第五章 呪いの館
第1話 竜也と冬美とみーちゃん
駄菓子屋をやっていると、子どもたちの間で話題になっていることや噂になっていることを耳にすることが多い。
そしてそれはどこのなによりも早いスピードで俺の耳の飛び込んでくる。
時々このスピードはフェイスブックやツイッターよりも早いんじゃないかと思う。
どこそこの学校で今度遠足があるとか、なんとかっていうゲームソフトはあそこのオモチャ屋にはまだあるぜみたいなプチ実用的なものから、夕方学校に行ったら階段が一つ増えていたとか、帽子を被った外国人に話しかけるとさらわれるみたいな都市伝説的なものまで千差万別、玉石混淆。
その情報が有用かそうでないのか、かなり微妙ではある。
そんな中で最近『すおう』に来る子どもたちの間での注目キーワードナンバーワンは、『呪いの館』だ。
『呪いの館』――。
断片的に耳に飛び込んでくる子どもたちの話を総合すると、それはとある空きビルのことらしい。
というか実はその空きビルは『すおう』から見ることが出来る。
『すおう』の店先に出てほんの少し見上げると、西の空にそそり立っているビルがあるのが分かる。
外壁がはげ落ちていたり、ガラス窓が割れていたりするので、少し薄気味悪い。空きビルの中には、カラスの死骸があったり、ときおり男のうめき声が聞こえてきたりと、ちょっとした肝試しスポットの様相を見せている。
子どもたちはそこに忍び込んで探検したりして楽しんでいるわけだ。
それを訊いて俺は、危ないなあ、と思った。
もしそこの空きビルの探検中に窓から落ちて怪我をしたら、誰からも気付かれずに手遅れになる可能性がある。
そして、得てしてそういう廃ビルはホームレスが住み着いたり、千葉県にまだ生存している暴走族のたまり場になったりする。
無用のトラブルに巻き込まれる可能性も高い。
小学生の遊び場とするには非常に危険だ。……と思ったけど、よくよく考えたら、俺も小学校の頃、そんな遊びをした覚えがあった。
ほかならぬみーちゃんと一緒にどこかの空き家を探検した覚えがある。
あれはわくわくして楽しかったなあ。結局、元の持ち主と鉢合わせして、こっぴどく怒られたけど。
……と話が少し脱線したけど、実は『呪いの館』の話にはまだ続きがある。
その『呪いの館』が最近閉鎖されたらしいんだ。
今まで簡単に忍び込めた外壁の穴が補修され、そして塀の上には有刺鉄線が張り巡らされ簡単に乗り越えられなくなったらしい。
そして今まで開けっ放しだったビルの裏口の扉には、真新しい鍵が取り付けられたとのことだ。
その話を訊いた時、「いいことじゃん」と言いかけた俺は思わず口を噤んだ。
たぶん自分が小学生だったら、子どもたちと同じように空きビルの閉鎖を嘆いていたはずだ。でも今は普通に空きビルの閉鎖を歓迎している自分がいる。
子どもの心をなくしてしまったのだろうか。それとも大人になるっていうのは、こういうことなのかな。
自分で自分の心を見つめ返して、少し感傷に浸ってしまった。その時、
「よ」
いつもの無骨さで竜也が来店した。
あれ? と思い、思わず壁に掛かっている時計を見返してしまった。
まだ夕方の五時半だ。竜也が来店する時間帯じゃない。
そう思っていると竜也の後ろから一人の女の子が恐る恐る顔を出したことに気が付いた。
青いジャージ、ポニーテール、そして手に持ったサッカーボール。
あの女の子だ。病院のエレベータールームですれ違った車椅子の女の子。そして竜也の心を救ってくれた女の子だ。
竜也は『ペペロンチーノ』をつかみ取り、お湯を入れて、俺に七十円を渡す。
なんら変わらないいつもと同じ行動。いつもと違うのは傍らにいる女の子に「なんでも好きなの食べていいよ」と促していること。
女の子は心そこにあらず、といった感じで、店内の色とりどりの駄菓子に目を奪われている。
「ここは初めて?」
そう訊くと女の子は「うん!」と元気よく答えた。
「冬美はさ、北習志野に住んでいるんだ。だから船橋も病院以外は、駅周辺のデパートしか行ったことがないんだって」
その冬美と呼ばれた女の子は、しばらく熟考した挙げ句、『うまい棒納豆味』と『ウメトラ兄弟』と『おやつカルパス』を選んだ。
なかなか渋い趣味だな、冬美。
冬美が嬉しそうに駄菓子を食べ始め、竜也が『おとくらーめん』に手を出し始めた頃、もう一人の珍客が店頭に顔を出した。
それは――
「こーへい! 送ったメールに返事くらい返せっつーの!」
鬼の形相で、『すおう』の前に仁王立ちしたのは、お察しの通り、みーちゃんだ。
だけどその可愛らしい顔で、いくら顰めっ面を作ったところでちっとも怖さを感じない。
それどころか、改めて現役トップクラスアイドルのフェイスレベルの凄さを感じさせてしまう。
みーちゃんは、そのお嬢様女子校の制服を翻して、ずかずかと『すおう』の中に踏み込んできた。
「どういうこと? 私、返事が返ってくるまでひたすらスマホ握りしめていたら、朝になっちゃったよ! おかげで今日の授業、全部爆睡だったよ!」
「待たないで、寝ろよ! つーか、あんな何の内容もないメールに、どういう返事を書けばいいんだよ」
「それでも『おはよう』でも『おやすみなさい』でも何でも書くことくらいはあるでしょうが!」
「意味ねー!」
と、言いかけたところで、ふと二つの視線を感じた。
竜也と冬美だ。竜也はラーメンを食べる手を止めて、冬美は今し方頬張った『うまい棒納豆味』を、ぼろっと床にこぼした。
二人とも呆然と俺たちを見つめている。
「……も、もしかして」
竜也は震える手でなんとか人差し指をみーちゃんに向けることに成功した。
「と、登美丘遙香?」
みーちゃんは、それに気付いて、「あ」と舌をぺろっと出した。
そしてとりつくろうように最高のアイドルスマイルを満面に浮かべる。
「はい、遙香です! よろしくー!」
「うおおおお! 凄ぇ! ど、どうも初めまして!」
竜也はいきなり直立不動で立ち上がった。
俺はその様子を新鮮な気持ちで見つめていた。
というのは、この辺の子ども、つまり『すおう』に来るお客にとって、みーちゃんは『良太の姉ちゃん』程度の認識しかされていない。
だから、たまに『すおう』にみーちゃんが来ても、みんな騒ぎもしないし、あわてもしない。一人の『すおう』のお客としてしか見ていないんだ。
実際、ウチで売っている二十円のアイドルカードは、みーちゃんに頼んでサイン入りで三十円で販売しているけど、あまり売れない。
つまりみーちゃんの地元であるこの辺じゃ、その程度の人気ってことだ。
でもスポーツ推薦で県外からやってきた竜也にとってはその限りじゃないようだ。
竜也はあわてて自分のバックから野球のボールとサインペンを取り出すと、みーちゃんにずいっと差しだした。
「サ、サインを頂いてもよろしいでしょうかっ!」
差しだした硬球のボール以上に硬くなっている竜也からボールを受け取ったみーちゃんは、慣れた手つきでサインを書き出した。
ここでも俺は新たな感慨に耽る。
ああ、みーちゃん。本当にアイドルなんだなって、思ったんだ。
ファンから受け取った品物にさらさらとサインするその姿は本当にサマになっている。思わず見惚れてしまったほどだ。……あ、これはみーちゃんには内緒な。
サインを書き終わって竜也にボールを返したみーちゃんは、その傍らで羨望の眼差しで自分を見つめている冬美の視線に気が付いたみたいだ。
「あなたも要る?」
「うん!」
そう元気よく答えた冬美は自らのサッカーボールを差しだした。
考えたら冬美も地元ではなく北習志野在住だ。登美丘遙香のネームバリューは相当に効いているらしい。
ところで、駄菓子屋で販売している『アイドルカード』の購入層はどの辺りだか、ご存じだろうか。
これは俺も『すおう』で働くようになってから知ったことだが、そのほとんどが冬美くらいの女の子なんだ。
女性アイドルのカードなら男の子が買うものだと思っていたので、これは知ってから驚いた。
恐らく、自らのあこがれをそこに重ねているんだと思う。
自分のボールにサインを貰った竜也と冬美は、目をきらきらさせてそれを仕舞い込んだ。
「凄えーな、耕平。登美丘遙香と……いや、登美丘遙香さんとメル友なんだな」
「いや、一方的にメールを送られてくるだけの状況をメル友と言えるのかどうか分からないけど」
と言いかけたところで覆い被せるようにみーちゃんが
「そうそう! そうなんですよ! でも、こいつ全然メール返してくれなくて」
としゃしゃり出てくる。
そんな俺たちのやりとりを興味津々で見ていた冬美はぼそりと呟いた。
「遙香ちゃんとお兄ちゃんは恋人なの?」
「こ! こい!?」
引きつった声を俺は上げた。
ど直球! 子どもならではのストレートさ。竜也でさえ唖然としている。
「ご!」
ほら、みーちゃんの声も上ずっている。
恋愛御法度、男と一緒に居るだけで、格好の週刊誌のネタにされるアイドルがそんなこと言われたら戸惑うに決まっている。みーちゃんはすかさずその言葉を否定するために口を開いた。
「ご、ごきげん、びっくりだねっ!」
ほら、即否定だ。……はい?
「やだなあ、冬美ちゃん。お兄ちゃんとお姉ちゃん、そんな風に見える? 見えてしまう? でも、そんなこと人に言っちゃダメだよ? お姉ちゃん、アイドル辞めちゃわなくちゃいけなくなっちゃうから。このことは秘密ね! 二人だけの秘密だからねっ!」
みーちゃんは、そう言ってウインクすると、冬美は「うん!」と元気よく頷いた。
いやいやいやいや、ちょっと待て、ちょっと待てよ、おい!
「みーちゃん、何思わせぶりに言ってんだよ! 少しは否定しろよ! ほら、竜也なんてびっくりして顔がゴリラだ!」
「……いや、この顔は元からだ」
「じゃ、冬美ちゃん。ゆびきりげんまんね。ゆびきりげんまん、嘘付いたらハリセンボンのハルカをのーます! ゆびきった!」
「きった!」
「ちょっと待て! 話をうやむやにすんじゃねえ! 誤解されるだろうがあ!」
だけど俺の言葉なんて誰も訊こうともせず、むなしく『すおう』の空間に吸い込まれていくばかりだ。
トップアイドルであるというだけなのに、その存在が説得力を醸し出してやがる。恐るべし、みーちゃん。
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