第5話 疑惑の写真

 渡された名刺には『週刊ブライトネス 第三編集部 浅野定織』とある。

 ……『あさのていしょく』? 記者? 記者がなんでこんなとこに? 

 俺がそんな怪訝な表情を見せているとその浅野と名乗った記者は、口元に品のない笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込んできた。

「『あさの ただおり』と読むんだ。よろしく、お孫さん。ハルエさんには良く仕事の相談にのってもらっているんだ」

 その言葉に俺は目を剥いた。

 子どもの相談だけじゃ飽きたらず、雑誌記者の相談だって?

「昔、『すおう』さんの取材に来た時、ハルエさんの聡明さにすっかり惚れ込んじゃってね。それから、何か悩み事があった時は、いつもハルエさんに相談しに来ている」

「最近は自分で考えねえで、オラに丸投げだぁ。今日も、ほれ、これを見ぃ」

 ばあちゃんはそう言って俺に一枚の写真を差しだした。

 俺とケイはその写真を覗き込む。

 どこかの駄菓子屋の前で三十代か、四十代くらいの男女が記念撮影をしている。その雰囲気から言ってその二人は夫婦だろうか。その二人以外にも写真には歩行者が数人写っている。その内、何人かは外人のようだ。

「どこかの観光地かな? 外国人が多いし、並べてある駄菓子のラインナップが偏っている。子どもウケする駄菓子より、観光客ウケする駄菓子が並べてあるな」

 俺のその言葉に、浅野記者は下品な口笛を吹いた。

「さすがは、ハルエさんのお孫さんだ。観察力があるね。それは浅草で撮られた写真だよ」

 『すおう』をやるようになって、分かったことがある。

 良く観光地で売っているような、駄菓子と、子どもが対象である駄菓子屋とでは並べている駄菓子のラインナップが微妙に異なると言うこと。

 観光地の駄菓子屋では、大人が考えるような懐かしい駄菓子、そして外国人観光客が珍しがるような駄菓子が多く並べられることが多い。

 それは例えば『せんべい』だったり、いかにも日本伝統のような『飴細工』だったりする。

 だけど、そんな駄菓子は子どもたちは好まない。

 子どもたちが好きなのはコーラ味のチューイングキャンディーだったり、味の濃い『ポテトフライ』だったりするんだ。

 もう一度写真に目を向ける。並んでいる駄菓子の中には『うまい棒』もある。

 これは今や駄菓子の定番だから観光地の駄菓子屋といえども外すわけにはいかないんだろう。

 あとは……左上に表示してある『2007年 3月8日』の日時。

 ……結構前だな。十年前か。

 ところで、この写真の一体何が問題なんだろう。俺がそういう疑問を抱いて顔を上げると、浅野記者は顔を顰めながら説明を始める。

「実は、とある事件に関わる写真でね。あ、もちろん、それは元の写真じゃなくて、焼き増しだから、そんなに取り扱いに気にしなくて良い。その中心に映っている二人が、事件の当事者なんだけど、明確なアリバイが崩せなくて困っているんだ。事件は名古屋で起こったんだけど、その日、二人は『東京の浅草に居た。証拠はこの写真だ』と言い張るんだ。確かに写真の場所は浅草で間違いがない。ただ、日付を偽装した、という疑いもある。確証が得られないんだ。それでハルエさんに相談に来たってわけさ」

 浅野記者はそう言って、ばあちゃんに視線を向ける。

 ばあちゃんは、楽しそうに頷いた。

「んにゃ。ばあちゃんはもう分かったっぺ」

「え?」

 それには俺と浅野記者とケイの三人が声を上げた。

 嘘だろ。この写真のどこにそんな手がかりがあるってんだ?

「本当ですか、ハルエさん! 教えて下さい。この写真は本物なんでしょうか、それともやはり偽装なんでしょうか!」

 ばあちゃんはそれには答えずに、俺の方を見た。

「耕平、解いてみぃ」

 うわ。問題を振られたよ。

 ばあちゃんの楽しそうな表情を見る限り、逃げるという選択肢はなさそうだ。

 これは俺が答えなくちゃいけない。浅野記者が怪訝な表情で俺の様子を眺めている。

 ポケットをまさぐった。よし、今日はちゃんと持ってきてある。

 俺はボトルラムネのフタを外して口の中に二、三粒放り込む。

 腔内に錠剤状のラムネがふんわりと広がっていく。主成分のブドウ糖が即座に脳に吸収されて行くような錯覚を覚える――

 瞬間、スイッチが入った。

 目の前にある写真から、洪水のように情報が頭の中に入り込んでくる。そして頭の中の計算機は勝手にそれを演算して、そして勝手に答えを出した。

「……うん。分かった、よ」

「ええ!」

 浅野記者が声を上げた。その様子をゆっくりと観察してから、俺は次の言葉を口にする。

「で、分からない」

「はあ?」

 眉をしかめた浅野記者は俺が何を言っているのか分からないといった風情だ。

 だけど、ばあちゃんは、俺の言った意味を理解してくれているようだ。その表情で分かった。

「俺が分からなくて、ばあちゃんが分かる、ということは単なる駄菓子に対する知識の差だ。とするとこの背景に映っている駄菓子にヒントが隠されているということになる。で、そのヒントになりそうな駄菓子はどれか、というと」

 写真の中の駄菓子に向かって指を漂わす。

 その様子を浅野記者とケイは食い入るように見つめた。

「これだね」

 俺の指差した駄菓子。それは、『うまい棒』だった。

「『うまい棒』?」

 怪訝な表情で俺とばあちゃんの顔を交互に見る浅野記者。そんな浅野記者に俺は言葉を続ける。

「『うまい棒』は発売してからいろいろな種類の味を作っているんだけど、それはずっと作り続けているわけじゃないんだ。人気の無い味は数年で廃番になるし、代わりに新たな商品開発がされることもある。現に三年前まで在った『うまい棒オニオン味』は今は作られていない。で、俺が分からなくて、ばあちゃんが分かるっていうことはその知識を保有しているか、していないか、ということだ。『うまい棒』の過去の味の発売時期を知っている、ばあちゃんならこの写真の真偽が分かるってことだ」

「その通りだっぺ」

 ばあちゃんが、楽しそうに俺の言葉を引き継いだ。

「ここにオレンジ色の『うまい棒』が映っているべ? これは『うまい棒牛タン味』だべ。表紙に牛の絵が描かれているから間違いなかんべ。この『うまい棒牛タン塩味』の発売され始めたのは2008年だっぺ。つーことはだ」

「……この写真は偽装だ!」

 浅野記者は声を上げた。そして、ひったくるように俺の手元から写真を奪い取ると、すぐさま踵を返した。

「こうしてはいられない。会社に戻ります! ハルエさん、今回もありがとうございました! それに」

 浅野記者は気ぜわしく出口に向かいながら俺にも声を掛ける。

「耕平君、これからもよろしく」

 なんだよ、よろしくって。俺は関係ねえじゃん。

 あっという間に病室の出口からその姿を消した浅野記者を見送りながら、口の中で悪態を吐いた。

「おいおい、車イスを押してくれた人間がどっか行っちまってどうすんだっぺ」

 ばあちゃんは困惑気味に、それでいて楽しそうにそう言った。

「ばあちゃん、俺が押してやるよ。もう病室に戻るか?」

「ああ、そうれじゃあ、お願いするっぺ」

 ばあちゃんが小首を傾げてそう言うと俺はばあちゃんの後ろにすかさず回った。

 ……でもそうは言ったけど、俺、車イスを操作するのって初めてなんだよな。

 若干緊張しつつも俺は後部に着いている二本のハンドルを握り、そして力を込めた。

 だけど車イスは妙な抵抗感をさせて少ししか動いてくれない。

「ああ、違うっぺ。まずブレーキを外さなくちゃいけないんだっぺ」

 ブレーキ? 

 ばあちゃんに言われて車イスのタイヤ周辺を観察した俺は、そこにレバーがあることに気がつく。そのレバーを動かすと、小さな手応えを感じた。そしてタイヤからストッパーが外されたことが肉眼で確認できた。

 なるほど、こういうシステムか。

 俺は再度ハンドルに力を入れる。すると今度は何の抵抗もなく、すっと車イスは動いた。するととたん、ばあちゃんが声を上げる。

「耕平。オラの右脚は飛び出てるんだから、気ぃつけてくれな」

「あ、ごめん」

 骨折したばあちゃんの右脚は痛々しいギブスが巻かれている。そしてギブスのせいで曲げることの出来ない脚は台座のようなもので支えられていた。

 そんな俺の視線に気がついたのか、ばあちゃんは楽しそうに自分の右脚をぽんぽんと叩く。

「これはよ、『脚部エレベーティング』っつうらしいのよ。ま、曲げられない脚専用の台座っつうわけだっぺな。ばあちゃん、また一つ賢くなったっぺ」

 そう言ってからからと笑うばあちゃんに俺は少し嬉しくなった。

 怪我をして入院をしてもばあちゃんはその陽気で前向きな性格は影を潜めることはない。

 そして人生の先輩であるその生き方は俺をそっと元気づけてくれる。

 俺は、改めてばあちゃんの孫で良かったと心の底から思った。

 そしてその背中に「早く元気になってくれな」と心の中で呟いたんだ。

 ばあちゃんは「ん?」と不思議そうな目をして俺のことを振り返った。

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