第四章 あの子どこの子
第1話 事案の男
駄菓子屋を営んでいると、店が混み合う時間帯というものがいくつかあることに気付く。
その中で最も大勢の子どもたちが来店する時間帯は、やはり下校時間直後だ。
家に帰った子どもたちはランドセルを放り投げてすぐに、遊びに行く。
目的地は公園なのか、友達の家かは定かではない。だが、その内のだいたいは『すおう』を経由して行く。
続いて第二の波が押し寄せるのは、閉店間際、とっぷりと日も暮れた時間帯だ。
それは塾や習い物に通っている子どもたちが帰りに立ち寄る時間帯なのだ。
そしてこの時間帯は小学生以外の客層も増える。
それが中学生や高校生だ。小学生ほど多くはないが、腹を空かしている上に金がない彼らは、駄菓子で腹を満たしにやってくるんだ。
小学生にとって制服を身に纏った中学生や高校生は怖い存在に思えるらしく、彼らが『すおう』にやってくると早々に退散してしまう。
だから店にとっては善し悪しなお客なのだが、別に悪気があって来ているわけじゃないから、そう文句も言えない。ここのところ閉店間際にやってくるヤツもそういう一人だった。
そいつは身長が約百八十センチくらい。制服の上から赤いジャンパーを羽織っており、そして髪の毛は綺麗に丸刈りをしている。体育会系の男子高校生であることは間違いがない。そいつは無骨でほとんど喋らない。
いつも、おもむろに棚に並んでいる『ペペロンチーノ』をつかみ取ると対価の七十円を俺に渡し、そして勝手にお湯を入れて食べる。
『ペペロンチーノ』はお湯を捨てて食べることを推奨されるパスタ風の駄菓子だが、もちろんお湯を入れたままラーメンのように食べても良い。
ヤツは後者だった。
わずか三口ほどでそれを平らげると今度は『おとくらーめん』を棚からつかみ取り、俺に二十円を渡す。そしてそれを『ペペロンチーノ』の残ったスープの中に入れ、お湯を足して、替え玉として食べる。
その様子はここ数日続いた光景だ。
そいつは、ここ一週間ほどで来店するようになった新規のお客なのだが、俺はこいつに対して、いつも凄まじいほどの異質感を感じていた。
それはケイも同じだったようだ。こいつが来店すると、ケイは俺に「また来たヨ」と目で合図するからだ。
異質感の原因の一つはその滞在時間だ。
『すおう』は狭い。狭いから、子どもたちは窮屈に感じて長居はしない。
そんな『すおう』でそいつはたっぷり三十分は居座る。
それも『ペペロンチーノ』を啜りながら一言も喋らずに。
それだけではない。ヤツは来店する子どもたちをひたすら、じっと観察しているのだ。
それも特に女の子を集中的に観察しているように見受けられる。
来店する子どもたちは、たたでさえ高校生が居座っているので怖がっているというのに、ひたすら凝視されたら、薄気味悪がって来なくなってしまう。
ただ、それ以外は何の迷惑も掛けていないお客であるので、あまり注意することも出来なかった。
今日もそいつはいつもと同じルーチンワークを繰り返し、そして去って行った。
俺は「ふう」と大きくため息を吐き閉店作業を始める。
ヤツが居座っている約三十分は妙な緊張感がある。
そんな俺に対してケイが声を掛けた。
「不気味ナ」
ああ、やっぱり。ケイにもそう感じるんだ。
自分と同じ共感を得る人が居たと分かっただけでも、ほっとする。
「あの男の、女の子を見る目は尋常じゃないナ。犯罪者の目ナ」
「いや、ケイ。俺もそう思うけど、そんなこと口に出して言っちゃダメだ」
「……コーヘーも思っているナ」
ケイは呆れた視線を投げかける。
「でも実質『ペペロンチーノ』を食べて帰るだけだからさ。何も悪いことをしているわけじゃないしさ」
「存在自体が悪いナ」
散々な言われようだった。
だが、心の中では俺はケイに賛同をしていた。と、その時。
「すみません!」
「うわあああああ!」
突然、背中から声を掛けられた俺は飛び上がる。
「な、なんなんですかっ!」
あわてて振り返るとそこには制服制帽を身に纏った警官がいた。
警官は中にいる俺とケイを不思議そうな顔で観察していた。
「あれ? こちらは『すおう』さんですよね? いつものハルエさんは?」
「ああ、ばあちゃんは怪我をしていまして。俺はハルエの孫です」
そう答えると「孫!」と警官は素っ頓狂な声を出してのけぞった。
「……まさか、変な冗談はやめなさい。あんなお若くて美しい女性に対してそんな冗談は失礼だ」
冗談って……。
ああ、勘違いしている人がやっぱりいるんだあ。と哀れみの表情を警官に向ける。
だけど、ここでいかにばあちゃんが高齢であり、自分が本当の孫であるか、ということを説明してもこの警官には理解出来ないだろう。
説明することを早々に諦めた俺は金庫の中にしまっておいた自分の保険証を取り出して、そして見せた。
「ほら。俺は周防耕平と言います。ハルエの親族です。ハルエは今、怪我をしていまして、代わりに俺が店を任されています」
その説明に警官はようやく納得したのか、大きく頷いた。
「そうか、ハルエさんが、怪我……。早く良くなって欲しいものですな」
「はあ」
警官はそう呟くように言うと、真底心配しているかのように眉を曇らせた。
ひょっとしてこの警官は、ばあちゃんに惚れちゃっているのだろうか。
俺はそんな警官が真底心配だった。いつまで経っても立ち去らず、店先でひたすらぶつぶつ言っている警官に、だんだん面倒くさくなってきた。
「ところで、一体、何の用で……」
「ああ!」
警官は思い出したように手をぽんと叩く。
「今日こちらに来たのは、他でもありません。最近、この辺で怪しげな男が女児の後をつけ回す事例が発生しているので、注意しに来ました」
「え?」
「男の身長はおよそ百七十センチから百八十センチくらい。年齢は十代後半から二十代後半。赤いジャージを身に纏い、ニット帽を着用しております」
「……」
身長は恐らく百八十センチだ。そして十代後半、赤いジャージ。
まさか――。
俺は思わずケイを振り返った。ケイはこくりと頷く。その表情は「あの男ナ」と語っている。
「『すおう』さんは子どもがたくさん集まりますから、子どもたちに注意を促してあげて下さい。では、頑張って下さい。ハルエさんにもよろしくお伝え下さい」
警官がそう言って立ち去って行った後、俺は呆然と立ちすくんでいた。
ほぼ間違いなくヤツだ。
どうしたら良いのだろう。通報した方が良いのだろうか。だが、別に何の犯罪も起こしているわけでもないし……。
「何かが起こってからでは遅いナ」
まるで俺の心を読み取ったようにケイが言った。
「この次来た時に注意していれば良いナ。そして不審な行動をしたら警官を呼ぶナ」
こくりと頷く。
俺の脳裏には毎日、楽しそうに来店してくる子どもたちの顔が浮かぶ。あの顔を曇らすわけにはいかない。
俺はぎりっとほうきを持つ手に力を入れた。と、その時。
「すみません」
「うはああああ!」
いきなり背後から声を掛けられた俺は再び飛び上がる。
だから、どうして、みんな俺の死角から突然話しかけるんだよっ!
唐突にすおうの店内に踏み込んできたその男はグレーのスーツ姿でビジネスマン風だった。
年齢は二十代後半か三十代前半くらいだろうか。肌の色はケイと同じで顔の作りも似ていた。ケイと同じ国の出身と判断したのは間違いないと思う。
「だ、誰だよ!」
思わずその男から距離を取って誰何した。男はそんな俺に対して、丁寧にお辞儀をする。
「これは申し遅れました。私はアーシットと申します。ケイの兄です」
「兄?」
やたら慇懃な日本語を操るそのアーシットと名乗る男に面食らっていた。
そして問うような視線をケイに向ける。ケイは大きくため息を吐くと、うんざりした表情で肩を竦めた。
「お父さんとお母さんは、私の一人旅を許してくれなかったナ。それでお目付役としてアーシットが付いてきたナ」
「そういうわけであります」
「はあ」
毒気を抜かれた俺はそんな間抜けな返事をした。
アーシットはそんな俺の態度に意を介することもなく、ずかずかと俺との距離を詰めてくる。
「な、なんだよ」
その迫力に驚き、思わず後じさると、アーシットは俺になど目もくれず店内奥の隅に設置してある小型の冷蔵庫の扉に手を掛けた。
この冷蔵庫は凍らしておくとおいしい駄菓子を入れてある。
『すもも』『ラムネ』『ねじりゼリー』などだ。これらは常温でも売れる駄菓子だけれども、冷やして食べたいという子どもも少なくない。
冷蔵庫の上部には冷凍庫が付随してあって、そこには『あんず棒』という駄菓子を凍らしてある。『あんず棒』とはあんずとあんず味のシロップがチューブに入ったものだけど、凍らすと驚くほどおいしい。もう十月も下旬に入って、秋の風が漂う涼しい季節になった。それでも凍らした『あんず棒』はよく売れるので、欠かすわけにはいかない。
だが、アーシットはその『あんず棒』しか入っていないはずの冷凍庫から見たこともない大盤の丸いものを取り出した。
……それはこの『すおう』では見たことがないけど、どこかで見たことがある。うん、スーパーの冷凍品コーナーで良く販売されているしろもの。
冷凍ピザだ。
「え? これはどういうことなの?」
さもそれが当たり前で、自然なことのように振る舞って、今まさに踵を返して帰ろうとしているアーシットをあわてて呼び止めた。
アーシットは怪訝な表情で俺を振り返る。
「ですから、ケイの姉の時のように迷子にならないように私が付き添いとして――」
「そういうことじゃなくて! どうして冷凍ピザがウチの冷凍庫に入って、それをなぜあんたが持って帰ろうとしているのかって訊いてんだよ!」
「ああ」
アーシットは合点がいったように、にっこりと頷いた。
「泊まっているホテルに戻るまで溶けてしまいそうだったので、入れさせて頂きました」
「勝手に入れるなよ! 一言言えよ! って、ちょっと待て。ケイ、それならわざわざ『すおう』に泊まらないで、アーシットのホテルで一緒に泊まっていれば良かったじゃん!」
俺のその言葉にケイは顔を顰める。
「アーシットと一緒の部屋には泊まりたくないナ」
「そういうことであります」
「……あ、そう」
何か微妙に仲の悪い兄妹みたいだ。
まあ、いいや。そして俺はふと視線を冷蔵庫に戻す。
なんとなく嫌な予感がしたからだ。
その予感に従って冷凍庫の扉をゆっくりと開ける。
途中「あ」というケイの小さな声がしたけど構わず扉を開けきり、そしてその中を覗き込んだ。
中に見慣れない物体が一つ入っている。一目で『あんず棒』ではない、と判別できるその物体は『ゆきんこ大福』――
『すおう』では氷菓子、いわゆるアイスの類は扱っていない。
『ゆきんこ大福』には近所のコンビニのシールが表面に張っており、完璧にウチの商品じゃない。
「あ、それは私のナ。日本のアイスは変わっていておいしいナ」
と言ってケイは憚る様子もなく俺の目の前で、その『ゆきんこ大福』を奪い取っていく。
『ゆきんこ大福』をおいしそうにほおばるケイとそそくさと『すおう』を退散するアーシットを両の目で見つめながら俺はがっくりと肩を落とし、そして誰に訊かせるわけでもない言葉を呟いた。
「……疲れた」
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