第6話 のぞきこむ男

 ちょっと前のことなんだけどね。その日は丸一日仕事の日だったの。

 で、学校を休んで早朝からテレビ局に行ったの。うん、もう朝っぱらから。その日の仕事は三本立て。朝のお天気お姉さんの仕事と、お昼のバラエティの収録と歌のレッスンで、ごきげん忙しかったんだあ。

 でも、密度は濃かったんだけど、まあなんとか夕方には全て終わったのね。

 それで六時過ぎくらいには家に帰ってきたの。仕事が忙しかった時は、私、すぐにお風呂に入るんだあ。まずね、シャワーをざあっとね、滝修行みたいに浴びているの。そうすると嫌なこととか、ストレスとかが、お湯と一緒に少しずつ洗い流されていくんだあ。それから身体を洗うの。ボディシャンプをスポンジに付けてね……

 え? お前の風呂作法なんかどうでも良いから、話を先に進めろ? もう、せからしいなあ。心に余裕がないとストレスで潰れちゃうよ! 

 ……まあ、話を進めるよ。それで、ごきげんさっぱりになって、身体ほっかほっかでお風呂から出て、少し火照った身体を覚まそうと自分の部屋の窓を開けたんだ。

 うん? 部屋は二階だよ。冷たい夜風がとっても気持ち良くて、しばらくそのままぼうっとしていたの。と、その時よ。窓の外に、動く人影を見たのは。

 道路からじいっと私の部屋の窓を見ている男の人影を見つけたの。

 私は咄嗟に姿を隠したよ。そしてそおっと窓枠から外を盗み見てみたの。

 ひょっとしたら私の勘違いかと思ったから。でも、やっぱり男がいたの。しかも男は私の部屋をずっと凝視をしている。

 やばい、と思ったね。私は窓枠で身体を隠しながら、そおっと窓を閉めた。そしてガラス越しに外を見たけど、まだそいつは私の部屋を監視しているんだ。さすがにこの段階で背筋がぞおっとしたね。ほかほかになったはずの身体もぶるぶると震えてきた。

 母さんも、父さんもまだ仕事から帰ってきていないし、良太は頼りにならないし……ああ、ごめん、言葉を間違えた。子どもの良太を巻き込むわけにもいかないしね。ん? なんか上手くごまかされた感じがするって? 気のせいよ。気のせい。

 ともかく私は部屋の電気を消して真っ暗にしたの。そうすれば、外から中は見えないじゃない? 

 でも男はそれにも構わずにひたすら私の部屋を凝視していた。そしてときおり携帯で写真なんかも撮っていたの。もう、怖くて怖くて仕方がなかった。

 うん、警察に電話すれば良かったね。でも、その時は身を潜めることしか頭になくて、何か行動に移そうって思考が全く働かなかったんだ。

 その状況は一時間続いた。一時間後、恐る恐る窓の外を覗いてみたら男の姿は消えていたの。用心しながら、辺りも調べたけど、やっぱり男は消え失せていた。私は部屋の電気を付けて、それから良太を呼びに行って――

「それからもうひたすら、この状況なんだ。うんざりだよ」

 良太は顔を顰める。

 みーちゃんがやたらのんきに話を始めるから、結構リラックスして訊いていたんだけど、これってひょっとしたらかなり深刻な話なんじゃないのか?

「つまり、ストーカー被害にあっているんじゃないか、とみーちゃんは言いたいわけだ」

「うん。そんなこと考えたくないけどね。私が、あの家に住んでいるっていう情報は公開はされていないけど、このご近所ならみんな知っていることだし、どこからかその情報が漏れて、こういう状況になった、ということも考えられるし」

 ぶるっとみーちゃんは身体を震わせた。そんなみーちゃんに良太は呆れたように言う。

「でもさあ、そのストーカー男はその後、現れていないんだろ。何かの勘違いなんじゃないの」

「何かの勘違いの男が一時間も私の部屋を凝視していないっつーの!」

 ふうん。話をまとめると、こういうことか。

 数日前に、みーちゃんの部屋を約一時間凝視する男が現れた。だが、その男はそれ以降現れていない。と。……確かに不気味さを感じさせる話ではある。ましてみーちゃんは今やトップアイドルだ。そういう事件に巻き込まれる可能性は決して低くはないはずだ。

「なんか、怖い。こうしている時も誰かに覗かれているのかも。家に帰るときも後をつけられるかも」

 いつも元気なみーちゃんらしからぬ弱気な表情を俺に見せる。

「ボクも一緒に帰るから大丈夫だろ」

「あんたみたいなガキが何の頼りになるっつーのよ!」

「だったら、ボクは先に帰んぞ! いーんだな!」

「勝手に帰れ!」

「あー! 分かったうるさい! 姉弟ケンカはやめなさい!」

 俺はみーちゃんと良太の間に入って二人を止めた。

「分かった。もうすぐ『すおう』も閉店時間だ。何の助けになるか分からないけど、店を閉めたら俺も家まで着いていくよ。それでもって、みーちゃんの家の周辺を少し巡回してみよう」

 そんな俺の申し出に目を丸くするみーちゃんと良太。みーちゃんは次第に顔を綻ばして、

「ほんと! やったあ!」

 と飛び上がって喜ぶ。対して良太は、呆れ果てている。

「あーあ。耕平兄ちゃんまで迷惑掛けちゃってどうすんだよ」

「いいよ。どうせ、店閉めたらすることもないし。行こうぜ」

 俺はそう言うと、店の閉店作業を始めた。

 もうお客は竹中姉弟しかいない。閉店作業と言ってもシャッターを閉めて、電気を消せばそれで終わりだ。金勘定なんかは、帰ってからやれば済むことだし。

 しっかりと戸締まりをして、扉に鍵を掛けると、後ろで待っている姉弟に振り向いて言った。

「お待たせ。じゃあ、行こうぜ」


 みーちゃんの家は『すおう』から船橋駅を隔ててちょうど反対側にある。歩いて十分くらいの距離だ。

 船橋の中心部を貫いている海老川沿いの遊歩道を使うと、南北の移動は楽なので、俺たちは今まさにそこを歩いている。

 良太はマウンテンバイクを乗らずに押しており、みーちゃんは楽しそうに鼻歌を奏でながら跳ねるように歩いている。とてもストーカーに狙われていて「怖い」だとか「恐ろしい」とか言っていた人間だとは思えない。ただ、こういう妙に前向きな矛盾性がみーちゃんの良いところだとは思う。

「それは『Weight less』の曲か?」

「え? ああ、そう。今度発売される新曲なんだ。もう毎日毎日飽きるほど歌って踊っているよ。でも、どうしてなんだろうね。いつもどこかミスっちゃうんだよね」

 そう言ってぺろっと舌を出す。

 みーちゃんの家に近づいてきたので、遊歩道から離れ、住宅地の脇道に入った。そういえば、小学校の時は、みーちゃんの家に遊びに来るとき、この道良く通ったなあ、と感慨に浸る。

 今となっては全く使わなくなった道だ。あれから五年しか経っていないのに、自分の行動範囲、生活範囲が大幅に変わってしまっていることに気付き、驚いた。

 でもそれは、みーちゃんにしても同じ事だろう。みーちゃんだって、良太に連れられて来るまで『すおう』までの道は五年間ほとんど歩かなくなっていただろうし、逆に東京のテレビ局への道は毎日のように使っているのだろうし。

「着いたよー!」

 ジャーンという効果音でも付きそうな感じでみーちゃんは、俺の方を振り向いて大きく手を開いた。自分の家に到着しただけの良太は、当然だけどたいした感慨もなく、マウンテンバイクを庭に適当に突っ込んでいる。

「で」

 俺はみーちゃんに向き直る。

「そのストーカー男はどの辺りに立っていたんだ?」

「え? あ、ああ、うーんと、その辺り」

 みーちゃんが指差す地点までおもむろに歩く。そこはみーちゃんの家から距離にして二メートルくらいの位置。辺りに何の遮蔽物もない道のど真ん中だ。

「……本当にここなの?」

「そこ。間違いない」

 みーちゃんは真剣な表情で断言する。

「ふうん」

 少し釈然としない物を感じながらも、みーちゃんの家を振り仰いだ。みーちゃんの家は二階建てだ。見上げた先の二階部分には大きめの窓が見えた。

「あそこが、みーちゃんの部屋?」

「そう。……ちょっと上がっていく?」

「いや、いい。上から見ても分かることは少なそうだし。それより、もう少しここで調べてみるよ」

「……あ、そう」

 なぜか、知らないけどみーちゃんは急にがっくりと肩を落とす。だけど、俺はそんなことを気にしてなんかいられない。

 もう一度、ストーカーがいたと思わしき場所から、みーちゃんの部屋を見上げる。みーちゃんの部屋の上はすぐに屋根で、その上には薄暗くなった空をバックに星たちが瞬いている。

 この場所で、ひたすら一時間近く粘っていたのか。逆にその忍耐力に感心する。その人物は、相当粘着質的な性格だったと思われる。やっぱりストーカーだったのだろうか。

 俺はみーちゃんの部屋の窓を見上げながら、そのストーカーと思しき男の心情を考えていた。

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