第30話 崩壊⑤
プルルルル。僕は楓に電話を掛けるが、いくら待てども繋がらない。
痺れを切らした僕は楓の自宅に電話をかける。一刻も早く胸に渦巻く不安を消し去りたかった。
『はい。群青です』
数コール音の後、電話が繋がって女性の声が聞こえた。楓よりも若干声が低く、おっとりとした口調だった。
「すみません。安達太一と言いますが、ご自宅に楓さんはいらっしゃいますか?」
『あらまぁ。楓の彼氏じゃないの。ふふっ。どうも楓の母です。いつもお世話になっています』
中々懐かない猫みたいな楓と違い誰とでも仲良くなれそうな穏やかな物腰の楓の母親は、僕の名前を聞くと嬉しそうに声のトーンを上げた。
『あの楓に彼氏なんてねぇ。物好きねぇ太一君は』
「そ、そんなことないですよっ」
『そう? それは良かったわ。ややこしい子だけど、仲良くしてあげてね』
そう言うと、楓の母親は「ふふっ」と上品な笑い声をあげた。
「――ところで、今家に楓さんはいますか?」
『ええ。いるわよ』
楓の母親は答えた。楓は自宅にいる。その事実が涙が出るほど嬉しかった。僕の取り越し苦労で本当に良かった。
『もしかして、楓ったら電話に出なかったの?』
「はい。その、変な質問ですけど……楓の様子はどうですか?」
『楓の様子? ……うーん』
楓の母親は少し悩んで言う。
『……お母さんね、娘の事にはあんまり干渉しないつもりなんだけどね……。もしかして、太一君最近喧嘩でもしたのかしら?』
「へ?」
――そして、楓の母親は衝撃的な言葉を口にする。
『ここ数日、楓ったら部屋から全く出てこないのよ。食べ物もほとんど口にしなくなって、時々部屋から泣き声が聞こえるのだけど……太一君はなにか知ってる? 今日電話してくれたのも、楓を心配してなのよね?』
「………………………………」
後頭部をガツンと殴られたような衝撃を受けた。急に視界がチカチカし始めて、空気を吸っても吸っても息苦しい。過呼吸だ。頭痛も酷い。僕は重い頭を上げることすらしんどくなり、おでこをテーブルに当てて落ち着くまでひたすら耐える。
「ねぇ、大丈夫?」と加々爪が心底心配そうな顔で僕の背中をさすってくれた。どうやら僕は相当酷い顔をしているらしい。
『どうしたの太一君? 随分と苦しそうだけど』
「……へ、平気です……。ちょっと眩暈がしただけ、なので……」
息を切らしながら答える。とても電話が出来る状態じゃなかったけど、最後にどうしても聞いておきたいことがあった。
「あの、楓のお母さん……。楓が……部屋に引きこもるようになったのは……いつ頃ですか?」
『確か……二日前かしら。太一君と二泊三日の旅行から帰って来てから、様子がおかしくて……てっきり、喧嘩でもしたのかなと――』
「――――――――――」
嫌な予感は、的中していた。
楓の母親の発言と、事実が食い違っている。
僕と楓は、旅行など行っていない。
つまり――これは恐らく白鹿が、楓の母親に嘘の情報を流したのだ。
僕が家でダラダラと過ごしている間、見えない所で着実に計画を進めている奴がいるのだ。
気付いた時には時既に遅し。――既に取返しのつかない程に事態は悪化していた。
* * * * *
呼吸が落ち着くと、僕は急いでファミレスから出た。勇気を出して教えてくれた由利ちゃんには悪いけど、楓の状態を見届けないと心配で頭がどうにかなりそうだった。
慌てて自宅に帰ると、自転車にまたがって全速力で楓の家に向かった。
「あら……太一君?」
楓の家に着き、インターホンを鳴らすと楓の母親が出た。とても十代の子供がいるとは思えない若々しいお母さんは、僕の突然の訪問に少し驚いた様子だった。
「すみません。楓に会ってもいいですか?」
「もちろんよ。さぁ上がって上がって。楓の部屋は鍵が付いていないから強引に入れるわよ」
ニッコリと笑う。思いのほかあっさりと許可を貰うことが出来た。しかも助言までしてくれた。とてもありがたい。
「楓の部屋はこっちよ」
何気に楓の家に入るのはこれで初なため、お母さんに部屋の前まで案内して貰った。階段を上がり、伸びた廊下を右に曲がると目の前に現れる扉――そこに楓はいるらしい。
「どうぞごゆっくり」
お母さんはそれだけ言い残すと、階段を下りて行った。去り際のほんの一瞬見えたお母さんの横顔は、とても悲しそうだった。
笑顔に隠された楓への心配の思いを感じ取り、僕は覚悟を決めて扉を開けた。
だが、
結論から言うと。――僕は失敗した。
扉を開けると、まず最初に驚いたのは部屋の荒れ具合だった。
汚部屋という訳ではなく、ただ単に者が散乱している。まるで、引き出しのものを床にぶちまけたかのようであった。ホコリっぽくない上に特に臭うこともなかったので、普段は整理整頓がしっかりとされていた部屋なのだろう事が推測された。
散乱する小物の他に、八つ裂きにされた布や床に散らばっており――そこで初めてバラバラになった掛け布団の欠片だという事に気付いた。
壁にはひっかき傷があり、カーテンの取れかかっていた。強盗に入られたかのようなその部屋に、僕は思わず生唾を飲んだ。
そして僕は――ベットの上で三角座りしていた楓を見つけた。
一歩前進する。――楓が足音に気付き、血走った目でこちらを見た。
「あ…………あ………………………あ………」
楓は僕の姿を捉えると、大きく目を見開き顔を絶望に染めて――
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
喉を潰さん勢いで絶叫した。
頭を掻きむしった勢いで髪が何本も抜ける。何日も風呂に入っていないせいか、艶やかで美しかった黒髪が頭皮の油でベタベタになっていた。
肌はガサガサに荒れており、自傷行為でもしたのかベットの上の白いシーツには血痕が点々あった。壁をひっかき過ぎたからか、楓の長くて奇麗な手はボロボロになっていた。
食事をあまりとっていないからか、数日前よりも確実にやせ細っていた。頬はコケて、青白い不健康な顔色をしていた。
「嫌止めて助けて来ないで嫌いだから許して許して許して許して許して下さいお願いしますああああああああああああああああごめんなさいもう嫌お願い許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許してて許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許してて許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して!!!!!」
僕を見た瞬間、全身を恐怖で震わせて、ボロボロとまるで子供のように泣きじゃくる楓。少しでも僕から距離を話すためか、楓は部屋の隅に縮こまってガタガタと怯えていた。
見たこともない姿だった。意地の張り合いでは誰にも負けない楓が、これほど叫ぶことも泣くことも――僕に怯えることも。
ただ、僕はその姿を茫然と眺めていた。人間は限界を超えて驚くと感情がシャットダウンするらしい。ただ、ぼんやりと夢だったらいいのになぁと考えていた。
夏祭りの後に再び会った彼女は、
別人と言っていい程に――変わり果てていた。
でも、僕は少しでも楓が安心出来たらいいなと、さらに一歩前進するのだが――
「いやぁあああッ!!! 来ないでっぇえええッ!!!!!」
絶叫。恐ろしいまでの強い拒絶。
突然叫ぶものだから、楓は喉を傷めてゲホゲホと大きくせき込む。喉を切ったのか、血が交じったツバが吐き出された。
思い出されるのは夏祭りの楽しかった記憶。そして、今の変わり果てた楓。
僕は。
僕は。
僕は。
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