第7話 男の正体

 結局、さしたる結論も出ずに、みーちゃんたちと別れ、俺は『すおう』に舞い戻って来ていた。

テレビの電源を入れて、適当な番組を流しながら、やり残していた今日の売り上げの計算と、店の掃除を行う。そして、今回のことをぼおっと考えていた。

 そのストーカーと思しき男は一度しか現れていないという。

 そしてみーちゃんも「気味が悪い」とは言いつつも、警察に届ける気はなさそうだ。本人も危険性はなさそうだ、と感じているのだろうか。

 だけど、あんな道のど真ん中で一時間近くも寒空の中突っ立っていたという事実には、何か狂気じみたものを感じる。本当に危険性はないのだろうか。

 テレビはニュース番組を映し出していた。

 そこで報じているのは、タイムリーなことにストーカー殺人事件についてだ。

 元カレが復縁を求めて、ストーカー化してしまい、凶行に至った、とかなんとか。

 俺は身震いをした。こんなことが、もしみーちゃんの身の上に起こったら、どうしよう。

 そんなことを考えていたら、はたきを掛ける腕にも身が入らない。気が散っていたせいか、どうでも良い場所にはたきを掛けてしまう。

 ダメだな、棚の最上段なんかはたきを掛ける必要もないのに。こんなデッドストックの掃除は本当、大掃除の時で良いのだ。

 頭の中でいろんな情報が渦巻いていて落ち着かない。

 俺はコタツの上に置いてあった食べかけの『ボトルラムネ』に手を出した。そしてそれを口に中に放り込む。

 ボトルラムネにはブドウ糖が使われている。ブドウ糖というのは脳の栄養になるって、昔どこかのテレビ番組で言っていた。小学生の頃にそれを見た俺は、それ以来ボトルラムネを『スイッチ』として活用しているんだ。

 口の中いっぱいに清涼感が広がる。そしてそれと同時にとっちらかった頭の中のデータが最適化されて行く。クリーンになって行く。


 かちり、と『スイッチ』が入った実感があった。

 

……あ。

 その時、とある物が俺の目に止まった。頭の中で、点と点だった事象が次々に繋がり出す。

 そうか! そういうことだったのかも知れない!

 俺はその論拠を得る為に、『すおう』の奥座敷に詰まれている、ここ一週間分の新聞を片っ端から捲っていった。


 翌々日、みーちゃんは、良太と一緒に『すおう』に来店した。

 昨日はみーちゃんは放課後にダンスのレッスンがあって来られなかったようだ。代わりに来店した良太に「解決したぜ」とだけ伝えておいた。それを受けての本日、姉弟揃っての来店というわけだ。

「解決したって、どういうことなの? ストーカーがどこの誰か分かったってこと?」

 制服姿のみーちゃんは、上半身を乗りだして、俺に迫ってくる。俺は「ちょっと待って、みーちゃん!」と一度落ち着かせてから、口を開いた。

「まず、みーちゃん。そのストーカーが現れた日っていつだ?」

 みーちゃんは俺の問いに、首を傾げて指折り数える。

「……えーと、ちょうど十日前かな?」

 それを訊いて、俺は深く頷いた。間違いない。俺の推理はこの時点を持って立証された。

「俺も『すおう』を開店したばかりで、全く気が回らなかったんだけど、その日はこんな一大イベントがあったんだよ。ほら」

 そう言って俺はおととい必死になって探し出した十日前の新聞を取りだした。

 畳の上に広げると、みーちゃんと良太は一緒になって覗き込む。そこの一面にはこんな見出しが大きめのフォントで躍っていた。


 『本日、皆既月食』と。


「ど、どういうこと?」

 みーちゃんは目を丸くして訊く。

「実際に、みーちゃんの家の行って良かったよ。おかげで分かった。あのストーカーと思しき男は、みーちゃんの部屋を覗いていたんじゃないんだ。実は『月』を見ていたんだ」

「『月』? でもでも、男は私の部屋の方向を向いていたよ」

「みーちゃんの部屋は二階だろ? そのちょっと上は、空だ。見上げる角度なんて、ほんの数度違っただけで大きく変わる。ときおり盗み見る程度の観察じゃ、男がどの角度で見上げているのかなんて分からないだろ? それに」

 俺はスマホを取り出す。そして予め調べておいた天体サイトを表示させた。

「ほら。その日の月の方向を見てくれ。ちょうどあの男が立っていた場所から、みーちゃんの部屋の方角とどんぴしゃだ。そして月食の時間を見てくれ。月食は約一時間十分で終了したとある。男は一時間くらい突っ立っていたんだろ。時間もばっちりだ。それに仮にストーカーだったら、あんな道のど真ん中に立っていたりしない。普通、遮蔽物の影に隠れて覗いたりするんじゃないのか? 電柱とか壁とか車の中とかさ。つまりストーカーと思われた男は、皆既月食を観察していただけの一般人だった、ってわけだ」

「……」

「……」

 みーちゃんと良太は唖然として、俺の顔を見、スマホを見、新聞を見、そしてまた俺の顔を見た。

「……たぶん、それ正解だよ、耕平。なんで分かったの?」

 俺は頭を掻いた。

 いや、そのきっかけはほとんど偶然だ。おととい、俺は『すおう』の棚の上段に仕舞われているダンボール箱を見て、それを思いついたんだ。そう、『太陽観察眼鏡』の入っているデッドストックなダンボール箱を。日食から月食に思考がスライドすれば、後は早かった。裏付けの為の資料を集めれば、推理の証明は終わったも同然だ。

 そう説明すると、みーちゃんは感極まったように飛び上がった。

「すごい、すごい! ごきげんすごい! 耕平、昔のまんまだ。違う、今の方がもっとすごい!」

「褒めすぎだよ、みーちゃん」

「ううん。すごいよ、耕平。……ありがとう、相談にのってくれて」

「やめてくれ。くすぐったい」

 俺は根本的に褒められることに慣れていない。

 みーちゃんと視線を合わすことが出来ない。照れまくって、あらぬ方向に視線を泳がせていた。

「……耕平。また、私の相談にのってくれる? また私と友達になってくれる、よね?」

 みーちゃんは懇願するように上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。その表情、その瞳を見て、俺の心臓は跳ね上がった。

 やばい、みーちゃん。その表情は反則だ。必死に心の奥底に沸き上がってきた感情を抑え込む。

「何言ってんだよ、みーちゃん。俺とお前は幼なじみだろ? 昔からずっと友達だよ。いつでも相談にのるよ」

 俺のその言葉を訊いて、みーちゃんは安心したように、そして嬉しそうに、笑みを浮かべた。

 ひんやりとしたイメージの月が夜道を照らしていた。

 ほんの十日前まで日本中の注目を浴びていた月だ。今は、普段通りの表情を取り戻している。

 ボクはマウンテンバイクを押しながら、鼻歌を歌いながら跳ねるように歩いている姉ちゃんの後を付いていく。

 鼻歌は、最近、良く聴くメロディだ。たぶん、この前言っていた今練習している『新曲』なんだろうな。

 ボクは歩きながら、耕平兄ちゃんの推理のことを考えていた。

 凄いと思った。あの、なんにもない所から、あそこまで辿り着いたことが。


 ……でも耕平兄ちゃんは、鋭いけど、時々鈍い。


 ボクは、目の前を歩いている姉ちゃんの背中に声を掛けた。

「……姉ちゃん。良かったな。また耕平兄ちゃんと仲良くなれて。作戦通りだろ」

 聞こえているのか、聞こえていないのか。姉ちゃんは相変わらず鼻歌を歌ったまま、先を行く。

 もう一度、声を掛けようとしたら、姉ちゃんはようやく振り返った。いたずらが見つかった子どもみたいな笑みを浮かべて。

「なんのこと?」

「姉ちゃん、月食のこと知っていただろ。あの男のことだってストーカーだなんて思っていなかったよね? だって姉ちゃん、月食の日のテレビの仕事ってお天気お姉さんだったじゃん。確か、そこで月食の話題をしていたよね。ボクは覚えているよ」

「……」

「『今晩は、関東地方は晴れ、です! 絶好の皆既月食観察日和ですね!』って言っていたじゃん。自分で」

「……」

「それに知っているぜ。姉ちゃんがアイドルになった理由。小さいときの初恋の相手がアイドルが好きって言ったからなんだよな。確か『ワクワク7』とかいう。それってもしかしてさ」

「ああー、うるさいうるさーい! ごきげん、うるさい!」

 姉ちゃんは、いらいらしたようにオーバーに両手を振った。

 そしてペースを上げて早足でどんどんと先へ行ってしまう。

 ヤバい。追求が激しすぎたかな? 怒らせちゃったかな? 

 でも一瞬、姉ちゃんの横顔を盗み見たけど、そして先を行く姉ちゃんの背中を見たけど、なんか嬉しそうにボクには見えたんだ。

 ボクは肩を竦めて、小さくため息を吐くと、押していたマウンテンバイクにまたがって、そんな姉ちゃんを追いかけることにした。

 姉ちゃん。黙っていてやるけど、これ貸し『1』だからな。

 ……いや、ひょっとして耕平兄ちゃんの方に貸し『1』にするべきなのかな? 良く分からないや。まあいいや。

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