第2話 お客様の正体 

 約五分ほどの試行錯誤の末、正体をなくしたように寝ているその物体をとりあえず、放っておくことにした。

 お袋から、今晩は夕食を用意してくれるとの連絡があったので、食べに行かなくてはならないからだ。

 メニューはカレーだ、と言っていたので、たぶん、作りすぎたのだろう。

 でも俺の方も夕食が『ベビースターラーメン ブタメン』ばかりの日々が続いたので、その申し出は願ったり叶ったりだった。

 この少年からは危険なものは感じないし、そして警察に連絡しなければならないほどの事件性も感じない。

 単に日本に旅行に来たバックパッカーが行き倒れ寸前で『すおう』に飛び込んできた、という図式が正解なんだろう。

 それこそ横になったとたん爆睡してしまうくらい疲労しているのなら、寝かせてやろうかと思ったのだ。

 俺の自宅は『すおう』から歩いて五分のところにある。

 俺はとりあえず、売り上げの入った金庫だけ持って『すおう』を出た。

 夕食を取るだけだから、一時間もせずに戻ってくることになるだろう。

 その間、その子だけにしても問題はないはずだ。

 盗まれても困るものはほとんどない。

 そう考えて、自宅で久々に食べるお袋の手料理に舌鼓を打って戻って来たらどうなっているかと言うと――


 食い尽くされた駄菓子の残骸が増えていた。


「なんなんだよ、お前はあああ!」

 さすがに許容範囲を超えた。

 だけど、その子は相変わらずきょとんとした純粋な瞳で小首を傾げているだけだ。

 駄菓子を食いながらな。

「あーあ、こんなに」

 食い散らかされた駄菓子の包装紙を拾い上げて、俺は声を上げた。

 『うまい棒』や『もろこし輪太郎』など、スナック菓子ばかり狙って十袋以上食われている。

 たった十袋といっても、俺はこの損失分を売り上げるために、一体何本『うまい棒』を売らなくてはいけないかを考えたとき、泣きたくなってきた。

 その子はようやく満足したのか、最後の駄菓子の包装紙を捨てると

「ドーモありがとうナ。ゴチソウサマナ」

 と片言の日本語でお礼を言ってきた。

「なんだよ、お前、日本語、喋れるのかよ」

「ちょっとだけナ」

 そう言って座敷の上で正座をした。

 そしてゆっくりと頭を下げる。

「ハジメまして。私はケイといいます。ハルエさんの友達ナ」

そして顔を上げると、にかっと笑った。

「ハルエ?」

 ハルエ……春江。

 それは、ばあちゃんの名前だ。

 だけど、俺のばあちゃんは七十七歳。

 対して、このケイとなのった少年は中学生くらい。

 しかも外国人。

 一体、何のつながりがあるのだろうか。

 ばあちゃんに外国人の友達がいたのだろうか? 

 とそこまで考えたところで、もしや! と思った。

 ひょっとすると、あの『孔明の巾着袋』の中に何か答えがあるのかも知れない。

 座敷の隅に無造作に置かれた、それを久しぶりに引っ張り出す。

 一つ目はすでに開封済みだ。

 というわけで、二つ目の巾着の中に手を突っ込んだ。

 そして取り出したる手紙には果たして

 『サイアム王国から私の友人が来日するから丁重におもてなしするように』

 との伝言があった。

 やっぱり。

 妙な脱力感を感じた。

 まあ、ともかく素性の知れないヤツではないことが分かっただけでもほっとしたのだ。

 というか、ばあちゃん、重ねて思うけど、こういうことは口頭で伝えてくれよ。

 サイアム王国は確か東南アジアの国の一つで、親日国だ。

 ばあちゃんは、よく海外旅行をしているので、たぶんサイアム王国に行った時にでも知り合いになったのだろう。

 ちょこんと正座している外国人、ケイを改めて見る。

 ケイは小首を傾げて、俺の反応をひたすら待っている。

 外国人にしては正座に慣れているように感じられる。

 日本に来るにあたって練習でもしたのだろうか。

 ともかくも、異国からのこの珍客のおもてなしをしなくてはならない。

 俺は『ベビースターラーメン ブタメン』にお湯を入れて、そして先ほどお袋から貰ってきたカレーを少し入れて、カレーラーメンにしてケイに渡した。

 散々、駄菓子を食べた癖に、まだ腹は減っていると見えて、ケイは嬉しそうにそれに飛びつく。

「俺の名前は耕平な。よろしく」

「うん。ずずず。よろしく、ずずず、ナ」

 良かった。

 日本の子ども用ヌードルとはいえ、外国の人のお口に合ったようだ。

 俺はベビースターラーメンと熱心に格闘するケイをぼおっと見ながら、訊いた。

「ところでケイはなにしに日本に来たんだ? 観光か? 俺は仕事も学校もあるから、あんまり案内は出来ないけど、休みの日で良ければ、面白いところに案内するぞ」

 するとケイは今まで啜っていたベビースターラーメンをそっとコタツの上に置くと背筋を正して俺を真っ直ぐに見た。

 なんだ、なんだ。

「捜し物があるナ」

「はい?」

 捜し物って……? 

「私のお姉ちゃんの捜し物ナ。それは」

 と言いかけて、ケイは「ふああ」と大きくあくびをした。

 目はとろんとしていて、物凄く眠そうだ。

 考えたら、遠いサイアム王国から日本に辿り着き、そしてこの船橋の『すおう』まで一直線にやってきたのだ。

 相当疲労しているのは間違いがないだろう。

 俺は強引にケイの話を遮った。

「ケイ。急ぎでなければ、その捜し物については明日訊く。今日はシャワーでも浴びて、寝た方が良いんじゃないか?」

「……うん。そうするナ。ちょっと疲れたナ」

 俺の提案にケイは一も二もなく賛同した。

 ケイはスーツケースをぞんざいに開くと、中からバスタオルを持ってふらふらと立ち上がる。

 俺は風呂場までケイに付き合ってやった。

「ええと、これを回すと上からシャワーが出る。こっちに回すと温かいお湯が出て、反対に回すと水だから気を付けろ」

「カオチャイマーク……分かったナ」

 次第に日本語が出なくなっている。

 これはだいぶ限界に近づいているのではないだろうか。

 ゆっくりシャワーでも浴びて疲れを取って頂きたいところだ。

「じゃ。もし何かあったら声を掛けてくれ。座敷にいるから、声はすぐ届く」

 風呂場の扉が閉まり、シャワーの飛び散る音が聞こえてきたことに安心し、俺は座敷に戻った。

 そしてケイの日本に来た目的「私のお姉ちゃんの捜し物」について考える。

 ストレートに考えると、姉ちゃんに日本での買い物を頼まれた、という図式が一番自然だ。

 きっと「なんちゃら(ここにはブランド名が入る)のバックを買ってきて!」とか「ほにゃらら(ここにもブランド名が入る)のスカートを買ってきて」とかそんないかにも女性らしい頼まれごとをしたのではないだろうか。

 でも、その場合『捜し物』なんて言い方をするだろうか。

 これでは完全に『買い物』だ。ショッピングだ。

 とすると、この考えは間違いだということになる。

 ケイの姉ちゃんは何を依頼したのだろう? 

 と、その時、風呂場の方からケイの戸惑った声が響いてきた。

「コーヘー。シャンプーはどこにあるナァ」

 そうだ、しまった! 

 シャンプーは切れてしまったので、今日、学校帰りに買ってきたところだったんだ。

 俺はあわててカバンの中から開封すらしていないシャンプーを握りしめて立ち上がった。

「ごめん、今、持って行く!」

「え? え? ちょっと待ってナ!」

 座敷から風呂場までは、わずかに五歩で到達する。

 あっという間に辿り着いた俺は風呂場の扉を、がばあっと開けて

「悪い!シャンプー切らしたこと忘れていた! これを使ってくれ!」

 と言って、ずいっとシャンプーを差しだした。

「う、あ」

 俺の目の前にいるのは当然、素っ裸のケイ。

 ケイはシャワーを浴びた状態のまま固まっていた。

 その大きな目を更に大きく見開いて。

 シャワーから放たれた水滴はその浅黒い肌を伝って、滴り落ちて行く。

 俺はその光景をスローモーションのように見ていた。

 ケイはその膨らんだ胸と大きく張り出した腰を隠すことも出来ずにいた……って、おい!

「あ、あ、ううー!」

 そのくびれたウエストライン、何も付いていない下腹部、柔らかそうな肌、まさか、ケイは、ひょっとして――

「いつまで見ているカァァァ!」

 物凄い勢いで洗面器が飛んで来て、俺の顔面にヒットするのは自明の理だった。

 俺は無様に仰向けに倒れることしか出来なかった。

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