第4話 僕の彼女は世界一可愛い②



 殴られた。めっちゃ叩かれた。鈍器を持ち出さなかったのは不幸中の幸いなのかもしれない。


「まったく、トラックに轢かれて死ねばよかったのに!」

「返す言葉もございません」

「……でも、まぁ。私達、一応付き合っているのだから、その、私は貴方なんて大嫌いだけれど、今日で付き合って二百日記念ってことでキリもいいから――」

「キリがいいから?」

「……泊まって、も、いいわよ。死ぬほど、苦痛、だけど」


 楓が乙女みたいに頬を染めながら、外から聞こえる夏の虫の声に掻き消えそうなボリュームで言った。


 僕は拳を天井に突き上げ、吠える。


「いよっしゃああああああああああああ――――――ッッッ!! 言ってよかったぁあああああああ!!」



 * * * * *



 という訳で、そういうことになった。楓は気まずそうな表情を浮かべ両親に電話をすると、意外にもすんなり泊まることを承認してくれた。彼女の両親、あったことないけどグッジョブ!!


 流石に同じ布団で寝ることは断固拒否されたが、そんなこと些細な問題でしかないのだ。


 だって彼女が! 自宅で! 僕のジャージを使って寝るのだ! これほど幸福な出来事があっていいのだろうか。ホント生きててよかったと心底思う。


 ……正直ダメ元のお願いだったのだが、言ってみるものだなぁ。退院後ということもあり少し遠慮したかもしれない。今日が二百日記念なのは幸運としか言いようがない。僕は知らなかった。


「……シャワー、使わせて貰ったわ。しぶしぶ」


 後ろから飛んできた声に、僕は首を痛めん速度で振り向く。……最高かよ。

 持ち前の透き通るような白い肌が、シャワーによりほのかに紅潮していた。彼女のただでさえしっとりと美しい黒髪が、風呂上り効果により恐ろしくキューティクルになっていた。楓が歩を進めるごとに、サラサラの髪が生き物のように左右に揺れる。たまらん。


 ――そして何より、一番の萌えポイントは彼女が僕のジャージを着ているのだ。多分一生洗わない。観賞用に部屋に飾る。


 楓は同学年の女子の中では身長が高い方であるが、僕と比べると十センチ程度は差がある。そのため袖で手がすっぽり隠れるの程長いのだけど、ズボンは丁度だった。何故だ……。


「何ニヤニヤしているのよ。気持ち悪い」


 楓は不快そうに睨むと僕のすぐ隣のソファにちょこんと座り足を持ち上げて三角州座りになる。彼女の頬が赤いのはきっと血行が良くなったからだけではないだろう。


「……いつまで見てるのよ、もうっ」

 僕の頬を人差し指で押して、楓は顔の向きを変えようとする。やってることは可愛いけど、地味に爪が刺さって痛い。


「ごめんごめん。あまりに可愛くて」

「…………ホント、口だけは一丁前ね。もう聞き飽きたわ。薄い薄いわ。ペラッペラ。まるで貴方の人生みたいね」

「褒められて嬉しくないの?」

「当然よ」

「でも、顔はニヤついているよ?」

「――えッ!? 嘘ッ!?」


 楓は慌てて両頬をつねる。そして僕は言う


「うん、嘘」

「………………」

「痛い痛い痛いッってそれ!!」


 楓は無言のまま鋭い指先を使って、ブスブスと的確に脇腹を連続で刺す。傍から見たらカップルがじゃれあっているにしか見えないが、結構痛いからやめて欲しい!


 僕は楓の連続攻撃から逃れようとソファの上でのたうち回っていると――バタバタと振り回していた手が偶然にも楓の支えの手に当たり――ガクン。


「――ッ!!」


 ソファから転げ落ちそうになった楓をとっさに抱き寄せる。僕の体に彼女の体重がのしかかる。


 丁度――僕の胸あたりに楓の顔が乗っている。女子女子しい甘い香りで頭がクラクラする。楓のぬくもりを全身で感じる。やわらかい。理性が飛びそうだ。


「………………」

「………………」


 長い沈黙と続く硬直状態。彼女の吐息が服を貫通してこそばゆい。楓の体がどんどん熱くなっていく。きっと僕の破裂しそうなほど高鳴る心臓音も彼女には聞こえているのだろう。


 ……申し訳ないが、ちょっと重い。みぞおちに彼女の体重がのっているためうまく呼吸ができない。


 だけど僕はそれでも動かない。少しでも動いたり言葉を発しようものなら楓は冷静になって僕を突っぱねるかもしれない。それは嫌だ。


 一秒でも長くこの時間が続きますようにと心の中で祈る。これで例え死んだとしても望む所である。


「…………ねぇ」楓が顔を胸に押し当てながら言う。

「なに?」

「馬鹿。寂しかった。嘘。寂しくない。つまらなかった。死んじゃえ。嘘。嘘。嘘」


 楓は僕の服をギュっと掴んで、本音と虚勢が入り混じった言葉を淡々とぶつける。


 彼女の体は――かすかに震えていた。僕に向けた言葉も段々涙声になり「ひっく……太一の馬鹿ぁ」最終的に駄々をこねる子供みたいになった。


「……ごめん」

 僕は素直に謝罪して――楓を強く抱きしめた。



* * * * *



「太一ぃ――? 起きてるー? いつもの集合場所にいないしラインは既読つかないし、別に今日ぐらいは休んでもいいと思うけど、もし気分が悪いんだったら――んんんッ!?」

「ううん……ああ、花音か」


 聞き覚えのある甲高い声で僕は夢の世界から現実へと覚醒する。目を擦りながらソファから起き上がると――顔を真っ赤にしてプルプルと震える花音の姿があった。


「ご、ごめんッ!! えと、えっと! 私は別に邪魔をしにきたとかじゃなくって! ホントだよ! ただ太一が心配で! ……えっと」



「し、失礼しましたぁああああ――――ッ!!」


 

 バタン! バタバタ! ズドン!「いでっ!」バタバタ! ガチャガチャ! ――バタン!


 花音は目をグルグルに回しながら一目散に僕の家を出て行った。……今ぜってー転んだだろ。


「何に驚いていたんだ……ああ、なるほど」


 視線をソファに移して僕はすべてを察した。そこには猫のように丸くなってすやすや眠る――可愛い可愛い僕の彼女がいた。


 ……あのまま寝オチしてしまったのか……。



 ――結局、しばらくすると楓は目覚めたが、学校にはガッツリ遅刻した。

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