第25話 天国と地獄③


 私は泣き崩れていた。


 気分転換というか、去年のいい思い出に浸ろうと夏祭りに向かったのが痛恨のミスだった。


「う……うぅ…………う……」


 神社の階段の傍で丸くなって私は嗚咽をかみ殺して涙を流す。人々が面倒に関りたくないと距離を開けて歩くのが足音で分かった。


 せっかくの夏祭りだ。皆が打ち上げ花火に見上げ歓喜の声を上げている時に、死にそうな顔で階段で蹲る私になんてどうでもいい存在に違いない。


 私としてもその方がありがたい。ほっといてほしい。そしてこのまま私の存在ごとなかったことなって欲しい。消え去りたい。


 こんな辛い思いをするなら――人を好きになるんじゃなかった。


 まるで底なしの沼に全身を突っ込んだみたいに苦しくて重くて気持ち悪くて死にたい消えたい辛い怖い助けてああ嫌い好き助けてもう嫌。



 それでも私には好きしかなくて。

 太一がどうしようもなく好きで。



 でも、こんな醜い私なんてきっと受け入れてくれないんだろうなぁって思ったら吐き気が止まらなくなった。胃液が喉元まで来るがゴクリと強引に飲み込む。喉がヒリヒリする。嗚咽を堪えすぎて口が血と胃液の味でいっぱいなる。


 今すぐ逃げ出したいのに、体が動かない。震えが止まらない。先ほど全身をかきむしったせいか全身がヒリヒリと痛む。そっと指先を見るとえぐれた皮膚と血がみっちりとつまっていた。だからどうした。


 そんなことよりも、心が痛い。死ぬほど痛い。好きな人に相手をされていない事がこんなに辛いとは。


 世界中の人間から「お前に生きてる価値なんて無い」と罵られるよりも、たった一人の好きな人が私のことを見ていない事に気付いてしまうこと方が、私にとって遥かに絶望的であった。




 恋に、殺される――そう思った。



 この心の痛みとは、一生付き合っていかなければならないのだろうか? 私の太一への思いが劣化するのを待つ? 耐えられる? ――無理かもしれない。




 太一と群青さんがキスをしていた。


 その瞬間、私の辛うじて心を支えていた柱が砕けた音がした。


 きっと――今となっては酷く滑稽だけど、群青さんは太一をそれほど好きじゃないのだと思っていた。


 タコパで聞いた時も、彼女は否定した。嘘かもしれないと思ったけど、私は自分の心の安定のためにその嘘に乗っかった。


 だって、太一らは半年以上も付き合って一度もキスをしていないと言うのだから。もしかしてまだチャンスがあるかも? と思っちゃったの。思い込むことにしたの。


 太一は群青さんが好きなのは分かっていたけど、別れたらその思いも消えるだろうと祈って。私は――別れるのをずっと祈っていた。


 でも、なんだあれは。


 人が集まる所で、こんな堂々と。二人だけの空間を作りやがって。


 チョンチョンと、群青さんは唇を触れると太一は顔を彼女に近づけた。触れ合う唇。潤んだ瞳。




 ああ。私は諦める。



 キスしている事はショックだったけど、それよりも太一が私に見せたこの無いような表情を浮かべていた。


 幼稚園の時――泣きそうな顔で告白する太一とはまるで違う、堂々と男らしくなった太一の表情。


 私が十年以上一緒にいて引き出せなかった表情を、群青さんは付き合って一年未満で引き出した。その揺るぎない事実が、凶器になって胸に強く突き刺さる。


 私の好きで好きで仕方がない人は、私が近くにいるのに気づきもしない。群青さんも、まんざらでもないようで熱っぽい視線を太一に向けていた。





 なんだ。お似合いじゃん。

 羨ましいなぁ。





 



 ぼぅ。









 真っ黒に塗りつぶされた心の中に、何かの炎が燃えた気がした。

 果たして何が燃料になったのか。









 * * * * *









 私は微笑んでいた。


 案の定、神社の階段へと向かうと泣き崩れた――太一先輩のお友達の一之瀬花音がいた。たった一人で夏祭りに向かい、勝手に絶望して沈む姿は滑稽としか言いようがなかった。同情すら湧かない。


 私は立ち止まり、一之瀬を見下ろす。今にも死にそうな顔をしていて、思わず笑いそうになった。今彼女にナイフを差し出せばそのまま喉を掻っ切ってしまいそうだなぁと呑気に思う。





 私は太一先輩に関係することならなんでも知っている。

 彼は、大変モテるらしい。彼女がいるらしい。

 なら、手段なんて選んでいる暇はない。



 加々爪愛はそこで蹲る間抜けと違い、振られてもなお戦い続けることを選んだ。二人の強い愛を知ってもなお、必ず奪うと宣言した。


 だけど――私からしたらまだまだぬるい。


 容赦のないように見えて、常識と配慮を考慮して行動している。だから太一先輩が強く拒めばすぐにやめるし、真正面からぶつかるだけで相手を陥れようなんて露程も考えていない。


 もっと徹底しなければ。恋は駆け引きなんかじゃない。







 戦争だ。





 戦争では最後に立っている者が勝者で、正義だ。そこに人権や慈悲は無い。優しさは枷である。どんな容赦ない事も、勝てば許される究極の弱肉強食の世界。


 小型の対人地雷の爆発は、人を即殺する殺傷能力は持ち合わせていない。せいぜい足を吹き飛ばす程度である。


 否。――あえてそういう設計にしたのだ。


 足を失った足手まといを増やすために。仲間を治療をする人を割かせて、相手の侵略の時間稼ぎをさせるために。



 戦争では何よりも優先されるのは合理性である。

 真正面から突っ込んで駄目なら、弱らせればいい。


 手段はいくらでもある。

 例えば、








 毎朝太一先輩の家に『おはようございます』と書いた手紙をぶち込むとか。





 


 まだまだ仕込み段階だけど、後々これが効いてくるハズ。これも手段の一つ。まだまだ手は山ほどある。




 これからである。

 さて、そうだねぇ。


 手始めに、この可哀そうな女から利用してやろうか。


 私は夏だというのにブルブルと震える一之瀬間の耳元まで近づいて、優しく囁く。



「泣かないで。先輩は悪くない。悪いのは――全部あの群青楓とかいう女」

「へ……?」


 一之瀬間は顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔は、とてもとても負け犬っぽくて吹き出しそうになった。


「大丈夫」


 笑いそうになる顔を隠すために、私は一之瀬花音に優しくハグをする。背中を優しく撫でる。


「ねぇ」


 そして、呪いの言葉を囁く。


















「私が花音ちゃんの恋を応援してあげる。――そしたら、絶対に太一先輩と付き合えるよ」







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