第17話 たった数時間の恋人関係④
――カップル用人生ゲームを開始して、十五分が経過した。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「はぁ……はぁ……」
僕は滴る汗を服の裾で拭う。今もガンガンにクーラーが稼働しているのだけど、体が火照って仕方がない。花音も同じように顔を赤くして息を切らしていた。まるで二人とも全力疾走をした後みたいだ。
実際には全力疾走どころか、一歩もその場から動いていないんだけどな。
それもこれも、このアプリのせいである。次に悪いのはこんなアプリを始めちゃった僕らだろう。
「じゃ……いくよ……」花音の言葉に僕はコクリと頷く。
花音はゴクリと生唾を飲み込んで震える手でルーレットを止める。――五マス進んで止まったマスの指令が画面いっぱいに出る。
『上を一枚脱ぐ』
「うぇえええッッ!?」
正座していた花音は、驚きのあまり一メートルほど後方に跳躍した。着地失敗「いでッ!?」
肘を床に強打したらしく、憎っくきフローリングをバンバン叩きながら痛みに悶絶する。
「だ、大丈夫か……? 流石にこの指令は、パスでいいぞ……?」
流石にこれには同情した。これまで思い出すだけで顔から火を噴きそうな指令を気合で乗り越えてきた二人だったけど、この指令は今までと毛色が違う。
だって、今は絶賛夏休み。花音はゆるゆるになったTシャツを着ているだけなのだ。つまり……
「…………ううん! 全然だ、大丈夫! だって一緒に泊まった仲だもん!」
「ちょ、おいっ!」
本日何度目か分からない自己暗示をかけた花音は、ゆっくりと深呼吸をすると――勢いよくTシャツを脱いだ!
「マジかマジかマジか!」
とっさに視線を外すものの、花音の赤いブラジャーが脳裏に焼き付いて離れない。おいおい、高校生になってなかなか成長したじゃないか……じゃなくて!
僕は何を考えているだ!? 花音は幼馴染だろうが!
ぐわんぐわんと頭を振り回し、頭痛と頭痛と引き換えてに何とか落ち着きを取り戻す。
「ふ、ふ、ふ。次は太一の番だね。私がこんだけ頑張っているんだから、まさかリタイヤなんてしないよね?」
「………………」
あかん。コレあかんノリだ。
ゴールに近づくにつれて指令難易度が上がっていくのも問題であるが、それよりも『自分と同じ辱めを味わえ』という大変立派な嫌がらせ精神のせいで引っ込みがつかなくなっていた。
このままでは、絶対取り返しのつかないことになる!
……だが、希望はある! スマホのマスを見ると、僕が十を出せば丁度ゴールに到着する。このゲームを終わらせることが出来るのだ!
「……いくぞ!」
回るルーレットに全神経を集中させる。思い出せ……ゲーセンでスロットを目押しした感覚を……!
いける!!
「うおおおおおおおおおお!」
素早くタップ! ルーレットはゆっくりと速度を落とし――十の手前、九で止まった。ええと、指令は――
『キス』
「はいお疲れ様ギブアップです」
バーン! と僕は大の字になって床に倒れる。もー嫌だよ。どー考えても無理ですごめんなさい。
やっぱりこのゲームはカップルでやるべきです。マル。……楓とやったら盛り上がるかも? と一瞬アホなことを考えたけど、僕のお願いを一切聞き入れない彼女がアプリの指令ごときに従うとは思えなかった。
ああ……なんだかどっ疲れが来た。横目で花音を見ると、まだTシャツを着ていなかった。正座のまま電池が切れたロボットみたいに身じろぎ一つしない。
「おーい。どした?」
「……いよ」
「ん? なんて言った?」
花音は顔を上げて、いっぱいいっぱいの顔で言った。
「別に……キスしてもいいけど?」
「はい? ……おいっ! ちょっと!」
言うな否や、花音は驚くべき初速度で寝っ転がっていた僕の上に馬乗りになる。抵抗する間もなく、僕の両手が床に押さえられる。いくら男女で力の差があるとしても、体重を乗せられては何も抵抗が出来ない。
「いや、ちょっと待って。理解が追い付いていない」
「別に分からなくていいよ。私が全部してあげるから」
だからそれが問題なんですって!! やべぇ一ミリを身動きできねぇ。
無駄な抵抗をしながら僕は花音を見上げる。幼き頃と比べると確かに成長した胸の奥に覚悟の決めた表情の彼女がいた。密着した部分が火傷しそうなほど熱を帯びる。女子の甘い匂いが冷静さを奪う。
彼女の火照った顔から一滴の汗が僕の頬に落ちる。――明らかに、幼馴染の関係を超えた状況であった。
「まって、それは駄目だって。いくら悪ノリでもやっていいことと悪いことが――」
「大丈夫大丈夫! だって一緒に泊まった仲だもん!」
「さすがにそれは無理がるのではッ!?」
「幼稚園の時に一回してるからノーカンノーカン!」
「聞いたことねぇけどそんなノーカン!?」
「ええい! うるさい! その煩い口を塞いでやろう!」
「ぎやあああああああッ!!」
迫りくる唇。最後まで僕は抵抗するが、どうやら無駄終わりそうだ。……なんか最近、唇奪われてばっかだなぁ。
諦めという決心をし、僕は目を瞑る。もうどうにでもなれである。
……だが。
「…………ん?」
いつまで経っても唇には何の感触もない。いや別に、残念とかじゃないのだけどね。ホントだよ?
やっぱり超えてはならないラインだと分かってくれたのか? ――僕は目を開けると、何故か横を向いたまま固まる花音がいた。
「あ……ああ……あ……」
何がそんなに怖いのか、花音は顔を真っ青にして歯をガタガタと震わせていた。花音の震えが直に伝わる。
いや、今のこの状況より怖いものはねぇだろと、僕は花音の目線の先――玄関廊下を見ると。
群青楓がいた。
心臓が止まるかと思った。ってか多分止まった。三秒ぐらい。キュンとしたねキュンと。
「……たまたま貴方の家を通り過ぎたら叫び声が聞こえたから、何事かと思って家にお邪魔させて頂いたけど、本当にお邪魔だったみたいね。ごめんなさいね。空気の読めない彼女で」
まるで人工知能のような感情のない口調で淡々と喋る楓。絶対零度の視線を浴びせる瞳は、闇すらも食らいつくしてしまいそうな漆黒であった。誰の目からも分かる。ガチギレだ。しかも僕が見たことない奴。
楓は僕らを見下ろしながら、口角を釣り上げて言う。
「――どうぞ、続けて?」
「「すみませんでしたああああああああああああああ!!」」
次の瞬間、僕らは土下座した。
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