24話:マッチポンプの世界平和

 作戦のことはあれど、クロは大学をかなり楽しんでいるようだった。あたしの受ける授業についてきて、こっそり聴講を続けていた。


 どういうしかけなのかは知らないが、クロが先生や生徒に気にされることはなかった。無視されているとかいうふうではなく、そこにいることがあまりにも自然すぎて認識されていない、といった感じだった。普通こんな巨乳がいたら注目の的になるはずなのに、特にじろじろ見られたりすることはなかった。


「……」


 また、驚いたことに、クロは授業の内容を割と理解して聞いているようだった。アホっぽい普段の言動とは裏腹に。時々小声で聞いてくる質問も『どこがわからないのかわからない』というものではなく『ここはこうこうこういう意味だと解釈したのだけど、それで合っているか』というような、一段階上の理解を示していた。まったく、得体のしれない存在である。


 授業終了の鐘がなり、あたしたちも他の学生とともに教室を出ていく。


「あー疲れた」

「いやーあの先生、なかなかやり手ですねー。さらっと興味深いことを入れてくるあたり、大学の先生とは思えないですよ。いやむしろ大学の先生だからなのか」

「え、そんな面白いこと言ってた?」


 可もなく不可もなく、いい意味でも悪い意味でも普通の講義だったと思ったんだけど。


「明言はしていませんでしたが、本質に気づけば理解がぐんと進むようなことでした。わかる人にわかればいい、という感じで」

「ふーん」


 今までずいぶん馬鹿にしてきたけど、やっぱりクロってすごい頭が切れるんじゃないのか。年齢もさることながら、こいつの頭脳に関しても謎が深まるばかりだ。


「あんたそんな賢いんならもっといい作戦を立ててよ」

「うっ……け、研究はトライアンドエラー……」

「またそれ?」

 やっぱりアホなのか? わからん。


 外を出歩くと不意に彼と出くわしてしまう可能性が高いので、文系地区の学食でクロの作ってくれたお弁当を食べる。


「まあとりあえず昨日の作戦でやってみましょう。……うまくいくかはわかりませんが」

「……心配だなあ」


 ここ数日の観察で彼の昼休みの居場所はわかっている。このクソ暑い中、毎日あの校舎裏で手作り弁当を食べているのだ。クロによると、その後も昼休みの時間ぎりぎりまで同じ場所にいるらしい。急ぐ必要はないので、落ち着いてゆっくりクロのお弁当を味わった後、例の場所まで移動する。


「では、ちょっと行ってまいります」

 ピッ、と敬礼した後、さっさと彼と女のもとへ歩いていく。


「大丈夫かな……」

 本当は彼と横入り女が仲睦まじくしているのなんて見たくもないし、クロに任せて隠れていればいいんだけど、つい気になって陰から観察してしまう。


「こんにちはー! お二人さん、少しお話良いですか?」


 魔法だかなんだか知らないが、唐突に現れたクロのことを彼らはまったく怪しんでいないようだ。すぐにあれこれ話を始める。何を話しているかは良く聞こえないが、彼と泥棒猫が仲睦まじく座っているのを見るだけで死にそうになる。というか八つ裂きにしてやりたい。


 というか、初めて横槍女の姿をきちんと見た気がする。整った目鼻立ち、つややかな黒髪、白魚のような細い指、スレンダーな体にすらりと長い脚。超がつくほどの美人だ。さらに、箸の持ち方といった所作の一つ一つに至るまで気品があふれている。腹立たしい。


 しかし、これほど気品に満ちた美人だというのに存在感がない……というか人間味が欠けて見える。なんだろう、存在してはいけないものが見えているようなこの違和感は……。


 あたしが一人欝々としているうちに、オーバーなボディランゲージを多用した会話を終えたクロがすたこらと戻ってきた。


「あー……大丈夫ですか?」

「いいえまったく」

「ですよねー」


 こいつはいつも気楽でいいなあ。まあクロが明るく接してくれるからあたしの気持ちも暗く沈まなくて済んでいるわけだけど。


「それがですね。あまり気楽に構えていられないかもしれないんですよ」


 顔をあげると、いつもと打って変わって深刻そうな表情をしているクロの顔があった。


「……どうしたのよ」

「多少面倒なことがわかりまして……とりあえず家に帰ってから話しましょう」


 というわけで家。最近こればっかりな気がする。

 冷房をつけ、冷蔵庫から冷えた麦茶を取りだす。氷を入れたグラス二杯に注いで、テーブルの上に置く。ごくり、ごくりとお茶を飲むクロののど元に見とれているうちに、一息ついたクロが話し始めた。



「ええとですね。まずあの女はテンシです」



「はあ?」


 あまりに突拍子もないクロの発言に、ごうごうという冷房の動く音と、氷が融けていくぎゅるぎゅるという音色が狭い部屋の中に響き渡る錯覚に陥る。急に何を言いだすんだコイツ、暑さでおかしくなったのか。


 しかしクロはいたって真面目な顔をしている。理解は追いついてないけど、ここは一度聞くことにしよう。


「テンシというのはですね……まあその役割だけ見ると、一般に言われる『天使』というもののイメージであってます。不幸に陥っている人間を救い、世界を平和に導く存在」


 でも、とクロは言葉をつづける。


「しかしそのやり方は効率と結果しか考えていないのです。例えば貧しい人に使いきれないほどのお金をあげたとします。するとその人はどうなるでしょう。あふれんばかりの金を手にした人間は、よほどできた人間でない限りしまうでしょう。あるいは周りの人からねたまれたり、下手をすると奪い合いになるかもしれません」


 確かに、何もせず急に金持ちになったら大変だろう。宝くじが当たった途端親戚が増えるとかいうあれだ。


「そうなると今度は『争いが生まれるのは金があるからだ』として彼らから金を奪い取ります。――こうして世界は平和に保たれた、というわけです」

「なにそれ、そんなのマッチポンプじゃない」

 自分で火をつけて、自分で水をかけて消化する、自作自演。


「まあこれはわかりやすく例えただけですけど……要は人の感情とか心の成長とか、そういった過程を全部ふっ飛ばして、最短で結果のみを与えるシステム、それがテンシなのです」

「そしてあの女がテンシ、と」


 こくり、とうなずくクロ。


「あれは間違いなくそうです。何故か私には気づいていないようでしたけれど……。ともかくアレがいるということは、話が少し面倒になりますね……」


 うーん、と腕を組み何やら考えている。クロの考えていることはわからないけど……あたしは自分の中に生じた一つの疑問を口にする。


「あんたの言うテンシ? ってのがあの女だとして、じゃあそいつはあたしから彼を奪って何がしたいというの?」

「それなんですよね。そもそもテンシがこの世界で普通に暮らしているのがおかしいんですよ。本来アレは結果だけ与えて速やかに去るはず……」


 などとまた考え事を始めてしまうクロ。でもあたしが聞きたかったのはそういうことじゃなくて。


 ぐわん、ぐわんと耳鳴りがする。


「そのテンシが現れたってことは――そのテンシがあたしから彼を奪った、ってことは」


 つまりそれは、それはさぁ。


「彼にとって、ってことなんじゃないの……?」


 テンシは過程を飛ばして結果だけを効率的に求める。ということならば、あたしと彼を引き離すのが一番効率よく彼……彼とあたしあたしたちを幸せにする方法だったということになるんじゃないのか。


「待ってください、それは違います!」

「でも……でも……!」


 じゃああたしは、どうしようもないじゃないか。、するしかないじゃないか。


「彼を不幸にするような人生なら――」


「やめなさいっ!」


 パンッ! と両頬を叩かれる。


「……はひふんほほ」


「あなたの彼への思いというのはその程度のものなの!? たとえ彼と一緒にいることで二人が不幸になったとして、それでも彼と一緒にいることを選ぶくらい、彼を愛していたのではないの!?」


「でも……」

「でもじゃない!」


 突如人が変わったように語気を強めるクロ。あたしはテンシとやらや彼の話より、あたしの肩を揺さぶる彼女のその変貌に言葉を失ってしまう。


「そんなくだらないことを考えている間に、間に……」

「クロ……?」


 ぱたりと腕を降ろし、そのままクロは黙り込んでしまった。


「……」


 彼を不幸にするくらいなら、あたしは死ぬと言おうとした。


 しかし――クロが黙ってしまうのと同時に、あたしの頭も少し冷えた。そうして冷えた頭でもう一度考えると、確かにクロの言う通りかもしれない。たとえ沈みゆく泥船とわかっていても、崩れる運命の砂の城だとしても、それでもあたしは彼と一緒にいることを選ぶ。そのくらい、あたしは彼を愛している。



 愛しているからこそ、これほど悩み苦しんでいるのだ。



「そうか……」


 なら、答えははじめから決まっているじゃないか。


 ひりひりと、先ほど叩かれた頬が思い出したように熱を帯びる。それを感じた瞬間、あたしの中で何かが決壊した。



「――そうだね」



 そのつぶやきが聞こえてか、クロが我に返ったように言葉を放つ。


「だ、だめです、いけません! テンシの介入は人間の本質的にあってはならないことなのです! それを受け入れて、納得してしまうということは、すなわち人間のもつ非合理的な感情を――」


「違うよ、クロ」


「え――?」


 今までのあたしは、まだ全然壊れてなんかいなかった。おかしくなんていなかった。絶望はしていたし、実際に死のうとも考えた。でも、壊れてはいなかったんだ。もし本当に死を選んでいたとしても、それでも壊れてはいなかったと思う。


 クロが来てくれてからはなおさらだった。確かに彼に振られたという傷は癒えなかったかもしれない。それでも、たとえその傷を抱えながらだとしても、クロと一緒に新しい道を歩み始められたかもしれない。


 ――実際、あたしはそれでもいいと思いかけていたのだから。


 でも……でもさ。あたしが彼を不幸にするって何? だからあたしと彼を引き離したって? テンシってのがその名の通り天の使いだっていうのなら、それは事実なのかもしれない。テンシとやらには、あたしには及びつかない力でそういうことがわかるのかもしれない。


 ――で? だから何?


「クロの言う通りだよ。あたしが彼を不幸にするからって何? それがどうしたっていうの? どうしてそんなことを赤の他人に決められなきゃいけないの?」


「え、えっと」


「おかしいわよね。どうしてあの女がそんなこと決められるわけ? どこの誰かもわからない女に、彼を奪われる道理はないわ。彼の隣にいるのはあの女じゃなくてあたしのはずなのよ」


 先ほどとは逆にあたしの発言に困惑するクロ。でも、もはや彼女の様子などあたしの目には映っていない。あたしの目には、もはや何も映らない。



「あたし、テンシを殺すわ」



 自分が壊れていると自覚できる程度に、あたしは今壊れている。


「……え?」


「何よテンシって。誰よ。あたしの彼氏を奪っておいて、何をのうのうと彼と一緒にいるわけ? ふざけんじゃないわ。許せないよね。許せない。許せないわ。テンシって人間じゃないんでしょう? システムみたいなものって言ってたもんね。じゃあ殺してもいいよね。いや殺すというより壊すって言ったほうがいいのかな。ねえクロ。ねえ?」


「ちょ、あの」


 クロはずりずりと後ずさりをする。なんで? なんで離れるの、クロ?


「……ところでさ。クロはずいぶんいろんなことに詳しいよね。まさかと思うけど……仲間ってことはないよね?」

「ち、違います! むしろ私は彼女と敵対する……あ」


 それは都合がいい。


「じゃあ協力してくれるよね? あいつをぶっ殺すの」

「………………ぅ」

「ね? クロ?」



「ご、ごめんなさああああい!!!」



 その瞬間、あたしの視界と思考は真っ白に染め上げられた。

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