23話:死なばもろとも

「はぁ……はぁ……、さて」


 ひとしきりぎゃあぎゃあとのたうち回って、ようやく足のしびれがおさまった様子のクロが切り出す。「なにを……他人事の様に……」とクロが白い眼を向けて来るが……やだなあ、あたしは別につっついたり揉んだりしてないもーん。


「早速ですが、作戦を立てましょうか」

「作戦?」

「ええ。もちろん元彼のトラウマを克服する作戦です」


 その彼という言い方がすでにあたしの中でトラウマみたいなものなんだけど……とりあえずそこはもう認めよう。そうでないといつまでもこれを克服することはできないだろうから。


「とはいえ、ほんとに早速ね……。ついさっき、彼を見ただけでぶっ倒れたあたしのメンタルなめちゃいけないわよ。卵豆腐並みよ、卵豆腐」

「それはよっぽど強度に欠けますね……。しかしですね、鉄は熱いうちに打て、とも言いますし」

「それこういうときに使うものなの……?」

「ええい、細かいことはいいんですよ。言いたいことは一緒なんですから」

 するとどこからか紙とペンを取り出した。


「というかですね? ぶっちゃけますと、こういうのは慣れるしかないと思うんですよね」

「でもさ」

「わかってます。一目見ただけでぶっ倒れたのだから、慣れるなんて無理だって言うんでしょう」


 そうだ。いくら頑張ろうという気持ちがあっても、こればっかりは生理現象みたいなもので、あたしにはどうしようもない。だからってこのままにしていても、彼を目撃するたびぶっ倒れていたんじゃおちおち大学へも行けない。とするとやっぱり慣れるしかないのかな……。


 でもそれってつまり、何度も彼を見なきゃいけないってことだよね。新しい彼女と、幸せそうにしている彼を。あたしの隣にいない彼を。何度も何度も、この目に焼き付けないといけないってこと――よね。


 それは。それは……。


 あたしの不安な心を悟ったのか、クロはコホン、と咳ばらいをし、


「あまったれるなぁ!」

「えええー!」


 どこからともなく取りだした竹刀でパァン! と床を引っぱたいた。驚きすぎて声も出ないとはよく言うけど、その域を越えて驚くと素っ頓狂な声が出た。


「今日の出来事は確かに早計だったかもしれません。その点は私も反省しています。しかし、しかしですよ! たとえば今日大学へ行かなかったとして、あるいは彼氏さんに出くわさなかったとして、何か変わったでしょうか? 時間が解決してくれる要素は多少あるかもしれません。ですが、きっとあなたの心の傷はふさがることはないでしょう」


「……」


 クロの言う通りだ。たとえこのまま彼を一切思い出さないようにして、彼と絶対に遭わないように生きたとしても、それは何の解決でもない。痛みは忘れられるだろう。傷は見えなくなるだろう。


 しかしそれは、忘れただけ、見えなくなっただけだ。治ったわけではない。いつまでもぐじゅぐじゅと化膿し続ける傷口をごまかしながら生きていって、はたしてそれは幸せと言えるのだろうか?


「それに、表面上取り繕って、傷をごまかして過ごしていっても、いつどういうきっかけでその傷口が開くかわかりません。そんな状態であなたを放り出すのは私の職務怠慢というものです」


 最終的にクロの責任問題に発展しているが、言いたいことはわかっている。


「つまりですね? 結局あなたは」


「乗り越えるしかない」


「……そういうことです」

 あたしが口を挟んだことで、少し語気を弱めて頷くクロ。


「わかってる。わかってるわよ。乗り越えなきゃいけないなんて、そんなことわかってる。でも」

「どうしたらいいかわからない、ですよね。……ですから、そのための作戦会議ですよ」

「……」


 クロがやけに得意げなので、大丈夫かな……とちょっと心配になる。あたしの心が不安定な時は安心して身を任せられる彼女の包容力だが、こういう時は「なんでもばっちこい」みたいな大雑把な危険思考に感じる。


「……今『こいつで本当に大丈夫か?』とか思ったでしょ」

「わかってるならなんとかしてよ。不安や疑問を感じさせないように言葉巧みに人間をその気にさせるのが悪魔ってもんでしょ」

「はいはい、わかってますよ。じゃあ始めましょう。端的に言うとですね……」


 そこでクロは持っていた竹刀を放り投げ、先ほどの紙にペンで大きく何かを書く。


「どぅるるるるるるるるる――」


 セルフドラムロールなんて使ってもったいつけだすクロ。それにしてもへたくそである。まったく関係ない所であたしの不安が増していることをクロは知らない。


「――どん! 名付けて『あんな男こっちから願い下げよ!』作戦です!」

「……はぁ?」


 ああ、だめだこれ。作戦名からしてだめなやつだ。とりあえずこいつのネーミングセンスはだめだ。


「ふっふっふ……私が説明しましょう! いいですか、耳かっぽじってよく聞いてくださいね?」


 あんた以外に説明できる人はいないわけだけど。クロはコホン、と咳ばらいをして言葉をつづける。


「作戦はこうです! これから毎日彼のことを観察し続けます。最初は苦しいかもしれません。つらいかもしれません。でもそのうちきっと『こんなやつとこれ以上付き合わなくてよかった』と思うようになるでしょう。そしてそのタイミングで彼に直接言ってやるのです。『お前なんかあたしのほうから願い下げよ!』ってね」

「はぁ……」


 ひどく無茶な作戦という感じがするのはあたしだけだろうか。そんなにうまくいくものだろうか……。


「今、そんなにうまくいくのか? とか思いましたね」

「わかってるならこんな不安な案出さないでよ」


 簡単に言うとこの作戦って、あたしが彼の事を嫌いになるまで突撃を繰り返しぶっ倒れ続けるってことじゃないの? 死なばもろとも――みたいな強引さがあたしの不安をあおりに煽ってくる。実に不安だ……。


「ごもっともなんですけど、でもぶっちゃけこのくらいの荒療治じゃないとあなた、無理でしょう?」


「うーん」


 確かにそうかもしれないけど、荒療治だからって毎回あれだけ苦しい思いをしてぶっ倒れるのはちょっと嫌なんだけど……。


「大丈夫ですよ。私がそばにいてあげますから」

「――まったく」


 なんでこんな時に限ってそんなかっこいいこと言うのよ、あんた。


「惚れました?」

「ばーか」


 よーし、頑張ってみるか!

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