第4話 ばあちゃんのお見舞い

 日もとっぷりと暮れて街灯の明かりが海老川沿いの遊歩道をぼおっと照らしている。

 そんな中、俺と竜也とケイの三人はとぼとぼと遊歩道を歩いていた。

 やがて、竜也は足を止めて、辺りを見回した。

「いつもその子とサッカーをしていたのはこの場所だ」

 そこは海老川沿いの遊歩道が少し膨らんでわずかにスペースが出来たところだった。

 思ったより狭いその場所に俺は戸惑った。

 なぜ、わざわざこんな狭いところでサッカーをするんだ?

「そしてその子のお母さんが迎えに来てあっちの方向に帰って行くんだ」

 その竜也の指差す方向は船橋駅の方角。なるほど。

「たぶん、その子はこの辺の子じゃないな。この辺りの子なら、小学校のグランドでサッカーをするはずだ。こんな狭い場所でサッカーをするより、そっちの方がよっぽど広い。それにお母さんが迎えに来て、船橋駅の方に帰って行ったというのなら、電車に乗って帰って行ったんだろう」

「でも、それは不自然ナ。どうして、わざわざ電車に乗ってこんなところに来てサッカーやっているナ。サッカーやるだけなら、公園でもどこでも、もっと広い場所を選択できるはずナ」

「ということは、サッカーが目的じゃないんだよ。主目的はそのお母さんじゃないのかな? お母さんの用事がこの辺なんだ。女の子はそれの付き合っているだけなんだと思うよ」

 竜也は俺とケイの会話を聞いて、ほおっと感心した声を上げた。

「……相談してみるもんだな。会話を交わしている内にだんだん真相に近づいてきた感じがするな」

 俺は竜也のその言葉に苦笑いで応える。

「問題は、そのお母さんが何の目的でこの辺に来ていたのかだけど……。そのお母さんの服装ってどんな感じだった? 何歳くらい?」

「……どうって。ただの私服だったよ。ごくごく普通のお母さん、って感じの服装だ。年齢は……そうだな。三十代から四十代くらいかな」

「……うーん。じゃあ仕事ってわけではなさそうだな」

 そこまでだった。

 それ以上何のアイデアも浮かんでこない。

 たぶん、俺の頭が演算を終了させるには、情報が少なすぎるのだろう。

 竜也もそんな俺の様子を見て、状況を理解したようだ。

「……付き合ってくれて悪かったな。こんな素性も知れない俺のために一緒に探してくれてありがとう。あの女の子もその内、またこの辺でサッカーするときがあると思う。その時、礼を言おうと思う」

「俺の方も、昼間に来る子どもたちに訊いてみるよ」

「サンキュ」

 竜也はそう言って駅とは反対側に向かって去って行った。

 竜也は国立船橋高校にスポーツ推薦で入学したと言っていた。

 恐らく寮住まいなんだろう。

 夕闇の街に消えていく竜也の後ろ姿を見送りながら、頭ではひたすらこの謎について考えていた。

 地元に住んでいるわけではない母子がわざわざこの周辺に来る理由は一体――


 今日は開店時間を少し遅らせることにした。

 というのは最近、忙しいことにかまけて、ばあちゃんの見舞いに全く行ってなかったからだ。

 考えたら、『すおう』の店の経営を任されたあの日以来、ばあちゃんに会っていない。お袋もそう毎日見舞いに行っていないだろうから、そろそろ顔を出してやらないと、いかにあのばあちゃんとはいえ、寂しがっているんじゃないだろうか。

 そう思った俺は、ケイに店を任せて病院に向かおうとした。

 すると、「ハルエさんのお見舞い、私も行くナ」などとケイが口走りやがった。

「もともと日本に来た理由の一つはハルエさんに会うことナ。ハルエさんに会いたいナ」

 ……そう言えばそうか。

 ケイの言い分も最もだ。というわけで、俺とケイは一緒に、ばあちゃんの見舞いに行くことになったんだ。


 ばあちゃんが入院しているのは『すおう』からほど近い病院だ。

 そこの五階の相部屋にばあちゃんは入院している。

 一階の受付で手続きを済ませ『面会カード』を受け取った俺たちはそれを首から掛けて、エレベーターで五階へと向かった。

 ばあちゃんの部屋は知っている。端から二番目の相部屋だ。

 部屋に入ってみると、他の患者は寝ているのか、ベットに仕切られたカーテンが引かれて中が見えなくなっていた。

 ばあちゃんのベッドは一番奥の窓際だ。

 勝手知ったる俺はケイを引き連れて、ばあちゃんのベッドの元まで進んで行く。

 だが、そこにはばあちゃんは居なかった。

 ベットは今し方まで誰かが寝ていたかのように、乱れていた。

「……いないナ」

 拍子抜けをしたような表情のケイをスルーし、俺は辺りを見回す。

 どこへ行ったのだろう。リハビリか? それともトイレか? はたまた何らかの診察か? 

 リハビリをするには時期的にまだ早すぎるような気がする。トイレに行くにしてもばあちゃん一人では行けないはずだ。

 基本的に病院の車イスは後ろで誰かに押して貰うようになっているからだ。

 一応ハンドリムという自分で動かす用の丸い手すりは付いているが、いかにばあちゃんといえどもわずか数日でその運転技術を習得できるとは思えない。

 もしかすると看護師さんに介助してもらって、デイルームにでも行ったのかも知れない。

 デイルームというのはフロアの四カ所くらいに設置された休憩所みたいな場所。

 そこにはテーブルとイスが備え付けられていて大きな窓から外の風景を楽しむことが出来る開放的な場所だ。

 自動販売機やテレビ、新聞や雑誌なども置かれていて、比較的元気な入院患者はここでまったりと過ごすことが多いという。

 ばあちゃんは怪我をして歩けないとはいえ、それ以外は元気いっぱいだ。

 アクティブなばあちゃんがデイルームに行っているのではないか、という推理は比較的自然であろうと思う。

 俺はケイを促して一番近くにあるデイルームへと向かった。病室二部屋分歩くとそこにはすぐにたどり着く。

 到着するとデイルームはカーテンで軽減された淡い西日が差し込んでいて暖かな雰囲気だった。

 逆光気味で一瞬そこに誰が居るのか判別できなかったのだけど、目を眇めてしばらく目を慣らせていたら、それは分かった。

「おお、耕平! よう来たっぺな」

 思った通りに車イスに乗って、窓の外を眺めていたばあちゃんは俺の姿にすぐ気づき、そう声を掛けてくれた。

 そしてばあちゃんの傍らに見慣れない男が居ることに気付く。

 三十代くらいの男だった。男はよれたスーツに身を纏い、無精ひげを生やしている。

 だらしのない外見だが、男の眼光は鋭さを感じさせ、侮ることは出来ない雰囲気を携えている。

 男は、俺とケイの接近に気付くと訝しげな視線をこちらに向けてきた。

 俺はそんな男を意識の外に除外するように、つまり無視してばあちゃんに話しかける。

「ばあちゃん、久しぶり。脚は少しは良くなったか? あ、そうだ、ばあちゃん。サイアム王国から来たケイだよ。会いたいっていうから連れてきた」

 そう言ってケイをばあちゃんの近くに行くように促す。

 いつも元気なケイが、珍しく緊張している。

 身体をがっちがちに固くして、ロボットのように歩いてようやくベッドの脇に到達した。

「ハルエさん、久しぶりナ。ケイです。覚えているカ?」

 そんなケイに対して、ばあちゃんはしばらくの間、懐かしい物でも見るかのように目を眇めていたけど、やがて、その顔をくしゃくしゃにして満面の笑みを浮かべた。

「よう来たな、ケイ! ずいぶんとべっぴんさんになったっぺな」

 その笑顔を見て、ケイはようやく緊張から解けたようだった。

 ケイの顔の上にもいつもの自然な笑顔が浮かんだ。

「私のポーメー……お父さんとお母さんが二年前はありがとうございました、と言っていたナ。これお父さんとお母さんからのお土産ナ」

 そう言ってケイは弁当箱くらいの包みをばあちゃんに渡した。

 包装紙はサイアム語らしく、全く読むことが出来ない。

 サイアムのお土産だろうか。しかしいつの間に携えてきたんだろう。全く気が付かなかった。

「おおー、ありがとな。気にせんでええのに」

 ばあちゃんは、それを嬉しそうに受け取るとすぐに車イスの背中のポケットに仕舞った。

 そして、ばあちゃんの視線はゆっくりとケイから俺へと移った。その視線はまっすぐに俺の瞳を貫いている。

「どうだ、耕平。『すおう』はちゃんとやってっか? 子どもたちの相談にのってやってくれてっか?」

 とりあえず、百パーセントとはいえないけど、俺なりに今日まで全力でやってきたつもりだ。だから自信を持って言える。

「ちゃんとやってるぜ。ばあちゃん、腰が治っても戻ってくるところねえぜ」

「ふん、ぬかせ」

 そう言ってばあちゃんは楽しそうに笑った。

 そんな俺たちのやりとりに戸惑っていたのは、さっきのよれたコートの男だ。

 男は、ばあちゃんと俺との間を何度か視線を往復させた末に恐る恐る口を開いた。

「……ハルエさん、こちらの少年は?」

「オラの孫の耕平だっぺ。で、こっちは昔サイアム王国に旅行に行ったときに知り合った家族の娘っこだ」

「孫? 息子さんではなくて?」

 男は信じられないような表情を俺に向け、そしてその視線をもう一度ばあちゃんに向ける。

「ご冗談を」

 その表情を見る限り、全く信じていないようだ。

 だけど、その後当たり前のようになんの補足も否定もしない、ばあちゃんと俺の様子を見て、男は何かを悟ったようだ。

 男は二、三歩よろけるように後ろに蹈鞴を踏むとうめき声を上げた。

「……まさか、そんな。いや、考えれば……。ほ、本当なんですか? ハルエさん」

 懇願するような視線を向けられた、ばあちゃんは表情も変えずに「んにゃ。本当だっぺ」と自然に言葉を返した。

 見た目、まるで死亡宣告を受けたかのように落ち込む男。

 その様子を見て、俺も悟る。

 ああ、こいつも、ばあちゃんの外見に勘違いして惚れちゃった系か、と。

 ……で、こいつは一体誰なんだろうか。

 そんな俺の心の中の動きを察したのか、男は傷心のまま懐から一枚の名刺を取りだした。

「……どうも。私はこういうもんでして」

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