第18話 たった数時間の恋人関係⑤
何とかなったかどうかを問われると、もちろん何とかならなかったよね。
怒りの限界突破をした楓はそれはそれは怖かった。怒りの矛先はもちろん僕。そりゃ当たり前だよね。非常に申し訳ない!
でも、怒りは収まってはいなかったけど、こうなった経緯を説明すると一応は納得をしてくれた。
楓は僕を壊れないサンドバックと思っているけど、花音を咎めるのはかなり遠慮があるらしい。代わりに僕は物理的にも精神的にもボロボロになったけどね。
……最後の押し倒しに至っては僕は花音が悪いと思うけどなぁと思うけど口には出さない。だって、そもそも彼女がいるのにこんなゲームを初めてしまったのは僕だ。総合的にみると絶対僕の方が悪い。バレるバレないの問題じゃなくて、あそこはノーと断るべきであった。
「阿呆な貴方には当然罰を受けて貰うわ。当然よね?」
「はい。何なりと!」
「今すぐ首を吊りなさい」
「楓お嬢様! ご慈悲を!」
「……はぁ、仕方がないわね。だったら『一日どんな命令も従う犬になる』と約束しなさい。そうしたら、撲殺で許してあげるから」
「楓さん! それでも僕死んでます!」
――そんな件があって、僕は一日どんな命令も従う代わりに今回の事件は許してくれた。まぁ、許した後もずっと不機嫌だったけど。
それから、せっかくなので楓も入れて三人で晩御飯を食べることにした。料理は反省を込めて僕が全部作るつもりだったけど、楓が「つまらない借りは作りたくない」と言ったので、僕と楓の二人で作る事になった。
その間、花音はずっと上の空であった。
何を話しても生返事。心ここにあらずって感じ。熱でもあるんじゃないかと思うほどずっと顔を赤くしていた。らしくないと僕は思った。
そう。らしくないのだ。押し倒しだけではなく、今日一日ずっと花音はちょっとおかしかった。
ファーストキスの件だって、何故今になって記憶にない程ほどの過去を掘り返したのだろうか? それに、ファーストキスを奪ってしまってごめんと謝ると花音は本気で怒った。――何故?
そもそも、いくらカップルのネタが欲しいと言っても恋人ごっこをしようなんて花音が言うか? ……言わないだろう。
僕らの関係は、言わば絶対に恋愛関係に発展しないという確信があったからこそ、今まで続いてきたのだ。
お互いが意識し合わずに、気楽にできる関係。恋愛のような脆くて不安定なものとは違い、お互い超えてはならないラインを完璧に把握しているからこそ、とてつもなく頑丈な関係を結べていたのだ。……少なくとも、今までずっとそう思っていた。
だが、今日の花音は――明らかにこのラインを越えようとしていた。
最後の押し倒しが決定的だった。あの時僕は頑なに断ったが、花音は強引に唇を奪いにいった。幼馴染としても暗黙のルールを破ろうとした。
いくら意地の張り合いであれど、あれは冗談では済まされないことは彼女も分かっていただろうに。
……いくら鈍感な僕といえど、流石にもう薄々気付いていた。
一之瀬花音は、僕に恋愛感情を抱いている。
いつからかまでは分からないけど。……これが勘違いだったら赤面ものだなぁ。
さて、ここからは問題だ。もし花音が僕に好意を抱いていてたとしたら、僕らの友情は続けることができるのだろうか?
……分からない。だけど、確実に今までの楽な関係は形を変えるだろう。好意に気付いてしまった時点でもう気楽に花音に絡むこともできなくなるし、色々と遠慮をしてしまうようになるだろう。
非常に申し訳ないが、ずっと過ごしてきた花音よりも今は楓の方が大切だ。僕の中でしっかりと優先順位という答えが出ている。
だから、もし花音と楓を選ぶ時が来たとしたら――僕は間違いなく楓を選ぶ。
恐らく花音もそれは承知しているハズだけど……どうなのだろうか?
* * * * *
熱い。暑い。いつまで経っても火照りが治まらない。
病気だろうか?
多分病気じゃないかな? ――恋の。
「ごめん。今日は帰るよ。家の用事があるのを思い出してさ」
修羅場が一段落して、群青さんと太一が料理を作り始めると――私は立ち上がって言った。
「………………」
太一は何か私に言いたげな視線を向けるが、結局何も追及することはなかった。群青さんが心配そうに見ていたことは少し意外だった。
でも、私は逃げるようにリビングから出て行った。とにかく太一から逃げたかった。これ以上この場にいると、頭がおかしくなりそうだった。
「また遊ぼうな」
「う、うん」
リビングを出る時、太一はそんな事を言うがそれが建前だということはすぐに分かった。何年一緒にいると思っているだ。彼の考えていることなんて、手に取るように分かる。
今、太一が凄く悩んでいる。……悩みの種は、もちろん私のことである。
「………………」
終わった。あっさりと終わった。幼稚園からの関係が、たった一日で全て崩壊した。
全て私の自滅だ。調子に乗りすぎた。自分を見失っていた。冷静さに欠けていた。
どこかおかしかった。自分の体じゃないかと思うほど制御ができなかった。我を失っていた。恋に溺れてた。
今まで、こんなことなんかなかったのに。おかしい。私の恋心が太一にばれないようにいつも細心の注意を払っていたのに。
太一の彼女になれないのならせめて友達として傍にいたかったから、自分の恋を殺し続けたのに。いつの間にか止められないほどに恋心が膨らんでいた。
こうなることが死ぬほど嫌だったから、ずっと好きを我慢していたのに。
いくら鈍感な太一でも気付いただろう――私が君を好きなことを。
もう一緒にいれない? 嫌。駄目。耐えられない。我慢できない。辛い。助けて。誰か。
太一は私の全てなのだ。太一は私よりも大切な人がいるけど、私は太一が無くなると何も残らない。
太一がいない人生なんて考えられない。そんなの――世界が終わったと等しい。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
太一が私に遠慮する姿なんて見たくない。私のことを好きじゃなくていいから、私の傍を離れないで。
そのためだったらなんでもするから。暴走する恋心だって――殺してみせるから。
めんどくさい女にならないためにずっと頑張って来たんだから。次はちゃんと恋を殺すから。今までの関係に戻ろうよ。ねぇ。今日みたいに群青さんを困らせたりしないよ。
太一のやってほしいことは何でもしてあげるから。私から逃げないで。
「――……うう……」
危ない。太一から離れて少し気が緩んだからか、涙が零れ落ちそうになった。まだだ。家に帰るまで泣いちゃ駄目だ。私はギリリと奥歯を強く噛んで涙を堪える。
ガラガラと世界が崩壊する音が聞こえる。吐き気が止まらない。玄関廊下でえずきが止められず、ついしゃがみ込んでしまう。
――ああ、そういえば。脱衣所に私の服が置いてあったなぁ。今日は泊まる予定だったから、事前に着替えを脱衣所に置いていたのだ。
私は壁を体を預けながら平衡感覚を失った体で脱衣所に向かう。――あった。私の着替えが入った袋を持って。玄関に向かうべく踵を返そうとしたのだが――
そこで記憶は途切れ、我に返った時には自宅に戻っていた。太一の家を出た記憶も、自宅の玄関を開けた記憶を一切ない。
記憶が飛ぶほど、私はショックだったんだなぁと自虐的に笑う。そして、考える。これからどうすれば良いか。
「あはは…………どうしよっか」
一度恋心を知られてしまったので、もう二度と同じ関係には戻れないだろう。だったら、いっそ一度告白して関係をリセットするのも――
「…………ん?」
違和感を、感じた。
記憶が無い内に抱きかかえていたモノを、私はベットの掛け布団だと勝手に判断していたが――それにしては、少しゴワゴワしている。サイズもかなり小さいし――
「――え?」
目を疑った。何故なら、私が抱きかかえていたのは――太一のズボンであったからだ。
へ? なんで? 疑問が脳内で飛び交う。
つまり、
私は――脱衣所に行った際に、太一の服を盗んだ?
「……あははは………はは」
私はやけくそに笑う。暗闇で、同級生のズボンを盗んで抱きかかえる女。――これが私か。
だったらもう駄目じゃん。自分を制御できてなじゃん。恋を殺してやると誓ったけど、全然勝ててないじゃん。
もう――太一と一緒にいれない。
ここまで私は、腐っていたのか。
「……好き……」
私は、ズボンを強く抱きしめて。
呟く。
すると少しだけ心が安らいだ。
ほんのりと香る太一の匂いに癒されながら、私は再び呟く。
「好き。好き」
やっぱり、この思いは止められない。
私はどうしようもなく太一が好きで。
この思いは、誰にも負けない。
きっと、群青さんよりも。
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます