第4話 パラノイアの本棚

 ねえ、ケイ訊いてよ! 私が日本に行った時の話ネ。

 私、とても素敵な男の人に助けられたの。

 とっても紳士で、まるで騎士のような人。

 え? どうやって助けて貰ったかって?

 私ネ、その時、本国に連絡をどうしても取りたかったの。

 でも連絡を取る方法が全く無かった。

 携帯電話はバッテリーが切れていて動かない。

 公衆電話を使おうにもサイフは持っていない。

 代金先方払いで電話を掛けようと思ったんだけど、なぜか公衆電話が故障しているみたいでちっとも使えない。

 え? なんでサイフを持っていなかったのかって? 

 ああ、それネ。一緒に行ったナムにサイフもパスポートも預けていたんだけど、はぐれちゃったのよ。あはははのはー。

 あ、そうそうナムと言えば、知ってる? 

 あの子また彼氏変えたらしいわよ。

 どこかの大学の准教授だって。まったくインテリ好きよねー。

 え? 早く話を進めろって? ああ、ごめんごめん。

 ともかくも全くあの日は運がなかったネ。

 そんな時なの、あの人に出逢ったのは。

 途中下車したフナバシっていう駅の周りで、途方に暮れていた時、私はとある本屋さんに入ったの。

 うん? なんで入ったのだろうね。私も全く分からないわ。運命のお導きってヤツなんじゃない? なーんてね。

 私、その時、呆然としてふらふらしていたから、つい自動ドアを開けてしまったんだと思う。その流れで自然と入店してしまったんじゃないかな? 

 そして、そのレジにあの男性は立っていたわ。私は一瞬にしてその瞳の深さに心を奪われたの。そして、つい訊いてしまったわ。

「すみません。インターネットを使わせてもらえませんか」って。

 あ、もちろん英語よ。日本では英語が通じないことは多いけど、その人は英語を喋れたの。

 その人は一瞬、びっくりしていたけど、すぐににっこり笑って「どうぞ」と言って、奥の部屋に連れて行ってくれて、パソコンを使わせてくれたの。

 そして見も知らずの私にドリンクも出してくれた。

 私、本当に嬉しかった。九死に一生を得た気分だったわ。

 パソコンを使わせてくれたおかげで、私は本国と連絡を取ることが出来て、そして、ナムとも連絡を取ることが出来た。

 そして携帯電話も充電してくれたの。

 いっぱいいっぱいお礼を言って、私はすぐにナムに会いに行った。

 私とナムは再会を涙を流して喜び合ったわ。

 翌日、私はその本屋さんにもう一度訪れたの。

 お礼をしたかったのと、その、あの。あの素敵な男性の連絡先を訊き忘れていたことに気が付いたのね。

 ……なによ、その目は。いいじゃない。旅先のロマンスってヤツよ。

 でも残念なことにそこのお店はお休みだったの。

 旅行の日程の関係でその本屋さんにはもう立ち寄ることは出来なかったわ。

 ケイ? あなたには、一つ忠告しておくわ。出会いは一期一会。

 ただ一つのチャンスを確実にものにしなさい? 

 そうしなければ、二度とその人とは会えなくなるかもしれないんだから。

 わかった? ケイ? こら、どこに行くの! まだ話は終わってないわよ!

「一字一句間違いなく、日本語に訳して話したナ」

 ケイはそう言って胸を張った。

 俺はがっくりと肩を落とす。

「……まあ、これで分かったのは、ケイの姉ちゃんは物凄く話すことが下手だ、ってことだな。で、結局、ケイの姉ちゃんは何が言いたかったのか俺に説明してくれ」

「これを」

 と言ってケイは懐からなにやら可愛らしい便せんを取りだした。

「その本屋さんの素敵な男性に渡して、連絡先をゲットしてくれ、と頼まれたナ」

「……なるほど、それは非常に簡潔な説明だ」

 ようやく事情が掴めた。

 しかしケイの姉ちゃんもドジっこの上に無茶ぶりが過ぎる。

「その本屋がどこにあったか、ということは姉ちゃんに教えて貰わなかったのか?」

「私の姉さん、物凄い方向音痴ナ。自分の国でも良く道に迷うナ。地図を書いて貰おうとしたけど、壊滅的だったナ。とりあえず、船橋駅のすぐ近く、ということだけは間違いがないナ」

「船橋駅周辺かあ。それに入り口が自動ドアの本屋だな。それだけでもだいぶ絞れるけど……。何か、他に手がかりはないか? どんな外見をしていた、とか」

「まったく分からないナ。……あ、一つだけ妙なことを言っていたナ」

「妙なこと?」

「うん。普通、本屋さんの本棚はきれいに、整然と本が並んでいるナ。でも姉さんが親切にしてもらったその本屋さんの本棚は、めちゃくちゃだったって言っていたナ。不気味だったって言っていたナ」

「なんだ、それ」

「コミックスのコーナーがひどかったって言っていたナ。作者名の書名もめちゃくちゃに並んでいたって」

「姉ちゃんは、日本語読めなかったんだよな? よくめちゃくちゃに並んでいるって分かったな」

「日本語を読めなくても、本の背表紙には、法則性があるナ。きちんと並んでいないことくらいは分かるナ」

「そりゃあ、そうか」

 なるほど。ということで現在得られた手がかりは、

 1,船橋駅周辺の本屋である

 2,入り口は自動ドアである。

 3,そこの本棚は(コミックスコーナーは)雑然と並べられている

 だ。

 でも、手がかり『1』『2』はともかく『3』は一体どういうことなんだ? 

 常識的に考えてそんな本屋はあるわけないし、見たこともない。

 逆に言うと『雑然と本を並べた本屋』を探せば、一発で特定出来ることになる。

「うーん」と俺は腕を組んで唸った。

「とりあえず、それらしい本屋さんを一件一件廻ってみないとなんとも言えないな。明日店を臨時休業にして、探してみよう」

 そう言うとケイがぽかんとした表情で俺のことを見返していることに気が付いた。

「一緒に探してくれるのカ?」

「何を当たり前のことを。どこに本屋があるかも分からないだろ?」

「おおおおー! ディーチャイマークナ!!」

 嬉しすぎて母国語になったケイがいきなり飛びついてきた。

 やせぎすで小さいけど、やっぱり女の子だ。

 身体は男と違って柔らかいし、風呂上がりの石けんとシャンプーに良い香りが漂ってくる。

 子ども認定していたはずのケイに、少しどきどきしてしまっている俺がいる。

 と、その時だ――

「こんばんわー! また来ちゃったよー! 耕平、いるー?」

 と聞き覚えのある声が閉店した『すおう』に響いてきた。

 そして俺が「いる」ともなんとも言っていないのに、いきなり扉が、がらあっと開け放たれる。

「なんだ、耕平いるじゃん! ……って、なによ、その子」

 凄い、みーちゃん。一発でケイが女の子だって見抜いた。

 さすがは思春期ど真ん中トップアイドル。

 いや、関係ないか。

「いや、この子はケイと言って、サイアム王国からやってきた子で、ばあちゃんの友達で、ばあちゃんの頼みで断れなくて」

「で」

 みーちゃんは今まで見たことがないようなきつい表情で俺のことを睨み付ける。

「その子はどこに泊まっているの?」

 うわ……。

 いきなり核心を突いてきたよ。

 口ごもっているとみーちゃんの視線がますます鋭くなる。

 どうせ、勘の良いみーちゃんのことだ。嘘を吐いてもバレるだろう。

 それなら覚悟を決めて正直に言った方が良いかも知れない。

「ここ」

「うわああああああああああああ! ごきげん、いらつくぅぅぅ!」

 俺とケイはびくりと身体を震わせる。

「私も泊まるううううううううう! ここに泊まるうううううううう!」

「ちょ、ちょっと待て、みーちゃん! そんなこと言ってもこれ以上泊まるスペースはないし、そもそもアイドルが外泊して誰かに見られたりしたらどうするんだ!」

「いやいやいやいやああ! そんなの関係ないもん! 私に限界は存在しないもん! 私はこの世に存在する壁をぶちこわしてやる存在だもん! 天も次元も突破するもん!」

「そんなロボットアニメの主人公みたいに格好良いこと言ってもダメ! だいたいケイは子どもだし、別々の部屋で寝泊まりしているから大丈夫だって!」

「私はもう子どもじゃないナ! いっぱしの大人の魅力的な女ナ! 少なくともこの女よりは胸大きいナ!」

「なんだとおおおおおお! 今、言ってはいけないことを言ったあああああ! 言ってしまったなあああああ!」

「ケイ! 話がややこしくなるから黙ってろ! みーちゃん! 落ち着けっ!」

 俺は今にも掴みかからんばかりの争いになりかけた、みーちゃんとケイの間に入って二人を止めた。

 それでも二人は互いの隙を突いて、攻撃を仕掛けようとしていたけど、俺が間に入ったまま、たっぷり一分もかけたら、ようやく怒りの炎も鎮火してきたようだった。

「耕平、分かった。私、明日も来る。明後日も来る。明明後日も来る。それで良いよね」

 何が「それで良いよね」なのか良く分からない。

「来るのは構わないけど、たぶん、明日も明後日も明明後日も仕事なんじゃないの?」

「ぐ」

 と、言葉に詰まるみーちゃん。

 勝ち誇るケイ。

 だけど、そんなケイの様子に頭に来たのか、みーちゃんは、突然がたっと立ち上がり、そしてケイに人差し指を突きつけてこう宣言した。

「だったら、仕事で来る! 『駄菓子屋』を取材に来るっていう仕事を見つけてここに来るうう! 来てやる!!」

 そして「覚えてなさい!」という見事に悪役っぽい捨て台詞を吐いて、立ち去って行った。

 そんな、みーちゃんを見てケイは「楽しい女ナ」と嬉しそうに言う。

「あ、そう……」

 俺は予想以上に精神疲労が激しかったようで、がっくりと頭を垂れることしかできなかった。

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