第4話 薫の思惑

 こ、こいつ!

 この時点になって、頭の悪い俺はようやく薫の意図に気が付いた。

 やはりこの前、子どもの姿を感じたように思えたのは薫だった。

 薫はこの前のあおいさんのくじ引きの説明を聞いていたのだ。

 そしてそれを知った上で、逆に俺を陥れようとしているんだ。

 俺は右手をポケットの中に入れた。

 そこにはあおいさんの指示に従って、『一番』のくじ紙だけ別にしてある。

 つまり今、薫が持っているくじ箱の中には『一番』のくじ紙だけ入っていない。

「全部、捲ったらお金払うの。今は、ここに何枚あるか分からないからそれでいいでしょ? でも、もし一等のくじが入っていなかったら――お金は必要ないよね? サギだもんね?」

 そう言って薫は悪魔のように小首を傾げて、勝手にくじの開票を始めて行った。

 『六十五番』『三十一番』『八十四番』……。

 くじの枚数と商品であるスーパーボールの個数は一個分だけ違う。

 それはつまり俺のポケットに入っているくじ紙の分だ。

 薫がくじを全て開票し終える前に『一番』のくじ紙をなんとか仕込まなくてはならない。それにはどうしたら――

 薫が、「くじびきを全部買う」と豪語してから、次第にギャラリーが増えていった。

 一枚くじ紙を開ける度に「おおー!」とか「凄えー!」とか子どもたちの歓声がわき起こる。

 もうすでに『すおう』の中は満員だ。

 外にもはみ出しているくらい溢れかえっている。

 彼らの興味は薫のくじ引き全部買いに引きつけられている。

 取り巻いて見ている子どものうちの一人が、「全部買うんなら、いちいちくじなんて捲らなくてもいいじゃん」と呟いたが、それは薫の意図を知らないからだ。

 薫は俺を陥れるためだけにこの計画を立てたのだ。こいつ、幼い癖に頭がキレやがる。

 『二十九番』『九十一番』『十三番』……。

 薫は捲ったくじを片っ端から自分の上着のポケットに仕舞って行く。

 きっとそれは、余計なくじ紙を混入させないように用心をしたのだろう。

 小さいくせにどこまで頭が回るんだ、この子は。

 開票はどんどん進んでいく。

 もう半分くらいは開けられただろうか。

 俺の焦りはそれに伴って高まっていく。

 ポケットに突っ込んだ右手は汗でびしょびしょだった。

 『百三番』『二十二番』『五番』……

「おお! 『当たり』が一つ出たぞー!」

 薫の周りで歓声が沸き上がった。

 薫は自分に注目が集まっているせいか、少し誇らしげだ。

 『スーパーボールくじ』の五個ある当たりの内の三つはすでに昨日のうちに出ていた。

 残る当たりは『五番』と『一番』だった。

 その『五番』が出た。

 残る当たりは『一番』のみ。

 そしてそのくじ紙は俺のポケットの中にある……。

 『十一番』『十四番』『八十番』……

 残るくじ紙は三分の一くらいだ。

 こうなったら、どこかで動くしかない。

 どこかのポイントであおいさんからアドバイスして貰ったあの技を使うしかない。

 『残りの枚数を数えるフリをしてくじ紙を仕込む』というあの大技を。

 と、その時だ。

 良太が「ん」と言って、俺に十円玉を五枚差しだしてきたのだ。

 俺はその意味が分からず、胡乱な視線を良太に向けた。

 良太は五十円を差しだしたまま、

「兄ちゃん、ボクもくじびきやりたい。一回やらせてくれよ。薫も一回くらいボクがやっても良いだろ? このままじゃスーパーボールがなくなっちゃうじゃん」

 と言って薫を振り向いた。

 薫は一瞬、苦い顔をしたが「……別に良いよ」と言って素直にくじ箱を差しだす。

 良太は、今度は俺に向き直り「兄ちゃん、やっても良いだろ?」と言って俺の目をしっかりと覗き込んで来た。

 緊張が続いた時間に急に訪れたブレイクタイム。

 ……落ち着け、俺。

 絶対打開策はある。

 窮地と思ってもそれは窮地じゃない。

 俺はいつだってそういう窮地を一人で『解決』してきたじゃないか。

 自分の心を落ち着ける意味も込めて、左のポケットに入れておいた『ボトルラムネ』を取りだした。

 そしてその数粒を口の中に放り込む。

 舌の上を刺激する清涼感が俺に客観性を取り戻してくれた。

 目から全ての情報が頭の中に流入してくる。

 くじびき、スーパーボール、薫、、野次馬、良太、三十円、一番……。

 そしてかちりと頭の中で音がした。

 『スイッチ』が入ったんだ。

 そして良太の目を見返した。

 ……うん。

 俺はゆっくりと頷いて良太から五十円を受け取って、そしてお釣りを二十円渡した。

 良太は薫から受け取ったくじ箱に手を突っ込むと、一枚のくじ紙を引き抜く。そしてそれを捲ると

「『五十六番』……」

 どっと嘲笑が良太を包んだ。

 「なんだよ、気を持たせやがって!」「良太のへたれー」「持ってねえなあ」などと軽口を浴びせかけられ、それに対して「うるせー!」と苦笑しながら返している。

 どうやらこの良太はの辺りの子どもたちの中でも人気がある存在のようだ。

 良太は肩を竦めて俺を見た。俺は口元を歪めてそれに応える。

 良太のくじ引き以降、薫の開票は加速していった。

 『八番』『二十三番』『四十番』『九十二番』『十九番』『百一番』『五十三番』『十番』……

 どんどん残り枚数が少なくなっていく。

 恐らくもう数十枚だ。

 これ以上くじ紙が少なくなったら、目視で残り枚数を数えることが出来る。

 あの大技を繰り出すとしたらここしかない。

「ちょっと待って」

 俺は順調にくじ紙を捲り続けている薫を強引に遮った。

「あと何枚あるかお兄さんが数えてやろう。えーと」

 と言ってくじ箱に右手を差し込もうとしたその瞬間――


 ――俺の右手は薫にしっかりと捉えられていたんだ。

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