第六章 とらわれのお姫様

第1話 狙われたケイ

 薫と道広を家まで送り届けた後、俺と良太は『すおう』まで戻った。

 警察は早速、薫を軟禁した男の捜索を始めたみたいだ。

 ときおり、パトカーのサイレンの音がどこからか聞こえてくるのは、それに関係しているのだろうか。

 『すおう』の前まで来ると、シャッターの前で呆然と突っ立っている学生服の男がいるのに、気付く。

 竜也だ。

「おう、今日は開店が遅いな。どうした?」

 俺は店先で説明するのも面倒くさいので、脇の扉を開けると、何も言わずそのまま竜也の腕を掴み、中に引きずり込む。

「お、おいおい!」

 扉を後ろ手に閉め、俺、良太、竜也で座敷に飛び込むと、俺は気を落ち着けるために息を大きく吸い込んだ。

 何度目かの深呼吸で、ようやく頭に登った血が降りてきたことを感じる。

 そしてコタツの前に座った。

「どうしたんだよ、何かあったのか?」

 尋常でない俺の様子を見た竜也は、心配げに声を掛けてきた。

 俺の頭の中にさっきまでの出来事がリプレイされる。

 脳内に浮かぶそのイメージのまま、俺は竜也に今までの経緯の説明を始めた。

 俺にも頭の中を整理する時間が欲しかったので、竜也に説明することは丁度良い機会だった。

 薫が行方不明になったこと、くじ紙がきっかけになって見つかったこと。

 そして救出した薫が語ったことを俺は竜也に話した。

 薫を助けた後、薫と道広に付き添いながら、家まで送る道中のことを俺は思い返した。

 薫はその時、こんなことを話した。

 私、毎日、『すおう』の前まで来ていたんだけど、ここ最近、不思議に思っていたの。

 だって、良く私の視界にニット帽を被ったおじさんが入ってくるんだもの。

 おじさんは、『すおう』の前を通り過ぎたり、少し手前からさりげなく覗いたりして、『すおう』に何かしらの興味を持っているみたいだったの。

 その行動に不自然さは感じられなかったの。

 でもおかしいと思ったの。たまにその変なおじさんの姿を見るなら、まだ分かるの。

 でも『毎日』なの。毎日『すおう』を観察している私の視界に『必ず』おじさんがいるの。

 私は、おじさんを尾行することにしたの。

 え? 『尾行』なんて難しい言葉を良く知っているなって? 

 コナンくんを観ていればしょっちゅう出てくるの。こんな言葉は常識なの。バカにしないで欲しいの。

 おじさんは初め『呪いの館』に入って行ったの。

 私は入るのは怖かったから、入り口で張り込んでいたの。

 え? 『張り込み』もコナンくんで覚えたのかって? そうに決まっているの。でもいちいち口を挟まないで欲しいの。ウザいの。

 しばらくするとおじさんは『呪いの館』から出て来たの。

 私の張り込みに気付いた様子もなかったから私は尾行を再開したの。

 おじさんはどんどん細い道を入っていって神社に向かったの。

 私の尾行は完璧だと思ったの。おじさんとは間を取っていたし、間に他の人を挟んだりしていて高等技術を使ったの。

 でも、神社の鳥居の内側に足を踏み入れたとたん、私は捕まったの。

 私はびっくりしたけど、声を上げる隙もなかったの。

 おじさんは後ろから私を羽交い締めにして、口を覆ったの。

 そして私を神社の中に引きずり込んでこう訊いたの。

 「Why do you tailing me?」

 だから私はこう言ったの。

 「I had to practice detective team」って。

「英語! なんで英語が分かるの?」

 俺は素っ頓狂な声を上げた。

「分かるから分かるの」

 薫は不思議そうな表情で俺を見返す。

 そんな俺に助け船を出してくれたのは道広だった。

「薫は頭が良くてね……。子ども向けの英会話教室に去年まで通っていたけど、今は大人と同じ教室に行っているよ」

 高校でいつも英語は赤点すれすれの俺としては目を丸くするしかない。

 たいしたことないの。

 でもおじさんは私の事を疑っていたみたいなの。

 それで……顎と……肩と……足首を……。

 薫はそこで関節を外されたときの痛みと恐怖を思い出したのだろう。

 その瞳は涙で溢れそうになり、俯いて口ごもった。

 その年にしては並外れて聡明な薫といえども、やっぱり子どもなんだ。

 俺は薫の背中を優しく擦ってやる。

 ……ありがとう。もう、大丈夫なの。

 ともかく、私はそうして神社の倉庫で寝転がらされていたの。

 おじさんはどこかに電話して、そこで、ケイのことを話していたの。

 「目標は……ケイは必ず捕らえます。それはもうまもなくです」って。

 もちろん英語なの。

 誰か偉い人と話しているみたいだったの。

 薫から訊いた話も含めて、事の顛末を一通り説明し終えると、竜也は目を丸くして、声を荒らげた。

「そんなことが! で、ケイちゃんはどうしたんだ? 今、どこにいるんだ?」

「……たぶん、アーシットと『エンドレス・ワールド』に行っているはずだけど」

 だがそれすらも怪しい話だ。

 ケイとアーシットは恐らく『エンドレス・ワールド』には行っていない。

 その男から狙われている、と知って逃走をしようとしていると考えるのが妥当な線だ。

 と、その時だ。『すおう』のシャッターから何かがぶつかるような大きな音が聞こえてきたのは。

 咄嗟にそちらを振り向いた。

 閉めてあったシャッターは外側から何かがぶち当たってきたように、内側に大きくひしゃげてしまっている。

 俺たちは警戒してしばらく息を潜めていたけど、シャッターにぶつかってきた何かはその後沈黙し、大人しくなったようだった。

 俺は意を決して立ち上がった。

 そしてシャッター脇の扉を開けて、シャッターを破壊した原因を見定めた。

 そしてそこに居たのは

「アーシット!」

 そう、シャッターを壊したのはアーシットだった。

 アーシットは苦痛に顔を歪め、アスファルトの上に転がっていた。

 その右足がおかしな方向に曲がっているのが見て取れた。

 骨が折れているのは明白だ。

「アーシット! どうしたんだよ!」

 俺はあわてて駆け寄る。

 そして俺の脳裏に嫌な予感というヤツがひたひたと押し寄せていることに気が付く。

 アーシットが怪我をしてここに一人だけいる。

 なら、一緒に出かけていったケイはどこにいる!

「……やられました」

 アーシットは額に脂汗を浮かべて、そう呻いた。

「……お嬢様を奪われました。失態です」

 そしてがっくりと顔をアスファルトに付けた。

 その様子を見て俺は携帯電話を取り出す。

 本日二度目になる救急車と警察のお出ましだ。

 船橋警察と消防局には本日は多忙を強いてしまうことになるけど、我慢して貰うしかない。

 アーシットの状態は素人目に見ても完全に骨が折れていることが分かる。

 そんなアーシットを見て竜也は、自らのジャージを掛けてやっていた。

「……怪我すると、体温が奪われるんだよ。こうして暖めてやるのが大事だって、どこかで訊いた」

 なるほど、体育会系ならではの知識なんだろう。

 俺はジャージを掛けられてわずかに落ち着いた様子を見せるアーシットに問いかけた。

「お嬢様ってケイのことか? それに奪われたってどういうことだよ」

 声も切れ切れにアーシットは説明を始めた。

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