起
第1話:次世代型宅配治療サービス
昔から行動力だけはあった。
死ぬと決めたらさっさと死のう。
涙の枯れ果てたあたしは、心も枯れ果ててしまったらしい。壊れてしまった心の先には、おかしな決意があった。
「なるべく楽にさよならしたい」
最近はネットで何でも調べられる。偉人の歴史から精密機械の構造、遠い国の街並みや明日の天気――自殺の仕方まで。
しかしどうやら楽をするためには、それなりに道具をそろえないといけないらしい。つまり外へ出て買い物をしなければいけないようだ。
「死ぬために買い物だなんて」
はは、と乾いた笑いが漏れる。
「ばかばかしい……」
でも苦しいのはいやだし、他人に迷惑のかかる死に方はしたくない。これが終活だとあきらめることにする。幸いもうおしゃれの必要もないので、あたしは適当な服を着てポーチを肩にかける。しかし、ドアノブに手をかけたその瞬間、ピンポーン、と玄関の呼び鈴が鳴った。
「――!」
宅配便かなにかだろうか。しかし何か頼んだ覚えなんてない。そんなことをする気力があるならあたしは家から出ようとしていない。道具は通販でそろえればいいじゃないかといまさらながら思いつくが、それでも届くまでの時間、ずっとこの辛い思いを抱えていなきゃいけないと思うと耐えられない。
大学の友達ではないだろう。しばらく学校に来なくなったからといって、心配してわざわざ家まで訪ねてくるようなおせっかいな友人は大学生になってからはなかなかできない。誰しも自分の事で精いっぱいなのだ。他人に気を配る余裕のある人間なんてそうたくさんいるものではない。あたしだって唯一自分の事の様に想えるのが彼で、彼にとってはそれがあたしのはずだったけど。それがなくなった今、あたしを心配して訪ねてくる人間なんていないはずだ。
なんにせよ今人と会う気力はない。居留守を使うしかないか。
「くそ……早く済ませたいのに」
なんでこううまくいかないかな……。水気が抜けてカラカラに乾燥したはずの砂からなお水を絞りだそうとするように、心がギシギシとすりつぶされる。あたしは胸元をぐっと押さえてこらえる。
再びチャイムが鳴る。
「……」
三度目。
チャイムが鳴るたびにあたしの心がぎゅっと押しつぶされ、徐々に苛立ちのような感情が生じる。あたしは頭をぼりぼりと掻いてその感情を紛らわせようとしたが、こらえきれずに壁にもたれ、そのまま玄関に座り込んで耳をふさいだ。
なんで、どうして。うまくいってたはずなのに。あたしと彼の間には何の隔たりもなくて、どんな障害が立ちふさがっても二人でなら乗り越えられるって。あたしだけだったの。あれほどの想いが、あれほどの愛が。
ピンポーン。
チャイムが鳴るたび、もう何百回と繰り返した不毛な思考が。
ピンポーン。
ぐるぐるぐるぐる、頭の中をめぐり廻って。
ピンポーン。
耳をふさいでも、目をつむっても、幸せな情景が離れてくれなくて。
…………。
……………………。
……行った?
ピンポーンピンポーンピンポンピンポンピンポンピンポーンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンピンピンピンピンポンピンポンピ
「うるせえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」
耐えきれずに扉を開けた。
開けてしまった。
「あ、やっと開けてくれましたね」
そこには。
「どうもー! 私、次世代型宅配治療サービス『デリバリーヘルスケア療養士』略してデリヘルのクロです! よろしくね!」
バカでかい声でぶっ飛んだことを言い放った巨乳のお姉さんがいた。
ただでさえ失恋のショックでいっぱいいっぱいだというのに。
人は許容範囲を超えた出来事が起きると思考が停止するものだと実感した瞬間だった。
あたまがまっしろになった。
「え、ちょっ」
とりあえず扉を閉めた。
『ちょ、ちょっとぉ!』
なんだ、今のは。
とりあえず落ち着けあたし。落ち着いてものごとを整理しよう。
自殺の道具を買いに行こうとしたらピンポン連打にあったので我慢しきれず玄関の扉を開けたら巨乳のお姉さんがいた。
……はぁ?
意味が分からない。
理解できない。
冷静になって考えたところで、わからないものはわからない。
こういうときは寝よう。考えがまとまらない時は寝てしまうというのがあたしの常だった。
『こらーっ! 私はほったらかしですか!?』
玄関先で騒がれるのは……とか思ったが、それよりも精神的疲労の方が勝った。幸い許容量を超えたアタマは様々な負の感情も一時的に吹き飛ばしてしまったらしい。先ほどまで世界から脱したいと思っていたのに、今はただ目前の理解不能なものから目をそらしたい。
寝よう。そして全てを忘れてしまおう。
『もーっ! 明日も来ますからね! あなたが幸せになるまで、ずっとですよ!』
ああ、願わくば。
願わくば、全てが夢であったなら……。
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