第5話 本屋の捜索
翌日。いよいよ本屋探しが始まった。
リストアップした船橋駅周辺にある本屋は全部で十一軒。
こんなにあったのか、と自分でもびっくりした。独立店舗を構えている純粋な本屋は『山県書店』の一軒だけど、よく考えたら駅周辺にある三軒のデパートの中にも一軒ずつ本屋は入店している。
そして駅ビルの中にも一軒。あと古本屋が三軒あり、そして古本も置いている中古ゲーム屋を合わせると全部で十一軒というわけなんだ。
ただ、そこから入り口が自動ドアではない本屋を削除すると九軒までに絞られた。
俺たちはそれらをしらみつぶしで当たって行こうと考えた。
まず一番最初は独立店舗の『山県書店』。
俺はここが一番可能性が高い、と思ってた。なにより、純粋な本屋であるし、店舗を構えているから、ふらっと立ち寄り易い構図になっている。
ケイから姉ちゃんの話を訊いたとき、真っ先にこの本屋が思い浮かんだくらいだ。
俺はケイと二人で『山県書店』に入り、中に居る一番偉そうな人に声を掛けた。そして事情を話す。しばらくして奥から更に偉そうな人が出てきた。どうやらその人が店長のようだ。
「うーん、申し訳ないけど、そういうことがあった記憶はないねえ。仮にウチの従業員が独断でそういうことをやったとしても、インターネットに繋がっているパソコンは私専用のしかないからねえ。私に必ず話を通すはずだ。ウチじゃないと思うなあ」
残念そうに首を横に振る店長にケイは一枚の写真を見せた。
「この女性に見覚えはないカ?」
その写真には一人の女性が映っていた。恐らくケイの姉ちゃんなんだろう。でも店長は、やはり首を横に振った。
「ごめん。見覚えはないね。やっぱりウチじゃないよ」
そうして俺たちは店長さんに礼を言って、『山県書店』から外に出た。
わずかにのしかかる挫折感。
でも、もとより一軒目で解決するとは思っていなかった。
俺はケイに「次へ行こう」と促す。
「うん!」
ケイは元気よく頷いた。
そして足取り軽く、次なる目標の駅ビルの地下にある『鹿沢書房』へと向かう。そう、この頃は俺たちもまだ、元気だった。
そしてケイの姉ちゃんの望みを叶えることなんて、たやすいことだって思っていたんだ。
まだ、この時までは。
結果から言おう。
俺たちは、目的の本屋を探し当てることが出来なかった。
全九軒プラス足を伸ばして、かなり離れたところにある本屋も二軒行った。
だけど、どこの店長も「そんな女性は見たことがない」の一点張りだった。
たっぷり三時間歩き回って、すでに夜の八時過ぎ。
俺とケイは『すおう』に戻ってくるなり、座敷の畳の上で仰向けに倒れ込んだ。
物凄い疲労感と徒労感。
これは努力が全く報われていないことが原因だと思う。
ケイも一言も言葉を喋らない。
俺は、ぼおっと薄汚れた天井とレトロな電灯を眺めていた。
船橋駅周辺の本屋は全て廻った。さらに少し遠目の所にある本屋も行った。だけど、そのどれもケイの姉ちゃんがお世話になった本屋ではなかった。
なんだろう。何か見落としはしていないだろうか。
「ケイ。姉ちゃんが日本に来たのは何年前なの?」
「……七年前ナ」
疲れているのか、落ち込んでいるのか、ワンテンポ遅れて返事が来た。
ということは2011年か。もしかすると、『七年前は存在して、現在は存在しない本屋』かと思ったんだ。つまり閉店してしまった本屋なのではないかと考えた。でも、産まれてからずうっと船橋に住んでいる俺は知っている。そんな本屋なんてないってこと。
手詰まりだ。俺は上半身だけ起き上がってケイの方を振り向いた。
「ケイ。今日はもう遅い。そろそろ夕食を食べて、シャワー浴びて寝よう」
ケイはそれに対して「ん」と言っただけで動こうとしない。そして、
「……お姉ちゃん、もうお礼をいえないのかナ」
突然、ぼそりとケイが呟いた。
「遠い日本とサイアム王国。一度会った人と再び会うことが難しいなんて分かっているナ。でも、私はもう一度会えるっていう奇跡を信じたいナ」
ケイの呟きと、壁に掛かっている時計の「かちこち」という音だけが、『すおう』の座敷に響く。
「私はサイアム王国にいる時、何度も何度もお姉ちゃんから日本の話を訊いたナ。そしてその親切にして貰った話もうんざりするほど訊いたナ。でも、私にとってその話は、おとぎ話みたいにふわふわして、素敵な話に聞こえたナ。だから私は日本にとても来てみたかった。そして」
ケイはそう言って自分の右腕で眩しそうに、自らの目を塞ぐ。
「お姉ちゃんの願いを叶えてあげたかったナ」
そして、しばらくそのまま動かなかった。
「ケイ……」
俺はそんなケイに対して何も声を掛けてやることが出来なかった。
翌日。傷心のケイを残して学校に行くことは憚られたけど、出席日数が少ない俺には、もう学校を休める日数はほとんど残されていない。
それにじっくり考える時間も欲しかった。じっくり考える時間、すなわち授業中だ。
だけど一時間目が始まり、二時間目、三時間目、四時間目が過ぎ、昼休みを越しても、ろくなアイデアが浮かんでこなかった。
……もしかするとケイの姉ちゃんが勘違いしている可能性があるんではないか。次第に俺はそう考え始めていた。
ケイの姉ちゃんが船橋駅と思い込んでいたところが実は違う駅だったんじゃないだろうか。
単に『船橋駅』と言っても、『JR船橋駅』や『京成船橋駅』だけではない。東船橋駅、西船橋駅、南船橋駅、新船橋駅と『船橋』の名前を冠する駅名は他に五つもある。
外国人のケイの姉ちゃんなら、その辺を勘違いしている可能性もある。
この考えからすると、今までの捜索範囲が見当違いだということになる。
よし、今日帰ったら、ケイにこのことを言おう。そして手始めに、西船橋駅周辺の捜索から始めるんだ。
そう考えていた、その時だ。ぐらり、と世界が一瞬ずれたことを感じたのは。
その後、唐突な縦揺れを受けて、俺の心臓はわずかに跳ね上がった。
周りの級友たちも思わず声を上げる。
辺りを見回すと、棚の上に不安定に載っていた植木鉢がぐらぐらと揺れていた。窓ガラスもがたがたと音を立てている。
その揺れは二十秒もすると収まった。俺はおもわず、大きく息を吐く。
クラスのあちこちから「今の大きかったね」とか「震源地どこだろ?」とか今の地震を評する声が沸き上がっている。
さすがは日本の平均的高校生だ。このくらいの地震程度ではびくつきもしない。それに、俺らはあの大地震を経験している。震度四くらいの地震では動揺なんかしない――
何か予兆がした。俺の中の何かが産まれようとしている。情報の渦が俺をせめぎ立てる。早く、早く外に出して! と俺に語りかけている。
ポケットに手を突っ込んだ。今日も『ボトルラムネ』は携行している。そのフタを親指で外すと、中身を口の中に放り込んだ。
――いきなり俺の頭の中のスイッチが入った。
ぶん、という音と共に頭の中に液晶画面が浮き上がり、その最奥部ではOSが音を立てて立ち上がってくる。そして続けていくつものウインドウが重ねて表示されていく。まるでブラウザクラッシャーのようにウインドウは乱立していく、乱立していく。そしてその内の一つのウインドウが最前列に表示され、全ての事象に解が与えられた。
「……そういうことだったのか」
俺はカバンの中にあわてて教材を詰め込むと、いきなり立ち上がった。そして教室の出口に向かって歩き出す。そんな俺の様子を目を丸くして見ていたのはコキンだ。
「おい、いきなり帰り支度してどうすんだよ。早退か?」
「そんなとこ、だ」
それだけ言い捨てると、俺は早足で廊下を進んだ。
早くケイにこのことを説明しないと。
昨日までの俺たちは全く見当違いのところを探していたんだと。
そしてケイに落ち込む必要はないんだと。
それを早く伝えたかった。
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