第45話 あえての自殺
深夜0時
「ふふっ。今、どんな気持ちですか?」
「………………」
返事はない。椅子に座る彼は虚ろな目で何もない虚空を見上げており、その姿は拷問で心が折られた群青と酷使していた。
「太一先輩。もっと私を見て下さいよ。せっかく二人っきりなんですから」
「…………触るな」
頬を撫でようと伸ばした手が勢いよく弾かれる。強い怒りがこもった視線を私に向ける。本人は本気で怒ってるつもりなんだろうけど、私にとっては怒りの感情すらご褒美だ。
「太一先輩。太一先輩。太一先輩」
ふふふ。顔のニヤつきが止まらない。このまま抱き着いたら怒るでしょうか? 殴られるでしょうか?
太一先輩に殺されるのなら、それも本望ですね!!
この瞬間だけは私達の世界だ。邪魔者を排除し、ずいぶんとスッキリとした私の理想郷。
ああ。好きな人に構ってもらえることが、こんなにもゾクゾクするものなんですね!
一之瀬花音と群青楓を排除し、太一が皆を狂わせた事を自覚させて絶望させた。彼の心はきっとボロボロでしょう。可愛そうに。
今、太一先輩は私だけを見てくれます。太一先輩の心を独占しているのです。私だけに構ってくれています。
ずっとずっと、この幸せが続けばいいのに。
私はいつ壊れても不思議ではない椅子に座り、奇麗なお顔を眺めていると――
「――――ん?」
スマホが鳴った。取り出して確認して――ニヤリと笑みを浮かべる。
誰かがこの廃墟に侵入したようだ。
もし警察がここにやって来た時せめて太一先輩を殺すだけの時間を得るために、動くモノが映ると写真を撮影してくれるカメラを正面ドアに設置したのだけど、どうやら早速役立ったらしい。
しかも、その侵入してきた人物が――なんと私の知っている人ではないか。
「すみません……ちょっとお手洗いに行ってきますね」
私は太一に軽く頭を下げると――机に置いてあったスタンガンを手に持った。
スマホに送信された画像には、加々爪愛の姿が映っていた。
* * * * *
不意打ちが来ると分かっているのならば、それほど脅威ではない。むしろ、不意打ちを事前に察知し自分の方が先手を仕掛けられるのでこちらの方が有利だ。
ゲームだって裏取りはいつだって逆転の可能性を秘めているけど、来ると分かっていたらあっさりと対策を打たれて負けてしまう。奇襲攻撃など所詮そんなものだ。
負ける気など微塵をなかった。私はただ姿を顰め、近くに来たら不意を突けばいいだけの話。複数の大人ならお手上げだけど、女子高校生一人なら私でもなんとかなる。
この廃墟の元は学校のため、一本に伸びる廊下に教室がいくつも連なって奥へ伸びていた。三階まであるため、その中から太一のいる教室を探し当てるのは骨が折れるだろう。
――現在、一階の階段を上った先の曲がり角で身を潜ませていた。FPSでいう角待ちという奴である。右手にスタンガンを構え、準備は万端であった。
二階に来るにはここともう一つある階段を上る必要があるのだが、私の潜んでいない階段の方は大量の机を落として巨大な壁を作り上げた。あれを上るのは困難な上に、どかそうとすれば間違いなく音が聞こえる。――だから、私はここで構えているだけでいいのだ。
――コツン。
音が反響する。階段の下からだ。
「…………ふふ」
必死に足音を出さないように注意を払っているみたいだけど、何かにぶつかったのだろうか? なんにせよ、こちらとしてはかなり都合が良い。
どれだけ気配を消そうと、意識をすれば息遣いや僅かな足音で相手を察知するのはそれほど難しいことではなかった。
加々爪愛はゆっくりと階段を上り、廊下に姿を現し――――今だ!!
バチバチとスタンガンを鳴らし、目の前に現れた群青楓――――――――
群青楓!?
「ひぃっ!?」
私の姿に仰天した群青楓は、あろうことかその場で腰を抜かして尻餅をついた。本来ならマウントを取れるチャンスなのだけど、意外な人物という驚きに尻餅という想定外が重なって私のスタンガンは――見事に空を切った。
そして最悪にも群青楓の足に躓いて、廊下をゴロゴロと転がった。痛みこそないが、不意打ちチャンスを逃してしまった。
「――あはっ!」
だけどそれが何だ。私には武器がある。殺意がある。勇気がある。愛がある。私が負けるハズが無いのだ。
私は立ち上がる。見ると群青楓はその場でガタガタと体を震わせて立ち上がろうともしていなかった。無理してまで太一を助けに来たのだろうか? あれだけ心をズタズタにしたのにまだ立ち向かおうとする気持ちは感心するが、震えるぐらいなら来なきゃいいのに!!
「死んじゃえッ!」
私はスタンガンを構え――
「あんたが死ね」
唐突に、横から声が聞こえた。
見ると、
満面の笑みを浮かべた、加々爪が。
下の階で調達したであろう――椅子を両手に持って。
思いっきり振りかぶって。
私に――ぶん投げた!!!
「あ――――」
ビキ。
骨が軋む音がした。
「死ねぇええええええええええ!」
躊躇なく投げられた椅子は真っすぐに私の腹部に刺さり――私は椅子と同じく吹き飛んだ。
――ガシャン! と椅子が窓ガラスを粉々に砕いた一秒後、私は壁に打ち付けられてうめき声をあげた。気が遠くなるほどの激痛が後からやって来る。
* * * * *
「…………案外、いけたね」
「……えぇー……」
起き上がった群青楓が微妙な声を上げる。彼女の腑に落ちない感覚は完全に私も同意だった。
嬉しいっちゃ嬉しいけど、いいの? こんなあっさりと倒せて。
「まぁ普通に考えたら、一番力が弱そうなのは白鹿だよね。勝つのが普通って事かな?」
「…………そうね」
日頃の残虐行為のせいで過大評価していたけど、よくよく考えたら白鹿だってただの非力な女の子なのだ。純粋な暴力をあっさりと屈服するのは当然なのかもしれない。
それにしても……消化不良感が凄い。漫画とか読みすぎなのかもしれない。
「……ところで、加々爪はこの後どうするつもりなの?」
「とりあえず、コイツがこれ以上悪さをしないように見張っておく。群青楓は太一探してきて」
「……分かった」
色々思う所があるのだろうか、群青楓は白鹿を複雑そうな表情で一瞥すると近くの教室を手あたり次第に開けて中を確認していった。
「さて」
私は床に落ちたスタンガンを拾い、白鹿が動き出さないか監視する。このスタンガンで気絶させるのもアリだけど――
「ふふ…………ふふふふふふふふふふふふゲホッゲホッ!」
白鹿はこれ以上にない程に負けたというのに、実に楽しそうに笑い始めた。
「――加々爪先輩。太一先輩の家に入ったんですよね? 何か、おかしい点はありませんでしたか?」
「おかしな点……」
思い出すが、何か目立った変化はなかったような気がする。物が壊れている訳でもなかったし、暴れた痕跡すら――
「――あ」
「分かりましたか? そう。暴れた痕跡がない事自体がおかしいのです。非力な私がいくら頑張っても太一先輩を拉致するなんて不可能です。……だったら、何故太一先輩はここにいるのか? ……答えは簡単です」
ここには、太一先輩が自らの意思でここに来たんですよ――私に殺してもらうために。
「え……」
「それなのに――なんで邪魔するんですか!!!!!!!」
白鹿は瞳を赤黒く光らせて、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。急いで取り出したブツを取り出そうとするのだが――あと一歩遅かった。
「――――うぐッ!」
鋭い痛み。危機感を感じ数歩後ろに下がる。
白鹿の手には――折りたたみ式のナイフが握られていた。
どうやら彼女の振ったナイフが私のふとともを切り裂いたらしく、見るとズボンがパックリと大きな穴をあけていてそこから真っ赤になった太ももが露になっていた。アドレナリンのおかげか見た目ほど痛くはないけど、随分と厄介な事になった。
「先輩は皆さんを守るために、自らの命を捧げようとしているのですよ? 尊いと思いませんか? カッコいいと思いませんか? ――私はただ、先輩に力を貸しているだけなんですよ? それなのに何で邪魔ばっかり死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!」
でたらめにナイフ振り回す白鹿。こういう時は振り回すのではなく突く方がよっぽど危険なのだが、冷静さを失っている白鹿はそれに気づいていないようだ。怒りに身を任せて振り回すだけだから、防いだ腕が傷つきはしても致命傷にはなりえない浅い傷ばかりだ。
「私が先輩を一番理解しているんです!! 先輩には、私が必要なんです!! 加々爪先輩は、先輩になにをしてやれるんですか? ――貴方は、何かを奪ってばかりで何も与えられていないじゃないですか!! 邪魔しないでくださいよ!」
……確かに、白鹿の言い分も一理ある。
本当に白鹿の言う通り太一が死を望んでいるのならば、それを手伝いするのもまた愛の一つかもしれない。
私が奪ってばかり? ――怒ってる割には的を得てるじゃないか。
そう。私は愛奪いの加々爪。他人の彼氏を奪う最低で最強に可愛い女の子。
それが私だ。
私にとって愛とは、奪うものなのだ。
相手の心を奪って、愛されることが私はたまらなく好きらしい。
「太一がどうしたいなんてどうでもいい」
私は、ただ純粋に太一に好きになって欲しいだけなのだ。
「――くっ」
私は痛む太ももを抑えながら階段を下る。白鹿もそれを追いかける。まだ椅子のダメージがそれほど抜けていないのか、階段を下りる際に捕まることはなかった。
「このっ! 大人しくしてください!」
「言われなくてもするって」
私は階段を下ると玄関前とは真逆のT字に別れた廊下の壁にもたれる。白鹿はどうやら逃げない私の姿を降参したと受け取ったらしく、ニヤニヤと下種な笑みを浮かべる。
「加々爪先輩には、私の受けた以上の痛みを受けて貰いますよ。手始めに二の腕の皮を剥いで……ふふふ。どこまで皮を剥いだら死んでしまうのか、私ずっと興味あったんですよ……」
「あっそ」
そんなこと、私にはどうでもいい。
「あ、後ろ気をつけた方がいいよ」
「――――へ?」
気配を感じ取ったのか、白鹿は目をギョッとさせて急いで振り返る。
群青楓ではない。もちろん私でもない。警察でもない。暗闇に溶け込む漆黒の髪を持つ彼女の手には――先ほどと同じく教室で調達した椅子が握られていた。
「――ごめんお姉ちゃん!!」
私と太一に姉を止めてくれとお願いした――双子の妹、白鹿由利。
念のために身を隠してもらった――私たちの隠し玉だった。
私一人だと勘違いさせるために、由利ちゃんと群青楓には教室の窓ガラスから入ってもらったけど――どうやらうまく相手の不意をつけたようだ。
「ゆ、由利ッ!? な、なんで――」
白鹿が問い詰める間もなく、
由利ちゃんによって持ち上げられた椅子は――えげつないことに白鹿の脳天に落とされた。
「――ぐえっ」
白鹿はカエルが引き潰されたような呻き声をあげると、床に倒れて気絶した。
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