第4話 消えた薫

「ガムラン カオクライ アンタラーイクラップ。トン オークチャーク ニークラップ」

「テー ヤーンガタンハン グンパイ」

 『すおう』に入ると、なにやら呪文のような会話が聞こえてきた。

 俺は驚いて、座敷の中を覗き込むと、そこにはケイとアーシットが居た。

 それを確認してほっと安堵の息を漏らす。

 びっくりした、サイアム語だったのか。

 どこかの陰陽師が『すおう』に呪いでも掛けているのかと思った。

 ケイとアーシットは俺が帰ってきたことにも気が付かずに、真剣な面持ちでなにやら討議している。

 ケイのそんな表情は初めて見た。

 ケイは確か十四歳のはずだけど、そんな表情を見ると俺より年上なんじゃないか、と思うくらいだ。

 後ろ手に扉を閉めると、その音で気が付いたのか、アーシットが緊張した面持ちで、咄嗟にこちらを振り返った。

 そして俺の姿を確認して、ほっと安堵の息を漏らす。

「お帰りなさい。勝手に上がらせて貰ってます」

「お帰りナ」

 俺の姿を見たとたん、ケイはいつもの活発な少女の顔に戻っていた。

 その突然の変貌に内心驚いていた。どっちが本当のケイなんだろうか。

「ずいぶん、真剣に話をしていたな。何の話?」

 風呂場に行って、制服から私服に着替えながら、そんな言葉を投げかけた。

 ケイが『すおう』に住み着いてからすでに十一日が経っている。

 観光ビザの期限はあと四日だ。

 そろそろ帰国についての話でもしているのかも知れない。

 初めは余計なお荷物としか思っていなかったケイだったけど、振り返るといなくなるのは少し寂しく感じる。

 それに『すおう』が忙しい時は手伝って貰ったりもした。

 ケイが居たことで助かっていることもいろいろあることに気付く。

 服を着替えて座敷に戻るとアーシットがにっこりと笑って立ち上がった。

「今日はこれから『エンドレス・ワールド』に行こうと話をしていました。いえ、ケイに連れて行って欲しいとせがまれましてね」

「これから!? 『エンドレス・ワールド』に?」

 『エンドレス・ワールド』とは東洋最大級の巨大遊園地だ。

 常にアトラクションを入れ替えていくので、その名の通り何度訪れても楽しくて、そして飽きないアミューズメントスポットである。

 日本観光の名所の一つとしても名高く、そしてそれはこの船橋から電車で三十分ほどの距離の所にある。

 なぜ、今までケイたちが行っていなかったのか、不思議なくらいの観光スポットだ。

 ただ、今は午後五時。

 確かにアフター6パスなど、夕方来園することを促すようなチケットも販売はされている。

 けれど、そうそう来日することの出来ない外国の人間が、初めて『エンドレス・ワールド』に行くのに、そんな勿体ない遊び方をするのか? 

 それで俺は驚いたんだ。

 だけど、そんな俺の戸惑いも余所に、ケイはアーシットの言葉を補足した。

「そういうことなんだナ。今日ちょっと帰るの遅くなるナ。ごめんナ」

「いや、別に。せっかく日本に来ているんだから、観光に行くのはいいことじゃないか」

 ただ、これから遊園地に行く、と言うケイたちとさっきまでの会話していた時の真剣な顔にはあまりにギャップがあり過ぎる。

 あれが、これから遊びに行こうとしている人間の顔なのか。

 それに『エンドレス・ワールド』に行くのなら、きっとケイの性格から言って数日前から話題にしているはずだ。

 おかしい。何か違和感を感じる。

 そう思った俺は、一つの言葉をケイに投げかけた。

「『エンドレス・ワールド』に行くんだったら、お勧めは絶叫系の『ハイスピード・ニンジャ』だな。あれは俺でも悲鳴を上げる」

「うん、それは前から乗ってみたかったナ」

 ケイはそう言って、にこやかに微笑んだ。

「じゃあ、そろそろ行かないと。時間も押し迫っていることですし」

 アーシットはせかすように言う。

 確かにもう夕方だし、早く行かないと乗るアトラクションも限られてしまう。

 だけど、それなら今日行かなくても、明日朝から行けばいいのに……。

 さっき浮かんだ疑問が再燃する。それに――

 実は一つカマを掛けさせて貰ったんだ。

 『エンドレス・ワールド』には『ハイスピード・ニンジャ』なんていうアトラクションは無い。

 「前から乗ってみたかった」なんて言葉は大嘘だ。

 何かの勘違いをしている可能性もあるけど、とにかくケイが嘘を取り繕おうとしたことだけは確実だ。

 アーシットとケイは簡単に身支度をして、『すおう』から出て行く。

 俺はケイたちを見送りながら『すおう』のシャッターを開けた。

 ケイとアーシットは目の前にあるコインパーキングに立ち寄り、そこに停めてある一台の車に乗り込んだ。

 そう、扉にサッカーボールの跡が付いているBMWに。

 アーシットの借りている車だったのか。

 それならここ数日『すおう』周辺に駐停車していたことの理由が付く。

 だけど、なぜか違和感を感じる。

 昨日もケイとアーシットは二人でどこかに出かけていた。

 でも車はコインパーキングに置きっぱなしだった。昨日は車を使わないところに出かけたんだろうか?

 走り去るケイたちを乗せた車を見送りながら、俺はポケットの中にあるボトルラムネに手を掛けた。

 情報は出そろった感がある。あと必要なのはスイッチだけだ。

「耕平兄ちゃん!」

 突然、背中から声を掛けられた。

 慌てて後ろを振り向くと、そこには良太ともう一人の男の子の姿がある。

 その男の子は、なんとなく見覚えがある。

 『すおう』にも何回か駄菓子を買いに来ていた男の子だ。

「耕平兄ちゃん! 薫、どこかで見なかった? 何か情報を訊いていない?」

「薫?」

 聞き返すと良太は小さく頷いた。

 そして隣の男の子に視線を向ける。

「こいつ、薫の兄貴で道広(みちひろ)って言うんだけど、今日、朝から薫が行方不明らしいんだ」

「え?」

 薫の兄、と紹介された道広は、真剣な面持ちで小さく頷く。

「薫のヤツ、まだ家に帰っていないんだ。今日、学校も行っていないみたいなんだ」

「ということは朝、俺が薫を見たのが、最後だったのか……?」

「耕平兄ちゃん、薫を見たの!」

 良太と道広が色めき出す。

 俺は今日の朝の状況を話した。

 薫はランドセルを背負っていたこと、『すおう』をじっと見ていたこと、そして俺の顔を見るなり、すぐに逃げ去ってしまったこと。

「他に情報はない? 『ですお』に来ている人たちから、何か訊いていない?」

 良太と道広は詰め寄った。

 だけど俺にはそれ以上知らせる言葉はない。

「……まだ店を開けたばっかりだしな。警察には届けたのか?」

「父さんたちが連絡をしていた。でも僕も待っているだけじゃなくて、なんとかしたくて」

 道広はそう言って下を向いた。

 気持ちは分かる。落ち着かないんだろう。

「まさか『呪いの館』に居るんじゃ……」

 道広はぼそりと呟くようにそう言った。

「『呪いの館』? なぜ、そう思う?」

「……さっき『呪いの館』の回りで薫を見たっていう人の話を訊いたんだ」

 さっき見た『呪いの館』の裏口での光景を思い浮かべる。

 運び出される怪我人たち。

 あれと薫の失踪に何か関係はあるのか?

 そうこうしている内に、続々と子どもたちが来店して来た。

 良太と道広はその子どもたちに一人一人に聞き込みをしている。

 俺も何かをしてあげたい。今すぐにでも店を閉めて、薫の捜索を手伝ってあげたい。

 でもむやみやたらに歩き回ったところで、薫は見つかるものだろうか。

 それなら、このまま『すおう』を開けておいて情報収集に専念した方が良いのでは……。

 そんなことを考えていると一人の男の子が俺の背中を突いた。

 訝しげにそちらを振り向くと、三十円を俺に渡そうとしている。

「スーパーボールくじをやりたい。一回良い?」

 考えがまとまらない中、俺はお金を受け取り、代わりにくじ引きを引かせる。

 子どもはしばらく、くじ紙を捲ることに奮闘していたが、やがて顔をぱあっと綻ばせると俺に開いたくじ紙を見せてきた。

「五番だ! 当たりだよ!」

 いつもなら「おめでとう!」の一言くらいは出るのだけれど、今は心の大半が薫のことで占められている。

 俺はぞんざいに「ああ」と言って当たりである五番の大きなスーパーボールを渡そうとして、ふと手が止まった。


 子どもから渡されたくじ紙に違和感を感じたのだ。


 俺はあおいさんの指示に従って、くじ紙の裏に印を付けさせて貰っている。

 それは他のお店で引いたくじ紙を『すおう』で使わせないようにするための工夫である。

 で、最近は青いマーカーで横線を引いただけの印を付けておいたのだが、今、子どもに渡されたくじ紙には赤いマーカーのぎざぎざ線が引かれていた。

 これは明らかに『すおう』のくじ紙ではない。

 俺は子どもに向き直って今、渡されたくじ紙を子どもの顔の前に差しだした。

 そして、子どもに恐怖心を与えないように、心の中で言葉を選んだ。

 薫のように、『すおう』に来られなくなる子どもを増やさないためだ。

 俺も少しは経験から学んだのだ。

「これはウチのくじ紙じゃないよ。今、引いたフリをして、すりかえたんだろう。これは――」

 ――無効だよ、と言いかけて、俺は全身からすうっと血の気が引くのを感じていた。

 そのくじ紙の印、見覚えがあった。

 まだ『すおう』を開店したばかりの時、一度だけ赤いマーカーのぎざぎざ線で印を付けたことがあったんだ。

 それは一人の少女が、全てのくじ紙を引いてしまったので、一日で無くなってしまった。

 俺が赤いマーカーでぎざぎざ線の印を付けたのは後にも先にもその時だけだ。

 なぜかというと、ぎざぎざ線より直線の方が印を付けるのに楽だからだ。

 ということは、だ――

「このくじ紙、拾ったのか? どこで手に入れた!」

 自分の不正が見つかったと思った男の子は、身体を硬直させてぶるぶると顔を横に振る。

 ……ダメだ。またもや子どもに恐怖感を与えてしまっている。

 俺はもっと冷静にならないといけない。

 一度大きく息を吸い込んだ。

 そしてそれを吐き出すと同時に、俺はポケットの中に入っていたボトルラムネを数粒口の中に放り込むと、がりっとそれをかみ砕いた。

 いつもと違う『スイッチ』だ。

 自分に動機付けをするのなら、心を落ち着けるときにも使えるんじゃないかと、考えたのだ。

 そしてそれは成功したようだ。心をフラットな状態にした俺は、大きく息を吐くと、男の子に向き直った。

「そんなに怖がらなくても良いよ。キミのしたことは今は気にしていない。とにかくこれをどこで手に入れたかだけを教えてくれないか?」

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