第2話 コインパーキングのBMW
「ところで、さ」
とりあえず竜也と冬美の誤解を解いてどうにかなったところで――本当にどうにかなったのかは不明だけど――とにかく強制的にみーちゃんを沈黙させた後、竜也がぼそりと呟いた。
「『すおう』の前にコインパーキングがあるだろ? あのコインパーキングに停まっている車はこの辺の人の車か?」
「?」
竜也はそう言って店の外を指差した。
『すおう』の正面にはコインパーキングがある。
俺とみーちゃんは竜也の指差す方向を見つめた。十五台車が停められるスペースには現在乗用車が三台停められていた。
「どれ?」
目を眇めて竜也が指差している車を特定しようとする。
「あれ。右から二番目の黒い車」
……ああ、あれか。
窓ガラスはスモークが張られていて中は見えない高級そうな車。ただ、それだけの車だ。あの車が一体、どうしたというんだろう。
「いや、昨日、冬美とサッカーをやっていたら、停まっていた車にサッカーボールをぶつけちゃって。人が乗っていなかったんで、謝ることが出来なかったんだけど、あの車がそれと同じ車みたいなんだ。ほら」
竜也が指差すところを見ると確かに扉にサッカーボールの跡がある。
「……本当だ。ということは、昨日はあの車は遊歩道の方に停めてあった、ってことなんだな」
「ああ。間違いがない」
竜也の言葉に冬美も頷いた。
でも、と思う。
「でも普通、地元の人はコインパーキングに停めないよね」
みーちゃんが俺の考えを代弁してくれた。
その通りだ。
とすると、昨日、今日とこの辺りに駐車しているあの車は何なんだろう。
俺は『すおう』から外に歩み出た。
「お、おいおい」
竜也は驚いた表情で俺を見つめている。
俺は車に近づくと、それをじっくりと観察した。
車に詳しくないけど、車体に取り付けられているエンブレムとロゴで車種はすぐに分かった。それほどに有名な車。
BMW320i。ベーエムヴェー。高級車の代名詞のような車だ。
さっきも言ったけど車にはスモークが張られていて中が見えない。
でも、人が中に居るようには感じなかった。
そして助手席の扉にくっきりと付けられたサッカーボールの跡。
ナンバープレートを見てみる。『わ』ナンバーだった。
「レンタカーだ」
俺は振り向いて、そう報告した。
その言葉に、竜也、冬美、そしてみーちゃんはほっとした表情で俺を迎える。
三人の中でなんらかの答えが出されたんだろう。
レンタカーであれば、この船橋の片隅に数日間駐停車している理由も、ある程度想像は付く。
「今、見たけど、助手席のボールの跡も、ほこりが付いているだけだから、タオルで拭けば落ちそうだ。弁償する必要性はなさそうだぜ」
「そうか」
竜也は安堵の息を漏らした。
その時、冬美がちょいちょいと竜也の袖を引いた。
怪訝な顔で冬美を見返した竜也だったが、すぐにその理由に気付く。
「悪い。これから冬美を駅まで送って行かなくちゃ行けないんだ。そろそろ行く。またな」
竜也は冬美を連れて慌ただしく『すおう』から表に出た。そして立ち去る前に一度振り返って
「それでは登美丘遙香さん、お先に失礼します」
「遙香お姉ちゃん、ばいばい」
と二人はみーちゃんに挨拶した。
みーちゃんはまたも最強のアイドルスマイルを繰り出し
「うん、ばいばい」
と右手を振る。
……みーちゃんに挨拶して俺には挨拶しないのかよ。俺がそんな表情をして竜也と冬美の背中を見つめていると、みーちゃんはくすりと笑った。
「そういえば今日はあいつがいないね」
「あいつ? ああ、ケイか。ケイは今日はアーシットと一緒にどこかに行った。日本観光じゃねえのかな。だいたい観光もしないでウチでぐだぐだやっている方がおかしかったんだ」
「……へえ、ふーん。そうなんだ」
みーちゃんはそう言って急に大人しくなって俺の方をちらちら見る。
なんだ、どうしたんだ。
「えへへ。閉店作業手伝ってあげるよ。まず掃除からすれば良いの?」
「いや、そんな悪いよ。この通り小さい店だからさ、閉店作業なんてすぐに終わるし」
「いいから、いいから! 普段、仕事や学校でろくすぽ来られないから、たまにはやらせてよ!」
そう言って店の隅からほうきとちり取りを取ってくるみーちゃん。
そして手際よく、ゴミを掃き取っていく。
……まあ、いいか。手伝ってくれるって言うんだし。
みーちゃんが掃除をしてくれている間に俺は他の仕事をやろう。そう考えた俺は、シャッターを閉めてから、本日の売り上げの計算を始めた。
金庫の中に入っている小銭とお札を数えて、昨日のお釣りから金額を引くんだ。
そうすると今日の売り上げが算出される。
駄菓子屋経営で一番面倒くさいのがこの時だ。
十円、二十円の商売だから小銭ばかりが集まる。この小銭を数えるのが超絶ウザい。
「掃除終わったよ! ……お金数えているの? もし迷惑でなければ一緒に数えてあげようか」
迷惑なんてことない。むしろ有り難い。
俺は十円玉の勘定をみーちゃんに任せることにした。
みーちゃんは座敷に入って来て、俺の隣に座り、十円玉を十枚ずつ重ねていく。
……って近い、みーちゃん。
みーちゃんの右手が俺の左手に当たるくらいの近さ。
みーちゃんの甘ったるいような良い匂いが隣から漂ってきて、心臓の鼓動が勝手に早まってくる。
「……ええと、数え終わったよ! 十円玉は四百三十八円……って、あ!」
立ち上がろうとして、自らのスカートの裾を踏んづけたらしい。
よろけたみーちゃんは、俺の方に倒れかかってくる。
「ちょ、ちょっと待ったあああ!」
俺が数えている百円玉の山が盛大に崩れる。
ああ、せっかく数えたのに元の木阿弥だ。
そして、金庫は宙を舞い、丁寧に並べたお金は四散する。
だけど、俺の意識はすでにそんなところへは向いていなかった。
「あ」
「……え、ええと」
俺の顔とみーちゃんの顔は十センチも離れていない。
みーちゃんは俺に覆い被さるように倒れ込んでいた。
俺たちの回りには小銭や紙幣が飛び散っているけど、そんなことはもうどうでも良くなっている。
俺は自分の身体に、みーちゃんの身体の重さを感じていた。
体温を感じる。そして柔らかさを感じる。
……みーちゃんってこんな柔らかかったんだ。そして、みーちゃんの心臓の鼓動が伝わってくる。
……いや、この鼓動は俺の心臓の音なのか? 良く分からない。
みーちゃんの甘い吐息が俺の鼻をくすぐる。頭の中が真っ白になってくる。余計なことが考えられない。
今はとろんとした眼で俺の事を見ているみーちゃんのことしか考えられない。
「……耕平」
みーちゃんは全体重を俺に預けてきた。
心臓が跳ね上がる。ヤバい。これはヤバ過ぎる。
頭のどこかで歯止めをかけなければ、という警告音が鳴っている。
だけど、それ以上の抗いがたい魔力みたいなものが、俺の脳髄を麻痺させていた。
俺の両腕はゆっくりとみーちゃんの背中に回され、そして――
「何をやっているのカ?」
「うわあああああああああ!」
俺とみーちゃんはワイヤーアクションの俳優なみの運動能力を発揮して、飛び起きた。
そして何事も無かったかのように、ちょこんとコタツの前に正座をした。
「よ、よう、ケイ。遅かったな。どこに行っていたんだ?」
「め、珍しく姿を見かけないから、国に帰ったのかと思ったよ!」
そのあからさまに動揺している俺たちに白い目を向けながら、辺りを見回す。
「これは一体どういうことカ? お金が飛び散っていて、その真ん中でコーヘーとミナコが抱き合」
「うわああああああああ!」
俺はケイの言葉を遮って声を上げた。
そして言葉を続ける。
「違う! 俺たちはお金を数えていただけだ!」
「それがなんで抱」
「違う! みーちゃんがバランスを崩して倒れてきたんだ! 俺はそれを受け止めただけだ!」
「な?」
という視線を隣のみーちゃんに向けると、なぜか憮然とした表情をしていた。
「……ごきげん、ムカつく」
え? なんで、ここでみーちゃんの機嫌が悪くなるの? 本当のこと言っただけじゃん。
「ふん。コーヘーの嘘が証明されたナ」
「違うっつーの! みーちゃん、どうしたんだよ! ケイに説明してくれよ! なあ!」
「……言うことナッシング」
「うわあああああ」
それからたっぷり、一時間くらい俺はケイとみーちゃんのご機嫌を取ることに終始され、ここ数日、最高の疲労感を得ることに成功した。
……どういうことだよ。もの凄く理不尽じゃないか、これ。
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