最終話:イマを告げる鳥はアスへ飛び立つ

 夏の日中は長い。つい数ヶ月前ならとっくに真っ暗になっているような時間でも、まだまだ暑い日差しがあたしたちを直撃する。真昼より傾いた太陽がより鋭角に乙女の肌をえぐってくる気がして、いやーお肌がーなどと普段気にしないことを叫んでみる。


「ともあれ。クロ、あんたは絶対に遠慮や気遣いで隠し事なんてしないこと。それが思いやりになってないことはもうわかったでしょ?」

「……わかってますよ。でも本当に危ないことには関わらせませんからね。もはやイレギュラーなことばかりで、何が危険かなんてわからなくなりつつありますけど」

「大丈夫大丈夫。守るものが多い方が強くなるって!」

「ああ、そういうところは私に丸投げなんですね……」


 いやだっていくら協力させろっていっても戦闘力皆無だしあたし。


「あ、いえ、別に役に立たないと言っているわけではありませんよ!」

「あーそうなんだーそー思ってたんだ―ひどーい」

「だから違いますって!」


 慌てて見当違いのフォローを入れてくるクロを適当にあしらう。そうだ、ちょっとを思いついたぞ。


「あー傷ついたー。あたしのガラスのハートが傷ついたわー」

 胸をおさえてよよよと泣くふりをする。


「あなたの心臓は毛が生えているので大丈夫です」

「あ、ひっどーい!」

 ため息をつくクロに、あたし頬を膨らます。


「今のは本当に傷ついたなー。これは償いが必要ですよ」

「やけに突っかかりますね。何が言いたいんですか?」


「……あー、えーっと」


 あれ、いざ言おうとするとなんか緊張するな……。



「……はぁ。買い出し、行きましょうか」



「え」

「え、じゃないですよ。一昨日の肉じゃがで食材尽きてるでしょう。作るには買い物してこないと」

 あまりの展開の速さについていけない。


「な、なんで」

「はぁ……わかりますよそれくらい。私はあなたを傷つけた。その償いに何か作れっていうんでしょ? あなたの思考なんて簡単に読めます。何を今更」

「いや、そうじゃなくて……」

 もちろんそれもあるけど、それよりなにか聞き捨てならないことを言っていた。


「なんで一昨日あたしが肉じゃが作ったこと知ってるの……?」


「……………………」

 クロがしまった、という顔をし、それはもう首がとれるかというくらい全力であたしから顔をそらす。


「あんた、もしかして」

「あ、アフターケアですよアフターケア! 自分の担当した対象がその後健全に生活できているか確認するのも私の仕事なんです!」


 つまりクロはあたしと感動の別れをしたあとも、彼と仲直りしたのも、あたしがクロを探していたのも、頑張って料理をするようになったのも、何かしらの方法で全部、見てたってこと?


「………………エッチ」


「なっ……!」

 クロが絶句する。


「クロのエッチ! いくらあたしが恋しいからって、勝手にあたしの生活のぞき見するなんて!」

「ししし仕方ないでしょう仕事なんですから!」


 クロがしどろもどろしているのを見るのは新鮮だ。あたしがクロに会いたいのに会えないと思っている間、クロはあたしのことを見ていたのだと思うと正直少しショックではある。けど、あたしを心配してのことだったのだろうから、からかう程度にしてあげよう。


「本当に仕事の範疇なの、それぇ?」

「そうです当然です! 決して寂しかったとかそういうわけではないのです!」

 どんどんぼろがでるなこいつ。面白い。


「んもー愛いやつめ!」

「ちょ、何するんですか!」


 後ろからぎゅっと抱き着いて頭をわしわしとなでる。クロがじたばたと抵抗するけど、嫌がっていないのは明らかだ。

 気のすむまでいじくってから、解放してあげる。


「はぁ……もう、こんなに髪の毛ぐちゃぐちゃにして……。早く買い物に行きますよ! まったく、あなたが作れっていうから作ろうとしているというのに……」

「いや、あたしまだ何にも言ってないんだけど」

「じゃあ作りません」

「え、やだやだ作って!」


 太陽もようやく地平の彼方に帰る気になったようで、西の空が段々と朱く染まりだす。あたしたちはその色に背中を押されながら、二人並んで家路を急ぐ。


「ところで、何を作ってほしいんですか」

「もちろん肉じゃが!」

「あなた何日続けて肉じゃが食べる気ですか……」

「悲しいことに、あんたの肉じゃがとあたしのそれは別の料理なのよ……」

 なぜかいつも、肉じゃがというより水炊きに近い何かが出来上がる。別に食べられないほどまずいわけではないけど……。


「水が多いんじゃないですか?」

「そう思って水を減らしてみたんだけど、今度はちょっとこげちゃって。なんていうかあのどろっと? とろっと? した感じにならないんだよね」

「ああそれ、たぶん砂糖入れてないからですよ。あのとろみは砂糖です」

「砂糖入れるの!?」

 なんだそれ、そんなの聞いてないよ。


「砂糖を入れると肉とかが柔らかくなるんですよ。煮魚作る時とかも使いますよね」

「……」

「……使うんですよ」

 お母さんごめん。もっとちゃんと料理を習っとくべきだった。


「まったく……今どきレシピなんていくらでも手に入るでしょうに」

「なんか苦手なんだよね。分量とか決められてるのって」

「どうせ同じものなんてできないんですから、参考程度に見ればいいんですよ。何度も作ってればだいたいわかってきます」

 それはできる人のセリフだと思うなぁ。


「まあこれからはクロに作ってもらえるし心配ないけどね!」

「え、何言ってるんですか」

「……だめですか」

「だめです。次の任務もありますし、以前の様にはお邪魔できませんよ」

 うーん、だめか。残念。


「……まあ作り方は教えてあげますから」


「ほんと!? 手取り足取り!?」

「なんだか緊張感ないですよねホント……。さっきも言いましたけど、かなり危険なことに首を突っ込んでいるんですよ? 別にあなたがたの協力を今更無碍にするつもりはないですが、だからこそ気を付けてほしいんです」


 そりゃあ、わかってるけどさ……。

 でもたぶん、今はあたしが危なくなることはないと思う。テンシが寄ってくるという不幸はまったく感じていないし、むしろテンシがうらやむほどあたしは幸せを感じているもの。


 ……それに、テンシはなんというか――納得、したような素振りで立ち去ったから、もう現れることはないだろうし。


「気を付けます気を付けます」

「もう。大丈夫なんでしょうか。なんというかあなたは――」

「あ、あのさ、クロ」

 なんだかお説教が始まりそうだったので、遮りついでにずっと気になっていたことを口にする。


「なんです」

「えっと、別に大したことじゃないんだけど……いい加減敬語やめない? 『』って呼ぶのも」

「え、あ、はぁ」

 唐突にそんなことを言われたからか、クロが変な返事を漏らす。


「いやまあ、そこそこ前から気にはなってたんだけどさ。クロの場合、別にそれが素ってわけじゃないんでしょ?」

「え、ええ。まあ」

 だって時々漏れてることあったもんね。彼女の想い人の話をしたときとか、あたしを止めようとしたときとか。


「だったらさ、普通に、対等に話してよ。もうあたしはあんたの任務対象じゃないんだし。そういう事務的な、寂しい関係じゃないんだしさ」

「えっと、それはそうですが……」

 クロの返事は煮え切らない。


「最近はずっとこの感じで人と接してきたので、今更戻すのは難しいというか、気恥ずかしいというか……」

「じゃあ、せめて呼び方だけでもさ」

「う、うーん」

 クロは眉をひそめ唇を結んで難しい顔をしている。そんなに難しく考えることかなぁ。


「他人行儀なのは嫌だよ」

「う、ううーん」

「わ、わかりましたよぅ。けど、あの……私、あまり人のことをお名前で呼んだことがないので、なんとお呼びすればよろしいのかわからなくて……」


 なんだ、そんなことか。



「それじゃあ、あたしのことは――」




 ――恋々狂想曲――




 彼女のために買ったあの時計は、今もあたしが持ったままだ。


 今更渡すのもなんだか気恥ずかしいっていうのもあったけど。


 止まった時計を握りしめている彼女は、こうしてあたしの隣を歩いている。


 今を伝える時計を持ったあたしが、彼女の隣を歩いていく。


 あたしが彼女に時刻いまを告げよう。過去に囚われている彼女のために、未来あすを告げる鳥になろう。彼女が今ここにいる、ここで生きているという標になろう。


 そう決意したから。


 あの時計は、あたしが持っておくことにした――。

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