第5話:白と黒

 それからというもの、彼女――クロは毎日遊びに来た。

 いや、今までも毎日来ていたが、あたしが家に上げてからというもの、彼女は遠慮なく来るようになった。朝から晩まで。


「はい、できましたよー」

 クロがミートソースのスパゲッティ二人前を食卓に置く。もちろん冷凍ではなく、お湯でゆでるほうだ。ソースも市販のものではなく自分で作っている。横から覗いてみると、トマト缶をベースにミンチ肉やきざんだ玉ねぎやニンジンをごちゃごちゃしてつくっているようだった。スパゲッティはクロの作るお昼の定番料理のようだ。


「いただきまーす」

「いただきます」


 あいかわらず腹が立つくらい美味しい。あたしも一度作ってみたことはあるが、麺とソースがうまく絡まずくそ不味かったので二度と作るまいと思っていた。一方クロのはミートソースがきちんと麺に絡んでおり、当然冷凍のものにはない味の深みがある。


「あんたなんでこんな料理上手いの」

「修行の成果、ですかねぇ」


 うーんやっぱりスパゲッティはミートソースですよね、とくるくるとフォークで麺を巻いて美味しそうに頬張っている。自分で作ったものをこれほど美味しいそうに食べる人もなかなかいないだろう。でも前も自分で自分の料理のことほめちぎってたし、食べながら「今日の出来はイマイチだった……」などとしかめっつらされるよりよほど気分はいいかな。


 クロが毎日遊びに来るようになった、と言ったけど、半分はご飯をつくりに来てくれているようなものだ。一度家にあげてしまうと大変なことになるというあたしの勘は若干当たっていて、あたしが家にいれて以来、クロは勝手に家に入ってくるようになっていた。

 朝、トントントンという小気味いい音で目が覚めると、可愛いくまのエプロンをしたクロが朝食を作っていた。なにそのくまめっちゃ可愛い、いやまてそんなことより玄関の鍵はかかっていたはずなのに、と混乱していると、


『私の前ではそんなものないに等しいですよ』


 何でもないようにそう言っていた。今まで入ってこなかったのは、あたしが自分から扉を開けて家にあげるのを待っていたかららしい。なんてやつだ。いやらしい。


 朝はクロの料理の音で目が覚めて、朝食のあとはテレビを見たりゲームをしたりして、お昼を食べた後もそんな感じで過ごして、夜ご飯のあとは適当にまったりしてからクロを見送る。そんな感じの日々を送っていた。


「ふぅ。ごちそうさまでした。さあ、なにして遊びましょうか」


 クロが屈託なく笑いながらあたしに問いかける。あたしは食器を片しながら「そうねえ」と答えのない返事を返す。


 部屋の前に植わっている木は本格的な夏に向けて葉を茂らしている。じきにシャンシャンというクマゼミの鳴き声がなつを加速させるのだろう。進んでいく外の世界に対し、あたしの部屋は同じところをずっと繰り返し続けている。


「実は今日こんなのを持って来たんですよ」

 昼ご飯のあと、そういってクロが取り出したのは白と黒のコマで陣取りゲームをするアレオセロだった。しかもポケット版ではなく、四十センチ四方の正規(何が正規かわからないけど)のやつだ。あいかわらずどうやって持ってきたのかとか、どこから取り出したのかとか謎だったが、もはやこいつにそんな疑問を持つことが不毛なことだとあたしは悟っている。


「私これ強いですからね」

 いそいそと準備をするクロ。


「勝つ気満々じゃない……」

 心のケアをしにきたとか言ってたくせに、クロは一切負ける気がないらしい。こういうときって普通接待プレイとかするものじゃないのか。


「勝負事では手を抜きません」

 というわけで今日はオセロをやることになった。それにしたって、自分が得意とするもので勝負するかね。なんてひどいやつだ。


 クロが「絶対黒がいい」と駄々をこねたが、そもそも色とかどうでもいいので譲ってやる。

「ふふふ、真っ黒に染め上げてやりますよ」

「まったく悪魔のセリフみたいね」


 オセロなんていつぶりだろう。世代がばれるから言いたくはないけど、あたしの子供の頃はまだボードゲームのオセロだった。最近の子供はオセロも囲碁将棋も人生ゲームもみんなテレビゲームとしてやるらしい。時代は変わるなあ。


「そこですっ!」

「あんたなんで序盤からそんなにテンション高いのよ」

 オセロの序盤なんてほとんど作業でしょうに。派手に打つクロと対照的に、淡々と打つあたし。


「うわああ角取られたあ!」

 角を取った時点で真っ黒に染め上げることはできなくなったわけだが、彼女は自分自身が言ったことをすでに覚えていないらしい。


「……」

 パチ、パチとオセロのコマを打っていく。わあわあいいながらオセロを楽しんでいる対面の女を見る。


 やっぱり、どうも違和感があるんだよね……。


 違和感とは今この状況を指しているのではなく――もはやそれは違和感とかでなくただただおかしいのだが――目の前でオセロをもってうんうんうなっているクロに感じている。彼女の存在自体はぶっ飛びすぎていてむしろもう気にならないレベルだが、彼女の『中』と『外』の差というものがどうしても気になる。


 彼女とここのところ毎日遊んでいるわけだが、それは大学生によくある「買い物をする」「カラオケに行く」「特に何もせずだらだらする」とかいう意味での『遊ぶ』ではなく、まさに子供どうしが『遊んでいる』ようなことばかりしている。

 それに実際あたしの感覚としても、彼女の見た目(特にむかつく胸部)通りの同年代、あるいは年上と遊んでいるというよりもむしろ、年下の子と遊んでいるというほうがしっくりくる。

 

 最初の頃の年上っぽい雰囲気も今ではあまり感じられなくなっており、まるで大きい子供を扱っているようだ。


「……ねえ、あんたさ」

「なんですか今忙しいんです」

 コマを持ったまま真剣な表情で板をにらみつけているクロ。


「いや、打てる場所二つしかないじゃない……じゃなくて。あのさ、あんたって歳いくつ?」

「ええいここだ!」

「……ん」

 クロが気合を入れて打ち込んだ黒のコマを、一瞬で白に変えてやる。


「うわああやられたああ! ……で、なんですって?」

 後へ派手にすっころんで叫ぶ。叫んだことで気が済んだのか、急に起き上がって話を戻すクロ。


「いやだから、あんた何歳なの?」

「私ですか? 今年でじゅ……」

「……」

「……」


 あたしは『う』の口のまま固まっているクロと見つめあう。


「……マジ?」

「お、乙女に年齢を聞くだなんて、紳士失格ですよ!」

「いやあたしも女だし。紳士じゃないし」

 こいつ今十何歳って言おうとしなかったか? その見た目で? その胸で?


「あ、あなたはいくつなんですか⁉ 人に聞くならまず自分からでしょう!」

「え、あたし? 大学三年」

「あ、ずるい!」


 しかしそう言われるとなんとなくしっくりくる。そうか、これあれだ。年下のいとこと遊んでいる感覚だ。いや別に年下のいとこと遊んだことなんてないんだけど。なんかそんな感じだ。わかるでしょ。


「それも悪魔の呪いとかいうやつ?」

「あーまあそんなかんじですー。パチーン」

 もはや始めたころのテンションの高さはなく、コマの置き方もおざなりになっているクロ。実際、もう決着は見えている。


「途端にやる気なくなったねあんた」

「だってあなたがこんなに強いなんて予想外ですよー!」

 オセロの盤上はだいたい白で埋まっていた。


「あんたが弱すぎんのよ」

「いえ、そんなことはないはずです! 私はこれまでわりと負けなしだったんですよ!?」

「そう?」

「そうなんです!」


 よほど自分が負けると思っていなかったのか、もしくは負けたことが許せないのか、クロは頬を膨らませてぷんすかしている。


 ……実はオセロは昔から得意なゲームだ、ということは黙っておこう。面白いから。実の実を言うと、高校時代はこういうゲームを極めるような部活に入っていたことも黙っておこう。ちょっと恥ずかしいから。


「ぬぬぬぅ、つ、次こそは!」

「えーまたやんのー?」

「もちろん!」


 めんどくさいと思いつつも、クロが喚くので仕方なく何度かやったが、クロの負けが揺らぐことはなかった。もはやこっちが接待してやろうかと思ったけど、なんかそういうことすると余計にぷりぷりしそうなので(それはそれで面白いからやってもよかったのだけれど)普通に叩きのめしてやった。


「何故だ……何故勝てない……!」

 床を両手の拳でダンと叩き、大仰なセリフを吐くクロ。あんたはアニメか何かのキャラクターか。


「まあまあ。今日は調子が悪かったのよあんた。ね?」

 あたしは内心勝ち誇りつつ、口では慰めの言葉をかける。


「そんなはずは……私は今までほとんど……」

 クロはぶつぶつと何かつぶやきながらふらりと立ち上がる。


「あれ、帰るの?」

「今日はあなたに勝ちを譲ってあげましたが、明日からはこう簡単に行くとは思わないでください……」


 覇気のない捨て台詞を吐いて、クロは「それでは……」と部屋を出ていった。外を見ると、だんだん長く居座るようになってきた太陽も徐々に傾き始めている頃合いだった。


「あれだけ負けりゃさすがにショックだったか。でも本当に弱かったし……あれ」

 オセロ板の片づけをしていると、ふと気が付いた。


「あたしの今晩のご飯は……?」


 ――これはまさに、試合に勝って勝負に負けた、というやつでは。


「あたしのご飯は!?」


 あたしの叫びは、一人ぼっちの部屋にむなしく響くだけだった。

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