第2話 ケイの真実

 お嬢様、というのはケイ様のことです。

 すみません、嘘を吐いていました。

 お嬢様と私は兄妹ではありません。

 お嬢様はサイアム王国現国王の第二ご息女であられます。

 サイアム王国では現政権を追い落とそうとする一派がいるのですが、強い意志を持って政治を行っている国王はそんな一派の揺さぶりには全く動じておりません。

 そんな中、お嬢様が日本にお忍びで旅行に行くことになりました。

 姉上様からよほど日本のすばらしさを訊かされたせいでしょう。

 ケイお嬢様は、日本にどうしても行く、と言ってききませんでした。

 困ったのは我々SPです。

 サイアム王国内でしたら、厳重な警護でお嬢様を護ることが出来ますが、異国の地ではそれが適いません。

 ましてお嬢様自身、「本当の日本を楽しむことが出来ないから」という理由で警護されることを望んでおりませんでした。

 それでやむなく、ボディガードの人数を絞ってお嬢様に同行することになりました。

 同行することになったのは日本語に堪能な私と他三名です。

 我々はお嬢様が滞在する『すおう』を囲むように警備を致しました。

 車で付近を巡回したり、張り込んだりしました。

 また近くにあるあの廃ビルは、二つの意味で押さえました。

 お嬢様を狙う勢力の拠点とされないために、そして我々が周囲を監視するためです。

 この付近で一段高いあのビルはこの周囲を俯瞰するには絶好の物件でした。

「それで『呪いの館』が閉鎖されたのかあ」

 良太は納得したように頷く。

 初めの数日は何事も無く、平穏に過ぎました。

 恐らく、反対派もお嬢様を補足し切れていなかったのだと思います。

 普通考えませんからね、こんな観光地でもない船橋の駄菓子屋に国王の娘が滞在するなんて。

 ですが、とある日を境にして状況が一変いたしました。

 ヤツらに見つかってしまったのです。それは――

「テレビ撮影の時だろ」

 アーシットは俺の言葉に頷いた。

 みーちゃんとあさリンが『すおう』のロケに来た時だ。

 その時にテレビにケイが映ってしまった。

 そしてそれを反対派の誰かが見たんだ。

 反対派は一人の男を投入してきました。

 その男はサイアム王国では『蜘蛛(メンムム)』と呼ばれている男です。

 裏家業の男で関節技を得意としています。

 彼に目を付けられたターゲットは身体中の関節という関節を外されて始末されます。

 その男がこの船橋に侵入したとの情報を得ました。

 我々は今まで以上に警戒を固める一方、お嬢様の移送を考えました。

 その矢先のことです。ヤツは先手を打ってきました。

 我々が一つの拠点としていたあの廃ビルに急襲をしかけてきたのです。

 その時そこに居た二人はあっさりとその足、腕を折られました。

 それなりの格闘経験を積んでいるSPをです。

 私はお嬢様に脱出を促しました。

 初め『すおう』を離れることに躊躇していたお嬢様でしたが、私の「耕平様たちにも迷惑がかかる」という説得に同意して頂けました。

 そしてお嬢様を安全な場所に移送しようとしたのですが……

 アーシットは苦悩に顔を歪めた。

「私たちの乗った車の進行方向に一人の男が飛び出してきたのです。ジャージ姿でニット帽を被った男です。私は人を跳ねてしまったことに動転して思わず外に出てしまいました。それが失策でした。男は『蜘蛛』でした。近づいた私の右足にいきなり腕を絡めると、一気に……折りました。そしてお嬢様ごとその車を奪い、逃走されました。これがついさきほどまでの出来事です」

 ごくり、と大きな音を立てて唾が喉を通りすぎた。

 その音は『すおう』の座敷に響き渡る。

「……ってことはケイちゃんは脅迫の材料にされるってことか」

 竜也がぼそりと呟くように言う。

 それにアーシットは首を縦に振って答えた。

「『蜘蛛』のバックにいるのは間違いなく国王反対派の一派です。お嬢様は人質となって国王への脅迫の材料に使われるでしょう。……あと、これは私見ですが……。国王は脅迫に応じない可能性があるかもしれません」

 え? それって……。

 俺の代わりに良太がその疑問を問いかけてくれた。

「まさか。見殺しにするってこと?」

「いくら強気の国王でも見殺しにはしないとは思いたいです。……ですが、信念のためにあらゆることを切り捨ててきた国王です。実の娘を切り捨てる可能性はゼロではありません」

「そんな……」

 思わずそんな言葉を漏らしていた。

 他の誰もその後は一言も喋らなかった。

 短い間だったけど、濃密なケイとの想い出が俺の頭の中に蘇る。

 駄菓子をむさぼり食っていたこと。

 風呂場を覗いてしまって洗面器をぶつけられたこと。

 一緒にお姉さんの想い出の人を探したこと。

 竜也と一緒に海老川沿いの遊歩道を捜索したこと。

 毎日、一緒にベビースターラーメンの夕食を食べたこと――。

「……俺たちもケイを探そう。何か手がかりはないのか? そうだ! ケイは携帯電話を持っているだろ? そのGPSで」

 俺は居てもたってもいられなくなった。

 アーシットの話によれば、まだ誘拐されて十分も経っていないはずだ。

 とてもこれから来る警察にまかせているだけで、じっとしてなんかいられない。

 だが無情にもアーシットは首を横に振った。

「探す方法はありません。ケイの携帯電話は『蜘蛛』に投げ捨てられました。そのためGPSで捜索することが出来ません。これがそうです」

 画面がひび割れたスマホをアーシットは顔の上に掲げる。

「くそっ!」

 拳を畳に打ち付けた。

 なにか方法はないのか。

 いや、なにかある気がする。

 俺の脳みそのどこかが、「ある!」と高らかに声を上げている。

 それはなんだ! 

 もどかしい時間が過ぎる。

 こういう時、ばあちゃんならどうするんだろう。

 ばあちゃんなら。……ばあちゃん?

 その瞬間、俺の視界にとある物体が飛び込んできた。

 座敷の隅に追いやられていたそれは、なぜかいつも以上に自己主張をしているように思われた。

 こういうときは直感に頼るに限る。

 俺は、そいつを手に掴んだ。

 それは、ばあちゃんがくれた孔明の巾着袋の最後の一つ。

 たぶん、今がこれを開けるその時だ。

 巾着袋の口を閉めてある紐の結び目をほどくのがじれったい。

 覚束ない指先でなんとか、巾着袋の口を開くとすかさず、中に手を入れそして入っているはずの紙を引きずり出す。

 そしてそこに書かれていた言葉は――


『一人で何でもやるな。人に頼れ』


「……なに、これ?」

 俺の様子を肩越しに見ていた良太が呆れた声で言った。

 竜也に至っては言葉もない。

 ……ばあちゃん、これは一体? 

 だけど、ばあちゃんのすることに意味がないことなんて一つもない。

 『人に頼れ』。

 どういうことだ。考えろ。考えるんだ、俺。 

 俺はおもむろに立ち上がり、『すおう』の店舗スペースに向かった。

 そこに陳列している『ボトルラムネ』を鷲掴みにして、一気に包装紙を破り取る。

 そして口の中にその全てを放り込んだ。

「お、おい」

 その様子を見た竜也が心配そうに声を掛ける。

 俺の視界に竜也の心配そうな姿、良太の唖然とした表情、苦痛に呻くアーシットの姿、『すおう』の座敷、コタツ、テレビ、それらが一気に頭の中に流入していく。

 『蜘蛛』、ケイ、アーシットの車、関節技、『人に頼れ』……

 かちり、とスイッチが入った。

「……手はあるかも知れないな」

 ぼそりとそう呟くと、アーシットたちは「え?」と目を丸くして俺を見つめた。

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