第2話 指切りげんまん
1
「――ち、――いちッ!――」
声が聞こえる。どっかの神様とは違い聞き覚えのある、不思議と安心する声だ。
「……うぅん……?」
目ヤニが固まって目が開かなかったので、眉を上げて強引に見開く。
――眩しい。僕は顔をしかめる。何も見えない。パチパチと瞬きをする。少しマシになった。
まだテレビの砂嵐みたいな視界で良好とは良い難かったけど、この眩しさが蛍光灯の眩しさだということと、僕が今病院で寝ていることだけは辛うじて理解できた。
顔を動かす。僕のベットのすぐ隣に微笑むナースと鼻を真っ赤にさせて泣きじゃくる幼馴染の姿があった。
「太一ぃぃぃぃぃい! よがったあああぁぁぁぁぁ!!」
そう言って、花音は滝のような涙を流した。しゃくりあげながら、ずずずずずと何度も鼻をすする。花音は昔から泣き虫であったが、これほどまでに号泣した姿は見たことがなかった。
――ふと、気付く。僕のベットの隣に、市販の板チョコが大量に置いてあった。ピラミッド型に積み上げられた板チョコのてっぺんで、道端でもぎ取ったとしか思えないタンポポが一本だけ寝っ転がっていた。
それを見て、僕は謎ピラミッドを作り上げた犯人の顔を思い浮かべて、ふっ笑みがこぼれた。
トラックに轢かれた僕であったが――奇跡的にほとんど無傷であったらしい。
「こんなラッキーなこともあるんだねぇ。きっと日頃の行いが良かったからだよ」と医者は笑った。
よく覚えていないが、トラックのタイヤの隙間に入ったおかげで無傷だったと、その場に居合わせていた花音は説明してくれた。
怪我こそはなかったが、僕はショックで数日間意識を失っていたらしい。その間、幼馴染の花音は学校から帰るとずっと見舞いに来てくれたようだ。どうやら僕が意識を失っている間、かなり心配をさせたらしい。
申訳ないと思うと同時に、僕のことをそれほどまでに心配してくれた幼馴染の優しさが、純粋に嬉しい。
しかし――何かが引っかかる。治りかけのかさぶたみたいほっておけばいいのに、気になってしょうがない。
「どーしたの? 難しい顔して。らしくないねー」
家に帰る途中、隣で歩いていた幼馴染が僕の顔を覗きながら尋ねた。サイドの束ねた触覚みたいな髪がぴょこんと跳ねる
。
ちなみに特に外傷がなかったので、起きたその日に退院が認められたのだ。
「うーん……。実は変な夢を見てさ。まだ頭がこんがらがっているっていうか」
「ふーん。どんな夢?」
「神様と名乗る老人が、異世界転生を勧められる夢」
「そいつは、だいぶイッちゃってますねダンナ」
僕の夢の内容を聞いて、ケラケラと笑う花音。彼女の動作はいつもオーバーだから見てて愉快だ。一緒にいてると自分まで明るい気持ちになる。
「で? その神様にどー答えたの?」
「今の世界でいいので、生き返らして下さいって言った。なんか不満そうだったけど」
「あっはははははは! じゃあ夢じゃなくて本当の出来事だったかもしれないね。実際大きな怪我じゃなかったんだから、神様に感謝しなきゃ」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
善意で蘇生させてもらったというか、証拠隠ぺいのためのあの世追放だと思うので、どうも素直に感謝できない。神様の言動も加算したらもっと嫌だ。
そう――花音の言う通り現実離れした話だけど、本当のことと認めた方が辻褄が合うのだ。
目覚めたその日に退院できたのも、僕の体になんの外傷が無かったからだ。――あり得るだろうか? トラックに轢かれて擦り傷一つついていないなんて。ぶつかってはいないと仮定しても、頭の中の違和感をぬぐえない。
それに――あの時の痛みを僕は未だ鮮明に覚えていた。じゃあなんだろうか。その痛みすらも夢ということなのだろうか?
「まぁ……そうだな。とりあえず神様に感謝をしよう」
「うんうん。それがいいよー!」
花音はそう言うと歩きながらクルリと回転する。そしてニヘーとだらしない笑顔を浮かべ、手を持ち上げて掌をこちらに向けた。……ハイタッチだろうか?
「太一ッ! おかえり!」
「おう! ただいま!」
バチーン! 僕と花音の掌が激しく衝突した。「いてっ」「ててて……」ビリビリと衝撃が走る。予想以上に強い痛みに驚き、二人してその場で悶える。
「……そういえば、僕が寝ていた数日間で何か面白い事があったか?」
「あー、面白いことじゃないけど、君の彼女がいきなり倒れたよ」
「えッ!? マジで!? なんで? 怪我!? 風邪!?」
驚きすぎてずっこけそうになった。僕は目を見開き花音の両肩を強く揺さぶる。
「あがががががが。いてぇいてぇ。おちつけおちつけ。ただの貧血だって本人は言ってたって!」
「……そうなのか」僕は手を放す。花音は「バカップル! このバカップル! バーカバーカ!」と僕を罵った。
……うーん、アイツが貧血などで倒れるようなタマか? 絶対嘘だな。
「まぁ、詳しくは本人に聞いたらー? ……無茶苦茶怒っていると思うけど」
「……うん、僕もそれで会うのが憂鬱なんだよな……」
小さな虫程度なら眼力で殺せそうな彼女の三白眼を思い出し、身を震わせた。
* * * * *
帰り道は極力彼女の話題には極力触れず、僕が寝ていた数日間の話に耳を傾けた。
同じクラスの
数学の先生がアホみたいな量の宿題を出したこと。しかもそれの期限が明日で花音が死にそうなこと。
……僕の彼女が荒れに荒れていたこと。うわぁ……。
「じゃあね、また明日!」
曲がり角で、花音はブンブンと手を振る。彼女と僕は同じ町に住んでおり、この曲がり角を左に行った先に自宅はある。
「あ、そうだ!」
背を向けて歩きだした花音がそう呟き、振り向いてダッシュでこちらに駆け寄ってくる。手をギュッと握り、真剣なまなざして僕の目を見た。
「誓い」
「はい? どういうこと?」
「一つだけでいいので、誓って下さい。『何があっても自分の命を最優先に考えて、もうあんな無謀なことは絶対にしない』ってことを!」
「そんな大げさな」
「いいから、誓って。お願いだから」触れた花音の手は――かすかに震えていた。
「確かに子供を助けたことは凄いよ。かっこいいし、勇気ある行動だと思う。けど私にとって――太一は家族みたいな人だから、お願いだから自分を犠牲にしてまで頑張らないで。かっこ悪くてもいいから、今までと一緒にのんびりやろうよ」
「………………」
僕の行動は最良だったかもしれないけど、それは結果論に過ぎない。二人とも轢かれて死ぬ確率だって十分にあったし、勇気と釣り合ってない行動だったことは自覚している。
しかし、心のどこかで最良を選んだことに自画自賛していることは否定できなかった。我ながらうまくやったな――と。
だがそんな自惚れた感情も、花音の切実なお願いで吹き飛んだ。
僕は――本気で心配する花音や心を大きく乱した彼女の気持ちはまるで考えていなかった。逆の立場になって考えるとよくわかる。花音が僕みたいな無茶をしたら、同じように僕は止めるだろう。
「……ごめん。申し訳ないと思う」
「もうあんなことしない? 無理しない? 約束できる?」
「約束できる」
「うん! 分かった。――じゃ、指切りね!」
花音は小指を僕に差し出したので、僕はそれを同じく小指でとる。
「指ーきりーげんまん、嘘ついたらー彼女と別れて私と付き合ってくれるー」
「ちょっ! いきなり何言いだすんだよ!」
「嘘つくの?」
「……いえ、つ、つきません……」
「じゃあ、決まり! 指切った!」
「お、おい……」
「じゃあね! 約束は絶対だよ!」
「…………」
花音は強引に指切りを締めると、にへら~とだらしない笑顔を浮かべてスキップをしながら帰ったのだった。
冗談だよね……?
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