第31話 月が奇麗だから消えて下さい







 白鹿由利が安達太一の家に訪問する四日前――――――。






「…………?」


 夜。夏休みの課題を終わらせていると、私――群青楓の滅多に鳴らないスマホがピコンと軽快な音を鳴らした。手に取って、ラインを起動させる。


『今から会えるかな?』


 一之瀬花音からだった。連絡先を交換していないハズなのに、なんで……? 数秒考えて気付く。そういえばクラスのグループラインに入っていた。あるいは太一から聞いたのだろう。


 すぐに既読をつけて暇な女だと思われるのが嫌だったので、きっちり三十分開けて既読をつける。


 どうしよう。一之瀬さんからの連絡なんて初めてだからどう返信したらいいか分からない。というか、ライン自体どう立ち回ればいいか全然分からない。太一なら何を言っても許してくれるから安心して好き勝手言えるのだけど。


「……まぁ、考えても仕方がないわね」


 一之瀬さんから送られてきたのはたった一文。会えるか会えないかの問い。変に考えることはないのかもしれない。


 私は慣れない手つきで『いいわよ』と送った。






 * * * * *





 空を見上げると、奇麗な満月が夜を照らしていた。


 一之瀬さんが集合場所に選んだのは、人気のない林だった。真夏の今に少しでも草むらを歩こうなら蚊の猛攻を受けてしまうのは確実だろう。私は入念に虫よけを塗って外に出た。


 もしかして花火でもするのかもしてない――私は期待に胸を弾ませてすっかりと暗くなった夜道を歩く。真夏の夜は少しひんやりとして、柔く撫でる風が心地いい。虫の泣き声に耳を傾けながら、カタカタとクロックスを鳴らしながら歩く。


 夜の道を歩くとふと思い出すのは太一と過ごした夏祭りであった。というか、最近そればっかり考えている気がする。おかげで勉強に身が入らない。全部太一のせいだ。


 全く、恋とは厄介なものだ。ただ一緒に過ごしているだけで、長年築き上げた建前がいとも簡単に崩れてしまう。柄にもなく、恋の甘さに溺れてしまうとすら思ってしまう自分が怖い。間違いなく太一の馬鹿がうつった。


 一年前の自分が今の浮かれ切った私を見るとどう思うだろうか? 多分「がっかりしたわ」とため息をついて強く罵るだろう。


 でも、一度恋の甘さを知ってしまったら――こんな私も悪くないかもと思えてしまうから本当に厄介だ。


 太一と一緒なら、馬鹿にでもなってもいいとすら思える。

 なんてね。



 そんな事を考えて、道中で太一とのキスの感触を思い出して悶えたりしていたら――目的地に着いた。


 私の家から歩いて十五分ぐらい着くこの林は以前は近所の老人の土地だったらしいが、老人が死んでいよいよ誰も寄り付かなくなった。


「……うう……」


 伸び放題の雑草に掻き分けて私は林の中を突き進む。こんな何もない場所をわざわざ目的地にしているのだから、何か理由があるのだろうと信じて林の中へと突き進む。雑草に足を取られて何度の転びそうになった。


 ――と、急に開けた空間に出た。土から砂利に代わったおかげで非常に歩きやすくなった。


 ザクザクと鳴らしながらウロウロしていると、長い間放置されてボロボロになった物置小屋が目の前に見えた。


 そしてそれに寄りかかる一人の少女、一之瀬花音がいた。




「こんばんは。群青さん」



 いつもと違う、少し落ち着いた口調で一之瀬は言う。いくら月光で照らされた夜だとしても、十メートルほど離れた位置からでは彼女の表情は伺うことは出来ない。


「こんな所に呼び出して、何の用かしら。一之瀬さん?」


 一之瀬は物置小屋から離れそうになかったので、私が彼女に歩み寄って問いかける。


「………………ねぇ」


 ギロリ――と一之瀬は私を見上げる。






 その表情にゾッとする。



 口角は限界まで吊り上がっているのに目が笑っていなかっておらず、彼女の瞳の奥には強い感情が揺らめいていた。



 愛想笑いとも違う、見たことない邪悪な笑み。



 揺らめく感情とはの正体は?



 一之瀬花音は口角を釣り上げながら、言う。




「返して下さい」

































「太一を、返して下さい」

「好きなんです」

「好き過ぎて死にそうなんです」

「太一が好きなんです」

「好き」

「好き」

「助けて下さい」

「群青さん」

「助けて」

「この胸の痛みを」

「この恋を」

「この愛を」

「太一に受け入れて欲しいです」

「でも」

「でも」

「でも」

「貴方が、邪魔なんです」

「なんで邪魔するんですか?」

「私が嫌いなんですか?」

「返して」

「ねぇ」

「返して」

「群青さんが、別に太一がそこまで好きじゃないだよね?」

「だったら、いいじゃん」

「太一じゃなくて」

「私は、太一しかいないんだから」

「ずるいよ」

「ずるいずるい」

「だから」

「ねぇ」

「ねぇ」

「ねぇ」






「――返してよ!!!!!!」











 彼女の怒声に虫が一斉に声を潜める。しんと静まり返る。

 私は――あまりの突然の告白に、どうすればいいか分からない――




 などと、言っている暇はなかった。


「ねぇ。返してよ」


 何故なら――彼女の手に持ったものが、バチンと音を鳴らしながら光ったからだ。




 あの黒い物体。実物は見るのは初めてだけど、間違いなく

 スタンガンだった。



「くっ!!」


 私は瞬時に危険を察知し、一之瀬から全力で逃げ出そうとする。現状を全く理解できていないけど、彼女が冷静じゃないこととこのままではただで済まないことは、彼女の向けられた強い殺意が物語っていた。


 とにかく草むらまで逃げなければ――


「――――――つッ!!?」


 全身を駆け巡る激痛。視界がぼやけ、平衡感覚を失い私は砂利に受け身すら取れず勢いよく倒れこむ。全身に刺さる砂利なんか非じゃないぐらいの激痛で、身動きが取れない。


 力が入らない。意識が遠のいていくのを感じる。何が起こったのか――私は不自由な体を酷使して見上げると――。


 私の背後に、もう一人いた。



 どうやら物置小屋に身を潜めていたようだ。


 彼女の手には、一之瀬と同じくスタンガンが握られており、私が一之瀬に気を取られている間に背後に回ってスタンガンを使ったのだろう。


 もう一人の人物を見たとき、何故? と混乱する反面、不思議と腑に落ちた。

 なんとなく、感覚で。


 ああ――コイツが黒幕かぁって。


「――先輩、気分はどうですか♪」


 黒幕は、心底愉快そうに笑う。その口ぶりは罪悪感の欠片も感じられなくて、反吐が出た。


 朦朧とする意識の中で、私は――





 月光に照らされる白髪と、怪しく光る赤い瞳。


 私を見下ろしながら微笑む――白鹿凛子の姿を、意識を失うまでにらみ続けていた。




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