エピローグ

『Weight less』セカンドアルバム発売記念特別ライブ

「みんなー! 楽しんで行ってねー! それでは新曲行きます! 『私は食べ物ではありません』レッツらゴー!」

 登美丘遙香こと、みーちゃんのMCで始まったライブリハーサルは本番さながらだった。

 ここ南船橋にある大型商業施設『ルルマリーナ』野外特設会場のスピーカーからは大音響でその歌声が飛び出してきていた。

 これを聴いたら、恐らく会場外で並んでいるファンたちは居てもたってもいられなくなっているに違いない。

 俺たちはそのリハーサルに特別招待されている。

 『Weight less』セカンドアルバム『ゼロ・グラビティ』の発売記念ライブのリハーサルだ。

 これはもちろん、みーちゃんのはからいだ。

 ほとんど関係者しかいないそのライブスペースの最前列に、場違いな俺たち八人の集団が居る。

 俺と良太、竜也、冬美、薫、ケイ、アーシット、そしてばあちゃんの計八名だ。ばあちゃんは今日は車椅子での参加だ。

 病院から特別に外出しても良いとの許可を貰ったので、車椅子に乗せて俺が連れてきた。

 本当はあおいさんも誘われていたんだけど、仕事がどうしても休めないということで、欠席ということになった。

 ……あ、今になって思ったんだけど、そういえばコキンを誘えば良かったな。

 きっと今頃会場の外で寒空の下で並んでいるに違いない。

 ごめん、コキン。


 結局あの後、突入した警官隊によって『蜘蛛』ことニット帽の男は取り押さえられた。

 今のところ、サイアム王国国王反対派との関与は否定しているらしい。

 そりゃそうだろ。

 雇われた裏家業の人間が、そんなこと言えるわけもない。

 俺はというと、警察に連れて行かれてこっぴどく延々三時間もお説教を食らっていた。

 「なぜ勝手な行動を取る」だの「どうして警察を信用しない」だの「もし最悪の事態になったらどうするつもりだったんだ」だの、調書を取られながらその合間合間にねちねち叱られていた。

 警察の言いたいことは分かる。

 でも理性と感情は全くの別物だった。

 俺は警察には「反省してます」と殊勝なことを言っておいたけど、心の中では全く後悔はなかった。

 それはこの事件に携わった人間、みんながそう思っているに違いないと思う。

 山平商店カーを損壊させたあおいさんも晴れやかな笑顔でそう言っていた。

 あ、ちなみにぶっ壊れた山平商店カーの修理代はケイの父ちゃん、つまりサイアム王国現国王が出してくれることになった。

 その話を訊いた時、あおいさんは目を白黒させていたな。


 そう言えばみーちゃんだ。『どたキャン』でのあの行動は、当初ネットでは否定的な意見があがっていた。

 「公共の電波をこんな私事で使って良いのか」「傲慢だ」というのがその理由なんだけど、結局、テレビ局、所属事務所共におとがめなし、ということになった。

 実際に事件解決に向かったことと、みーちゃんたちも「勝手なことをしてごめんなさい。反省しています」との素直に謝辞コメントを出した事もあって、反対派の意見も少しずつ鎮火していったみたいだ。

 そしてなにより、国際問題に関わるような事件の解決に関与したということで、ネットを中心に「『Weight less』凄え!」「俺たちの『Weight less』!」という意見が大多数を占めることになったのが大きいんだと思う。

 いや、本当みーちゃんには感謝しかない。

 あ、あとおまけ情報だけど、『Weight less』のサイアム王国デビューも決まったらしい。

 いや、みーちゃん、今度は世界を舞台にするのか。

 ますます俺から遠い所に行っちゃうようで少し寂しい。

 ステージの上でパワフルに跳んで跳ねて歌いまくるみーちゃんに目を向ける。

 初め、みーちゃんの歌、と言っても小学校の時の音楽のイメージしかなかったので「みーちゃんのライブなんか見てもなあ」と思っていた俺だったけど、こうして間近で見るとその迫力に圧倒される。

 一糸乱れぬ統制の取れたダンスからは、その背景にある膨大な時間の鍛錬が想像され気圧される。

 そしてそれよりなにより凄いのは、跳んだり跳ねたりしているみーちゃんたちから放たれている目に見えないエフェクト。

 彼女たちのまわりから、きらきらしたものが放射されている気がする。

 上向きのベクトルみたいなものが体内に染み渡ってくるような気がする。

 アイドルって凄え。

 久々にそう思った瞬間だった。

 彼女らを見ているだけで、幸せな気分になり、そしてやる気になるんだ。

 これって『スイッチ』と同じようなもんじゃないか。

 つまりみーちゃんたちは観客全員に対して『スイッチ』を入れているわけだ。

 俺の中でアイドル熱がふつふつと再燃しそうな予感がしていた。


「ばあちゃんが、退院したら、耕平兄ちゃんは『すおう』を辞めちゃうの?」

 ステージを見入っていた俺の耳元で、隣に居た良太がそんなことを訊いてきた。

 俺は一瞬「うーん」と考えてから、首を横に振る。

「ばあちゃんだってもう年だろ。時々休みたいだろうし。週に何回かは俺がやろうと思うんだ」

 それを訊いていたばあちゃんは、苦笑いをしながら口を挟んできた。 

「耕平、ばあちゃんを殺す気か? 仕事してねえと早くおっちんじまうっぺよ。ばあちゃんにも少しは仕事をさせてくれ」

「……いや、全然、年には見えないんだけど」

 美魔女を間近で初めて見た竜也が震え声で言う。

 まあ、ばあちゃん初見の人間には仕方がないのかも知れない。

 竜也はたぶん、まだ心の中では信じ切っていないと思う。

 俺はそんな竜也に声を掛けた。

「竜也はしばらく『すおう』に来れないんだろ?」

「……ああ」

 竜也は残念そうに顔を顰めた。

「肩が戻ったのなら、これから本格的に投げ込みを再開して、春期大会に間に合わせなくちゃいけないからな。残念だけど」

 そう言って冬美の方にも顔を向ける。

「もしウチの学校が甲子園に出場出来たら、今度は俺がみんなを招待するよ」

「おお、凄え。期待しているよ。甲子園出たら俺にも竜也のサインくれよ」

「ああ、任してくれ。『すおう』の壁に張っておいてくれよ」

 竜也はそう言ってにっこりと笑った。

 竜也の通う高校は体育系の名門校の国立船橋高校だ。

 竜也以外にも優秀な人材は揃っていると言われている。

 俺たちが甲子園に招待される確率は案外高そうだ。

「あれ? ハルエさんに耕平君。今日はどうしてこんなところに?」

 俺と竜也が話しているところに突然割って入ってきたのは、見知らぬ中年の男だ。

 ……いや、違った。見覚えはある。

 そいつは、ばあちゃんの病室で会ったことがある。『朝の定食』浅野記者だ。

 よれたスーツと無精ひげは相変わらずだった。

「そのセリフはそっくり返すべ。おめえこそ、こんなんとこでなにやってんだっぺ」

 ばあちゃんは、車椅子に座ったまま浅野記者を見上げるようにして言う。

 それに対して浅野記者は肩を竦めた。

「ウチの編集部は人手不足でね。通り魔事件からアイドルのライブレポートまでなんでもやらされるんですよ」

 そして浅野記者は、ばあちゃんから、俺へと視線をゆっくりと移すと、あまり魅力的でない笑みを浮かべた。

「訊いたよ。何か凄いことをしたらしいってね」

 興味津々な視線を俺に向けてくる。

「いや、解決なんてしてないです。みんなが頑張ってくれたおかげで」

 浅野記者は何が楽しいのか、そんな俺の言葉をにこにこと笑って訊いている。

「僕はね。仕事の関係上、いろいろなところに行くんだ。それこそ殺人事件の現場や、テロ事件の現場なんてのにも行ったりする」

「はあ」

 俺は怪訝な表情を浅野記者に向けたに違いない。

 一体何を言い出すんだ、この人。

「でね、いろいろな現場に行った僕の経験なんだけど、凄惨な事件が起きる地域には駄菓子屋がないんだ」

「……」

「駄菓子屋が出来る余地がない、というのかな。新興住宅地、都市計画で出来た街。大人しかいない繁華街。そういうところには駄菓子屋はなく、そして起こる事件も凶悪だ」

「……ウチの地域でも事件は起きてしまいましたがね」

 俺は自嘲気味に言った。

 すると浅野記者は大げさに首を横に振る。

「最悪の結果になる前に留まっただろう? それには地域社会の抑止力が働いているからだ。その抑止力の一角を担っているのは駄菓子屋さ」

 どういうこと? 

 俺はそんな視線を浅野記者に向ける。

 浅野記者は俺の意図を読み取ったように言葉を続けた。

「駄菓子屋の魅力、それは実は駄菓子というアイテムではないんだ。だって、駄菓子だけなら、スーパーでもコンビニでも買えるだろ? 駄菓子屋の魅力ってのは、店主が子どもと積極的に会話をするところだと思うんだ」

「あ」

 と思った。

「店主と子どもという構図だけではない。駄菓子屋に来ている子どもと子どもの間でも会話が生まれる。あんな狭いスペースだからね、それは当然だし必然だよね。そうしている内にいろいろな情報のやりとりが緊密になり、そして地域社会の縦糸、横糸が織られ始めるんだ。こういう地域社会では凶悪な犯罪は発生しにくい。犯罪は予兆の段階で噂として伝播するし、そして地域社会に侵入してくる異分子は警戒されることになるからだ」

 言われている意味が凄く分かる。

 例えば『呪いの館』がそうだ。

 たぶん、『すおう』が無ければ、俺は今、子どもたちが空きビル探索にハマっている、ということも知らなかっただろう。

 それにニット帽の男についての情報も皆無だったに違いない。

 この辺りが浅野記者の言う縦糸横糸が織られている地域社会が形成されているということなんだろう。

 でも、それはもともとばあちゃんが何十年も掛けてこの地に形作ったものだ。

 俺はここ数週間、単に代役を果たしただけの話だ。

 ここ船橋の片隅にある街の縦糸、横糸の形成に俺は全く関与はしていない。

 そんな俺の表情を見て何を思ったのか、ばあちゃんはいきなり声を掛けてきた。

「耕平。今回、ばあちゃんがおめえに何言ったか覚えてっか?」

 ばあちゃんのその言葉に俺は首を傾げた。

 いろいろ言われたな。

 ええと「ガキんこの相談乗ってくれ」とか「家は誰かが住んでいないとガタがくる」とか。ああ、それとあれか。

 「一人で何でもやるな。人に頼れ」か。

 あ――

 俺は何かに気付いたように目を見開くと、ばあちゃんは嬉しそうに頷く。

「そう。それが縦糸と横糸だっぺ。おめえは、良太を頼り、美奈子を頼り、あおいを頼り、薫を頼り、竜也を頼った。そんでもって、みんなは、おめえを頼った。耕平。おめえはもう立派にここらの中心で、駄菓子屋『すおう』の店主だっぺ」

 ばあちゃんは、そう言って車椅子に乗ったまま自慢げに胸を張った。

 ……やっぱり俺はまだまだ、ばあちゃんには敵わない。

 小さい頃と一緒だ。

 ばあちゃんは俺にベーゴマの回し方を教えてくれたり『スイッチ』の入れ方を教えてくれたみたいに、今もまたいろいろ教えてくれているんだ。

 ばあちゃんは、地域社会のことにも絡めて、俺に人生を生き抜く為のツールをまた一つ教えてくれたんだ。

 『人に頼れ』という。

 全く、ばあちゃんは凄えや。

「あ、すまん。そろそろマネージャーさんへの取材の時間だ。それじゃ、失礼するよ」

 浅野記者はそう言って慌ただしく、ステージの奥に設営されている臨時の楽屋に向かった。

 ステージ上ではまだみーちゃんたちは歌っている。

 今は二曲目。確か『一寸先はキミ』って題名だったと思う。

 その時、誰かが俺の肩を軽快に叩いた。

 振り向くとそこに居たのはケイ。

 ケイは少し寂しそうに、それでいてそれを隠すかのように満面に笑みを浮かべていた。

 ケイは自らの腕時計を指し示して言った。

「コーヘー。私たちはそろそろ行かなくてはならないナ」

 ケイの後ろには松葉杖を突いたアーシットが付き添っていた。

「もう出発しないと空港のチェックインに間に合わないのです」

 今日のケイはいつものTシャツとジーパンではない。

 いかにもお嬢様然とした白いワンピースを身に纏っている。

 そういう格好をすると本当に良い家柄の女の子なんだなあ、と思ってしまうから不思議なもんだ。

 初めて会った時とのギャップが凄まじい。

「また日本に来た時は『すおう』に寄ってくれよ。駄菓子食べ放題で構わないからさ」

「うん、耕平もサイアムに来たら、私の家に遊びに来てナ」

 そう言うケイの瞳が次第に潤んでくるのを俺は感じていた。

 ヤバい。俺、こういうの苦手なんだ。

 俺の目もちょっと潤んできそうだ。

 ケイはあふれ出しそうな涙を必死で堪えると、こう言った。

「コーヘー、最後に伝えたいことがあるナ」

「あ、ああ、なんだ?」

 とりあえず、俺は今すぐにでも緩みそうな涙腺の存在をごまかすかのように、少しぶっきらぼうにそう言い放つ。

 するとケイは、

「小声で話したいナ。しゃがんで欲しいナ」

 と眉根を寄せて頬を膨らませた。

 そんな風に可愛らしくお願いされたら断る気力など、俺には持ち合わせていない。

 だけど俺は必要以上に面倒くさそうな態度を見せてしゃがんだ。

 「やれやれ」なんて言葉をわざとらしく言ったりして。

 ケイはしゃがんだ俺の耳元にゆっくりと口を近づけていった。

 そして震える声でこう言った。

「コーヘー。今まで本当にありがとうナ。私、感謝してもしきれないナ。私、私……」

 ケイの吐息が耳元に当たってくすぐったい。

 というかいろいろな意味でくすぐったい。

 我慢しきれなくなって「ケイ、ちょっと待って」と言おうとしたその瞬間――


 ケイは咄嗟に俺の正面に廻ってきたのだ。

 そして俺の唇に触れたのは……

「え?」

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 俺は思わず自分の唇を手で触れる。

 かすかに感触がある。

 何の感触だ? 

 え? いやいや、って、おい、まさか!

 ケイは頬を真っ赤に染めながら、後ろに飛び退いた。そして小さく舌を出す。

「私からの置き土産ナ」

 と、その時だ。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 高音質を誇るライブ会場の四方八方に設置されたスピーカーから怒号とも悲鳴ともつかぬ大絶叫が響いてきた。

 あまりの音圧に壮絶なハウリングを起こし、不快な高音が脳天をつんざく。

 その元凶は他ならぬステージの中心にいるみーちゃんだ。

 みーちゃんはバックに曲が流れているにも拘わらず、ステージの上からケイを指差して吠えた。

「そこのくそガキィ! ごきげん、ぷっちんだあ!  今、そっち行くからちょっと待てろおおおおおお!」

「アイドルがそんな言葉遣いしてはいけませんん!!」

「遙香、落ち着けええ!」

 ステージ上で他のメンバーに取り押さえられるみーちゃん。

 その様子を楽しそうに見つめながらケイは、大分落ち着いたのか、今度はちゃんと俺たちに向き直って、しっかりと言った。

「じゃあ……またナ」

 そして、最後にステージの上のみーちゃんを一瞥すると、そちらにも大きく手を振った。

 みーちゃんは取り押さえられたステージの上でじたばたしながら叫び続ける。

「こら、待てええ! 逃げる気かあっ! 逃げるのかあ……ってほんとに帰っちゃうの?」

 みーちゃんの声は後半、涙声になっていた。

 ……なんだかんだ言って、みーちゃんケイのこと気に入っていたんだな。

 みーちゃんはステージの上でぽろぽろと涙をこぼしている。

 そんなみーちゃんを見ながらケイは、今まで見た中で最高の笑顔を浮かべ、こくりと頷くと、アーシットと一緒に会場から退出した。

 会場にはボーカルの入っていない軽快な曲が、ケイたちを送り出すBGMのようにしばらくの間、鳴り響いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る