第5話 1番のくじの行方

「お兄ちゃん、ゆっくりとその手を開いて欲しいの」

 薫は獲物を捕らえた虎のように、その瞳を爛々と輝かせていた。

 この時になって、俺は薫の意図を百パーセント理解した。

 そうだったのだ。

 薫はギャラリーがいる中で、俺がインチキをする瞬間を暴きたかったのだ。

 だが、何のために?

 それは薫の表情を見ていれば分かる。

 薫は別に俺やこの『すおう』に恨みがある訳でもないようだ。

 薫は恐らく、この状況を『ゲーム』のように楽しんでいるのだろう。

 平凡な日常と異なるこの状況を。

 そして自分よりも何歳も年上の男子を打ち負かすことに興奮を覚えているに違いない。

「さあ、早く開いて欲しいの」

 たぶん、もしこれが店内に薫しかいない状況だったら、俺はなんとか言い逃れをしてごまかしたのかも知れない。

 だが、今ここには店内に入りきれないほどのギャラリーがいる。

 逃げることは許されない。

 これも薫の作戦なんだ。

 どこまで頭が切れるのか。

「さあ、早く!」

 ギャラリーたちは薫が何をせかしているのか、全く理解出来ていないらしい。

 残りのくじ紙を捲ることを中断して、なぜそんなことをしているのか? 

 そんな目で俺たちの行動を見守っている。

 俺はゆっくりと目を閉じて、息を吐いた。

 そしてじれったいほどの時間を掛けて目を開くと、薫にホールドされたその手のひらを小指から順番に開いていく。

 薫の視線、そしてギャラリーの視線が俺の手のひらに集中する。

 気のせいか手のひらが少し熱い。

 そして――

「そ、そんな!」

 完全に開かれた俺の手のひらを見て、薫は驚愕で目を見開いた。

 そこには何もない。

 少し汗ばんだ、俺の手のひらが見えるだけだ。

「どうして! そんなわけがないの! なんでなの?」

「なに、そんなに驚いているんだよ。いいから早く残りのくじ紙を捲りなよ」

 パニクっている薫を余所に俺は開票を促す。

 はっと我に返った薫はあわててくじ箱に向き直った。

 そして今まで以上のスピードでくじをめくり続け、そして最後からあと三枚というところで、ついにその番号を捲り当てた。

 そう、『一番』を、だ。

「そんな……。こんなことあるわけ、ないの」

「何を『こんなことあるわけない』んだ? くじを捲り続けていれば、いつかは『一番』が出るのは当たり前じゃないか。これでくじ紙は残り二枚。景品であるスーパーボールの数も残り二つ。ぴったりだ」

 くじを全て開票し終わったせいか、今までいたギャラリーたちは三々五々に散っていった。

 改めて駄菓子を選び始めるもの。

 近くの公園に遊びに行くもの。

 携帯型ゲーム機でゲームを興じ始めるもの。

 ギャラリーがほとんどいなくなったのを見計らって、俺は目の前で呆然と立ち尽くしている顔面蒼白な薫に声を掛けた。

「全部で八十三回のくじを引いたから、しめて二千四百九十円だね」

「あ、う……」

 薫は俺の目を見ることも出来ずに、俯いていることしか出来ない。

 『すおう』に来店したときのあの勝ち気で挑戦的な表情はすっかりどこかに消えてしまっていた。

 俺はそんな薫にしか聞こえないくらいの小声で諭すように言った。

「キミは頭が良いし、今回のことも、万引きもきっとゲーム感覚なんだろうね。払うお金がないわけじゃないんだろう」

 そう、きっと彼女は頭が良すぎるんだ。

 幼い彼女を取り巻く環境が、彼女の才能に比例していないんだ。

 あまりにも単純、あまりにも平凡過ぎるその日常に、彼女は飽き飽きしているんだ。

 でも、やはり、彼女は幼い。

「でもね。これっぽっちのお菓子やオモチャでも、俺はお金を払って仕入れているんだ。キミに良く分かるように説明してあげるよ。本当だったらお客さんに仕入れ金額を教えるのはタブーだけど、キミは特別だ。この『スーパーボールくじ』も俺はお金を払って買っている。金額は百十個でワンセットで二千百円だ。消費税を加えると二千二百六十八円で仕入れている。これを百十個で割ってみると、くじ一回単価は約二十一円だ。一つ売って俺は九円しか儲からない。そんな状況なのに、キミはあっさりとその利益を奪い取ろうとする」

「あ……」

 いくら頭が良くても、やはり彼女は幼すぎる。

 第三者の立場になるという、訓練が出来ていないんだ。

 商売は物を仕入れて、それを売る、ということを頭で理解していても肌で感じていない。

 ……と言っても俺もそれは最近ようやく理解したばかりなんだけど。

「きついことを言うようだけど、キミのしたことはゲームじゃない。泥棒だよ。俺のお金をどんどんと奪い取って行く泥棒だ。小さいことだろうと思うけど、しっかりとした……犯罪なんだよ」

 はっきりと言ってやった。

 正直言うと、言っていて辛かった。

 怒られるのも嫌な気分だけど、怒る方も嫌な気分なんだな。

 そんなことを改めて理解するなんて俺もまだまだガキだ、と実感する。

「う、え、あ……あ」

 すると薫は俯いたまましばらく小刻みに肩を震わせたかと思うと、いきなり踵を翻し、『すおう』から飛び出して行ってしまった。

「あ」

 呼び止める間もフォローする間も無かった。

 それほどの突然の行動。

 ふと今まで薫が立っていた場所に目をやると、床が涙で濡れている。

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