第一章 のぞきこむ男

第1話 お客さま、第一号

 がらがらっとシャッターを開けると夕暮れの柔らかい陽光が差し込んできた。さっきまでの澱んでいた室内の空気が一気に入れ替わる。

 今まで暗褐色だった店内が、カラフルな彩りに変化した。わずか四畳半の店内に雑然と並べられた駄菓子。

 とりあえず、一通りはたきをかけ、床を掃いて掃除をする。自発的に掃除をするなんて、いつ以来だろうと思う。やっぱり自分のものか、そうでないかで掃除のやる気も違ってくるってもんだ。

 ここ『駄菓子屋すおう』は船橋の住宅街の片隅にある。 

 両隣の家は普通の一軒家で、真向かいはコインパーキング。昭和テイスト溢れる住宅街のど真ん中だ。ここも本来は普通の一軒家だったのだけれど、今は亡きじいちゃんが五十年前に改造して駄菓子屋を始めたのが、そもそもの始まりらしい。

「さてと」

 一通り掃除をしてから、今度は賞味期限のチェック。ばあちゃんが店を休んでから、まだ一週間しか経っていないから切れているものはないとは思うけど、念のためだ。賞味期限が切れていたというクレームを受けるのは俺なのだから。

 約十分ほどで、全商品の賞味期限チェックが終わった。調べて分かったことは『うまい棒』などのスナック系はだいたい三ヶ月くらい、『クッピーラムネ』や『あわ玉』などのラムネ、キャンディー系は一年くらいの賞味期限がある。意外だったのは『フィリックスガム』などのガム系。なんとガムには賞味期限がないのだ。今まで知らなかった。

 賞味期限チェックが終わったら、次は金庫のチェックだ。『駄菓子すおう』では四畳半ほどの店舗スペースに続くようにして、一段上がったところに座敷がある。コタツが真ん中に、でんと置いてあるそこが居住区であり、『すおう』のレジスペースでもある。レジ代わりに使っているのは手持ち金庫だった。ばあちゃんに教えて貰った番号でダイヤルを回し、金庫を開ける。中は二段構造になっており、下にはお札、上段には小銭が入っていた。よしよし、これでいつでも商売が出来るぞ――なんて悦に浸っていたその時だ。

「あ、『ですお』やってんじゃん」

 意識が完全に金庫に向かっているときに、突然、背後から声を掛けられたので思わず飛び上がってしまった。あわてて振り返ると、そこには小学校高学年くらいの男の子が、マウンテンバイクを停めて、今まさに店内に足を踏み入れようとしている。

 おお、記念すべきお客様第一号だ。

 俺は少し緊張気味の声で「いらっしゃい」と声を掛ける。ちょっと声が裏返っていたかもしれない。もっと自然体でやらなくては。少し反省――。

 男の子は奇妙な物を見つけたような表情で、しげしげと俺を見ていた。

「あれ、ばあちゃんはどうしたの?」

 その質問は予想していた。俺は用意していた答えを返すだけだ。

「怪我しちゃったんだ。俺は、ばあちゃんが戻ってくるまでの代役」

「ふうん」

 男の子は、そんなことにはさして興味がないように気の抜けた返事をすると、店内の駄菓子の物色を始める。

 ちょっと肩をすかされた気分。まあ、こんなもんなんだろうな。

 ところで男の子の発言で一つ気になったことがあった。それを訊いてみないと、俺は今晩眠れそうにない気がする。

「ところでさ、『ですお』ってなに?」

「え?」

 男の子は、何をそんな当たり前のことを訊いているの? と言わんばかりの表情で俺を見返す。

「この店の名前じゃん」

「え?」

 今度は俺がその表情を返す番だった。

「この店の名前は『すおう』だろ?」

「え?」

 唖然とした表情でお互いを見つめ合う俺と男の子。どうにも話がかみ合わない。俺は店外に出て看板を見るように男の子を促した。

「ほら、見ろよ。『駄菓子すおう』って書いてある」

 男の子は俺に続いて看板を見上げると、小馬鹿にしたかのように鼻で笑った。

「やっぱり『ですお』じゃん」

「ええ?」

 この子は一体、何を言っているんだろう? 日の光で反射する看板に目を眇ながら、そこに書かれている文字を追っていく。ほら、ちゃんと『駄菓子すおう』って書いて……

 ……なんとなく男の子の言っている意味が分かった気がする。年代物の看板は風雨に晒され続けていたせいか、ところどころ文字が消えたり、汚れたりしている。『駄菓子すおう』の『駄菓』はほとんど消えかけており『子』が一部が削れて『で』に見えないこともない。そして『すおう』の『う』に至ってはほとんど見えない。

「なるほど。『ですお』だ……」

「だろ?」

 男の子はにっかり笑って、店内駄菓子の物色を再開する。

 「それでも店名は『すおう』なんだよ」と声高に主張しようかと思ったけど、止めた。

 良く考えたらそれほど重要な問題じゃないような気がしてきたんだ。ここが駄菓子を買う場所って事だけが分かれば、別に固有名詞なんてどうでもいいんじゃないかなって思ったんだ。

 たぶん、ばあちゃんも子どもたちに言わせるがままにしてきたのだろう。ここは『すおう』であり、『ですお』である。ひょっとすると他にもいろいろと呼び方があるのかもしれない。でもそれで良いのだろうな。

「ばあちゃんは、いつ戻るの?」

 駄菓子を物色しながら男の子は訊く。

「たぶん、三ヶ月後くらいだと思う」

「そんなに? がっくりだよ。せっかく相談しようと思っていたことがあったのに……」

 相談? 駄菓子屋に来てする相談って何だろう。……そう言えば、ばあちゃんも病院で「ガキん子たちの相談に乗って欲しい」と言っていたな。こういうことなのか。

「何だよ、相談って。俺じゃダメな話か?」

「うーん」

 男の子はそう言って俺の事を値踏みでもするような目つきで上から下までゆっくりと視線を往復させた。やがて、なにか妥協したように頷く。

「じゃあ、お兄ちゃんで良いや」

「じゃあ、ってなんなんだよ、じゃあって」

「気にしないでよ。ともかく、こんなことがあったんだけど、聞いてくれる?」

 と、その男の子は、ゆっくりとこんな話を始めた。

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