第7話 愛奪いの加々爪


 3

 白鹿と校門で出会ってからさらに数週間が経過した。

 数日前までは思わず散歩したくなるようなポカポカと心地よい暖かさだったのに、急に遠慮をしなくなった太陽がこれでもかと存在を主張し始めた。


 毎日の登下校ごときで汗をかくのがたまらなく鬱陶しい。太陽さんこの頑張りを冬とかに向けてくれよ。と理不尽な怒りを向ける程度には僕は夏が嫌いであった。


 この遠慮の知らなさ、遊びに来た友人がいきなり冷蔵庫を開ける図々しさに通じるものがある。「え、マジ? そんなことするの? ドン引きだわ」みたいな。暗黙のルールに土足で踏み込むみたいな。



 つまり暑いのだ。

 夏がやって来るのだ。



 * * * * *



 放課後になった。僕は花音と一緒に帰ろうと廊下を出るのだが……。

 ――視線を感じる。それも一つじゃない。他人の目をそれほど気にしない僕でも、尋常じゃないほどの熱量でみられるとやはり気になってしまう。


 視線は踵からうなじにかけて満遍なくじっとりと舐めまわすように。やや不快だけど、敵意ではないような気がする。ただの主観だけど。


 だから別に、主を探し出して問い詰めようとまでは思わない。ただ、どうすればいいか困惑しているといった感じである。


「やほー太一君」

「……うん?」


 花音のいる教室に入ろうとドアに手をかけた瞬間、背後から声が聞こえたので振り向くと――そこには同じクラスの加々爪愛かがづめあいがいた。


 上目遣いで両手を後ろに回し、グイっと顔を近づける。少し動くだけで制服の上からも分かるたわわな胸が揺れ動く。悲しいかな、思春期真っ只中である僕はその二つの果実につい視線を奪われてしまう。脳に焼き付けんと目をカッと見開く。


「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇ。太一君太一君太一君太一君」

「……なに?」

「えへへー。呼んでみただけ―」

「………………」


 ニヤーと口角を釣り上げて、人懐っこい笑みを浮かべる。何が楽しいのだろうかと呆れる反面、彼女の笑顔に癒される自分がいた。


 加々爪はまるで犬のようだ、と誰かが言った。なるほどくねくねと左右に揺れながら満面の笑みを彼女は、どこか犬っぽい。だとすると楓は確実に猫だろうなぁ――猫耳をつけた楓を想像してニヤけそうになる顔をぐっと堪える。


 彼女は僕のクラスで良くも悪くも一番知名度が高い。同じ学年で彼女の名を知らない人はいないと思う。


 アメリカと日本のハーフらしく、野菜ばっか喰って胴長の日本人など鼻息一つで吹き飛ばせそうな、飛びぬけたスタイルと美貌を兼ね備えていた。色素の薄い金色の髪も白鹿と同じくかなり目立つ。違うのは加々爪は自分に価値があると自覚していて、自信に満ち溢れていることであろうか。


 性格は極めて明るく、誰とでも仲良くできるタイプだ。人の心の懐に入るのが異常に上手く、異性と関わりが少ない男子なら「もしかして、俺のこと好きなのか?」と勘違いしてしまうこと間違いなし。全く、罪な人である。


 しかし加々爪は、知名度はあれど人気者という訳ではなかった。本人はあまり気にしている様子はないが、おそらく女子の大半を敵に回している。


『加々爪愛を潰す会(86)』という穏やかじゃないライングループができる程度には彼女は嫌われているらしい。ちなみに(86)はグループに入っている人の人数。およそ二クラスに相当する人数が加々爪を潰したいと考え、集っているらしい。マジ半端ない。


 嫌われる理由は明白であり、加々爪の異名を聞けば分かりやすい。


『愛奪いの加々爪』――彼女の異名である。

 名前の通り、加々爪愛は愛に生きている。

 恋する乙女は美しい――まぁ確かにそうかもしれない。

 恋は止められない――かもしれない。


 でも、だからと言って他人の彼氏を横取りしようとするのは――どうだかなぁと思う。


 加々爪は、付き合っている男子に限って恋をする。そして、他人のことなど一切考慮をナシで堂々とアタックする。戦法はシンプル。押す。押す。相手が折れるまで押す。


 そして、付き合ってる男子女子の関係が滅茶苦茶になって、彼氏が加々爪のことを好きになった辺りで――彼女は別の男子に恋をする。今年になってもう二度もクラスで起きた、悲劇であった。二度とも、あまり接点のない僕の耳に届く有名な事件だ。


 しかも恐ろしいことに、加々爪のロックオンした相手は一人の例外もなく彼女に恋に落ちてしまうらしい。『愛奪い』と知ってて対策を打ってもだ。


 最強のルックスを持ちつつも、恋のスペシャリストである加々爪。……おい、誰だ彼女が犬みたいって言ったやつ。犬は犬でも、野に放たれた大型犬じゃねぇか。怖ぇよ。


 そんな加々爪が――満面の笑みを浮かべて言う。





「ねぇ。もしよかったら――私と付き合わないかな?」





 大胆不敵に。堂々と。まっすぐに。その瞳には一切の罪悪感も遠慮もなかった。

 加々爪は――僕が付き合っているのは知っているだろう。


 だから、この発言はつまり、


 ――僕がロックオンされたことを意味する。

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