俺も好きで良く聴いている。

 そう、この番組は生放送の音楽番組『どたんば! 歌のキャンパス、生放送!』、通称『どたキャン』と呼ばれる歌番組だ。

 俺はこの前、みーちゃんに『どたキャン』に出演するよ、と聞いた。

 そしてそれは六時二十分頃らしい。

 もしこの時間帯に控え室に居れば、連絡を取る手立てはある。

 だけど、控え室に居なければそれはアウトだ。

 俺は携帯電話を手に取り、そしてみーちゃんの番号に掛けた。

 電源は切られていないらしく、呼び出し音は鳴る。

 一回、二回、三回……。

 むなしく呼び出し音は鳴り続けるだけだ。

 四回、五回、六回。

 呼び出し音が繰り返される度に、焦燥感が雪だるま式に増えていく。

 暑くもないのに、汗が額を伝うのを感じる。

 七回、八回、九回、もう無理か、と諦め掛けたところで、かちり、と音声が切り替わるのに気が付いた。

『やっほう! ごっきげん、はっぴぃ! 耕平どうしたのっ! 電話なんて珍しいっ!』

 物凄いテンションのみーちゃんの声が携帯電話から俺の耳を貫いた。

 俺は思わず携帯を耳から離す。

 みーちゃんの後ろの方から「なになに! 彼氏?」「こうへい君って言うの?」とかキャピキャピした声が聞こえてくる。

 恐らく『Weight less』の仲間なんだろう。

 それについては、後でみーちゃんが否定してくれるんだろう。とりあえず、今回はスルーしておくことにする。

「みーちゃん、実はお願いしたいことがある。……と言ってもとんでもなく、失礼なお願いだ。場合によってはみーちゃんのアイドル人生に関わることになるかも知れない。断ってくれても構わな」

『いいよ!』

「はい?」

 ゼロコンマ一秒で即答だった。逆にこちらが戸惑う。

「俺、まだ何にも言っていないけど」

 受話器の先からくすりと笑う声がした。

『耕平ってさ、小さい頃から一人で何でもしちゃって、さ。でもね、私は耕平に何かしてあげたかったんだ。小さい頃からずーっと。耕平、私のぬいぐるみが無くなった時の事、覚えている?』

 覚えている。

 みーちゃんが片時も手放すことがなかった、うさぎのぬいぐるみがある日なくなってしまったんだ。

 俺はみーちゃんと一緒に丸一日掛けてそれを探したことがある。

『あの時、耕平はさ。泣いて上手く言葉も喋れない私から、何とか手がかりを引き出して夜遅くまで探して、そして見つけてくれたよね。親に怒られるのも構わずに。私、あの時から耕平に何か恩返しをしてあげたいってずーっと思っていたんだよ』

 みーちゃんはそう言って言葉を一度切った。

『だからね、一度だけなんでも言うこと聞いちゃうよ! それが例え、どんなお願いでも!』

 みーちゃんの後ろから「きゃあああっ! なんでも言うこと聞いちゃうって!」と黄色い声のテンションがマックスになった。

 ……俺は一度だけのお願いの使い所をひょっとして間違えたかも知れない。

 でも、今はそんなことはどうでも良いんだ。

 ケイの命が掛かっているのだから。

「ありがとう、みーちゃん。じゃあ、お願いする。実は……」

 俺は事の顛末と、みーちゃんへの依頼とを手短に説明した。


 『それでは続いては……今、人気絶頂の『Weight less』のみなさんです!』

 司会が「それでは」で思いっきり溜めて、みーちゃんたちを紹介した。

 とたん、ステージの袖から派手な衣装を身に纏った六人の女性が飛び出してくる。

 彼女たちを包む大歓声。

 『Weight less』の衣装は基本的にウエイトレスの衣装をモチーフにしていると、以前コキンにレクチャーを受けた覚えがある。

 その説明の通り、みーちゃんたちは、カッコ可愛らしい改造ウエイトレス制服に身を包んでいた。

 ステージ中央の司会の立っているところまで到達した彼女らはマイクを向けられる。

 マイクを向けられたのはリーダーの委員長タイプの眼鏡っ娘、石清水(いわしみず)寧々(ねね)だった。

 寧々はマイクを受け取ると『みなさん、こんにちはー! 今日は歌の前に遙香から一つお願いがあります! それでは遙香どうぞ!』

 そう言ってマイクをみーちゃんに渡す寧々。

 打ち合わせ通りのトークが進んでいないことに気が付いた司会は困惑の表情をその顔に浮かべた。

『みなさーん。こんにちわー! ごっきげんですかー!』

 『ごっきげん、はっぴー!』という野太い声が観客席から轟いてくる。どうやらファンの間でのお約束のようなかけ声なのだろう。

『とっころですがねー。今、こうしているこの時にごきげんでない事件が進んでいます。さっき、私のところに連絡があったのですが、私の友人の女の子が誘拐されたそうなのです』

 ざわりざわり、と観客席から戸惑うようなざわめきが聞こえてきた。

『警察には届けているところです。ですが、私にも出来ることがしたいです。犯人は今まさに車で逃走しています。車は黒のBMW。『わ』ナンバーのレンタカーです。助手席側の扉にサッカーボールの跡が付いているのでわかりやすいと思います。つい十分ほど前は船橋駅中心部付近に居たそうです。テレビでこれを見ているみなさん、情報を下さい。情報は私のブログにコメントして下さい。今日だけコメントロックは解除しています。みなさんお願いします!』

 そう言ってみーちゃん、こと登美丘遙香は深々と頭を下げた。

 そして同時に他のメンバーも頭を下げる。

 その様子を戸惑いながら見ていた観客だったが、やがてざわめきは声援になり喝采となった。

 そして『遙香! 遙香!』のコールが鳴り響く。

 頭をあげたみーちゃんはかすかに潤んだ瞳を人差し指で拭った。

『みんな、こんなわがまま聞いてくれてありがとう。……ごきげん、うれしい』


 ……うん。ありがとう、みーちゃん。

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