33話:ここを私達の拠点とする
「実はこのお店のマスター、私の知り合いなんですよ。最近独立して自分の店を持ったんですけど、客が来ないというので様子を見に来たんです。アフターケアもばっちりのクロちゃんですからね」
ばつが悪そうな苦笑いをしながら、クロが頬を掻く。あたしは「とりあえず座ったらどうです」と言われるままにクロの隣の席につき「何飲みます?」と聞かれるままにレーコーを注文し、そのまま呆然としていた。
あまりに予想外の場所、予想外のタイミングで再開した彼女に驚きすぎて、何を言えばいいかまったくわからない。
「やっぱり店先にメニューくらいおくべきじゃないですか? 結構入りやすくなると思うんですけどね」
「いやあ、まあそうなんだろうけど、でもちょっと隠れ家的にしたいだろ?」
「じゃあお客さん少ない方がいいじゃないですか」
「でもそれだとやってけないんだよな」
「やっぱりあなた馬鹿ですね」
「違うな。これはロマンなんだよ」
「やっぱり馬鹿でしょう」
クロとマスターが軽口を言い合っている。店の雰囲気にそぐわないフランクな会話だが、あたしはそんなことをつっこんでいる余裕もない。
「あ、あの……なんで……?」
なにが『なんで』なのかあたしにもよくわからないが、何か聞かないとどうしようもない気がして、とりあえず疑問形を投げかけてみる。
「実は私の家、ここから結構近いんですよね。電車で一駅ぶんくらい。歩いてでも来れるくらいの距離なんです」
家……家? この子に家なんてあったのか。でもそうか、そりゃ家くらいあるか。まって、でもアクマでしょ? なんか魔界とか、そういうところから毎回出てきてるんじゃないの?
「いや、毎度毎度面倒でしょそういうの。まあ私の場合はちょっと特殊なのですが……任務をすべて達成するまではこっちの世界で暮らしてます。その方が何かと都合がいいですし。」
あたしのよくわからない『なんで』に、まさか彼女が「家が近所」という至極普通の答えを返してくるとは思わず、あたしはさらに混乱する。
「でも、制服」
「制服?」
そう、あの制服はこの近所のものじゃないはずだ。あたしの調べた限りでは、この付近の学校の制服にクロの着ていたものと一致するものはなかった。
「ああ、あれは学校の制服というより、アクマとしての正装というか、戦闘服というか、そんな感じなんです」
「せん、とうふく」
「戦う美少女戦士には、可愛い制服が必要でしょう?」
クロはストローをくわえ、ちゅーちゅーとコーヒーを飲んでいる。そういえば今日はいたって普通の服装だ。白の半そでトップスに、紺のハーフパンツ。少し日に焼けた細い手足が、あたしの心を揺らす。
あたしの視線に気が付いたのか、クロは申し訳なさそうな顔でつぶやく。
「ごめんね。あなたが選んでくれた服は、私の身体にはどうしても合わないから。でも、ちゃんととってあるんですよ? 私があの服を着れるまで成長したときのために」
私、まだまだ成長期ですし、と彼女は照れながら笑う。ああ、そうだ。クロの笑い方だ。あたしが知ってる、クロの笑顔だ。
「クロ」
「はい」
「クロ……」
その小さな手に自分の手を重ねる。実在を確かめるように。
「なんですか?」
照れ笑いをしつつも、重ねた手を優しく包み返してくれる。その何気ないしぐさで、あたしの感情が追いついてきた。
「クロ、クロ……!」
「ちょ、ちょっと!?」
突如溢れ出した感情は、とどめることができなかった。恥も外聞もなく、クロの胸に顔をうずめる。
「寂しかったよ! 恋しかったよ! 起こされてもいないのに朝目が覚めて、それであんたは部屋にいなくて! あたし、あたしぃ……!」
言いたいことはたくさんあるのに、まったくまとまらない。それでも、それでもこれだけは伝えたい。鼻声になりながらも、はじめに言わなければいけなかったことをようやく言うことができた。
「おがえりぃ、クロぉ!!」
クロはわんわん泣くあたしの頭を、黙って優しくなで続けてくれた。
*
「どうぞ。アイスコーヒーです。ミルクとシロップは?」
「ミルクだけで……」
「かしこまりました」
コースターの上にグラスが置かれる。あたしはハンカチを畳みなおしてかばんにしまい、ともに置かれたポッドからミルクを少しだけ入れ、ストローでくるくるとかき混ぜる。よく考えたら見ず知らずの人の前で、大声で泣いてしまった。あとから恥ずかしさが増してきて、あまりマスターの顔を見れない。
「それで、彼氏さんとはどうなんです?」
「順調だよ。とっても。愛は深まるばかりでこわいくらい」
「相変わらずですね……」
あはは、と笑うクロ。ああ、そうそう。あんたへの愛も絶賛深まり中よ。
「ほんとはね……ほんとは、絶対会わないつもりだったんですよ。今までも、任務達成後に対象と会うことは無いようにはしてきたのですが……あなたの場合は絶対に会ってはいけないと思っていました」
クロが髪をくるくるといじりながら寂しそうに笑う。
「いわば仕事上の、一期一会の関係。今まではそう思っていましたし、それでよかった。でも、あなたは違った。だって、あなたは私を愛していると言ったんですよ。この
彼女は「ごめんなさい」と謝った。
「本当は、あんなことになってはいけなかったんです。私の不用意な発言から、テンシを暴走させてしまった。守らねばならない対象を、危険にさらしてしまった。あなたは彼氏さんと、そして私のために、自分の命を使おうとした。……そんな人と私が一緒にいては、いつかあなたを殺してしまう日が来るかもしれない。そんなの――嫌だったんです」
彼女は頭を上げない。
「もちろん私が話したことは本当です。あなたと同じように、私は彼のために何でもすると決めた。だから何があろうとも私はとまりません。
今回現れたテンシはイレギュラーでしたが、まともに言葉が通じたぶんマシだったかもしれない。上位のテンシと争いになれば、今回以上に危ない状況になるでしょう。しかし私は、彼が目を覚ますためなら、たとえ血反吐を吐こうとも、四肢を砕こうとも、決して歩みを止めることはない。――でもそのために、私を愛すると言った親友が傷つくことは許さない」
だがその眼光は、揺らぐことのない確固たる信念を放つ。決して、揺らぐことはない。
「……くっだらないね」
でもさ、あんたの体は、あんたの心は、震えているじゃないか。
「なんですって……?」
「あのさあ。あんたそれ、自分だけが思いついたことだと考えてない? 自分だけに当てはまるものだとか思ってない? 傲慢よそんなもの」
彼女の決意を、決死の思いで固めたであろう意思を、決して揺らがないであろう信念を、傲慢と吐き捨てた。当然だ。それはまさしく、あたしが間違えたことなのだから。
「あんたの意思には、あんたの想いには、あんた以外の想いが含まれていないじゃない。あんたの信念には、あんた以外を信じる気持ちがないじゃない。そこに愛なんてないわ」
まったく何様のつもりだ、と内心自嘲しつつも言い切る。いいんだよ今のあたしは愛の伝道師なんだから。
「あたしにも手伝わせなさい」
「……!」
うつむいたままのクロの頭を手のひらでポンポンと叩き、触れたとたん指の間からすり抜けていってしまうような艶めかしい黒髪をなでおろす。
「私の話、聞いてましたか」
「あんたの声を聞き逃すわけないでしょ。そりゃああんたらの戦いの前ではあたしなんて足手まといでしかないんだろうけど、それはそれ。あたしにだって、何かできることはあるはず。というかこうしてもう一度出会えた以上、何かしないと気が済まないんだよ。あんたが一人戦っているのに何もしないなんて、そっちのほうが耐えられない」
いつまでも下を向くな。あんたは前へ進むんでしょう。
「親友なんでしょ? 何もできなくてもさ、そばで見届けさせてよ」
「――ぁ」
やっと目を合わせてくれた。涙は女の武器っていうけど、女同士でも効くとか聞いてない。あたしの方は関係なしに泣き過ぎて、なまくらになってそうだ。
ついさっきとは逆の立場でぼろぼろと泣くクロを慰めていると、この店の
「なんかさっきからすみません……」
「あーまあなんだ、他に客もいないし構わないよ」
ちょっと気まずそうに微笑んで、マスターは豆を挽きだす。あたしは出してもらったコーヒーにまだ手を付けていないことを思い出して、慌てて結露で濡れたグラスに手を伸ばした。
「お前、そんな大変なことをしてたんだな」
ミルのハンドルを回しながら、マスターが何かつぶやく。あたしは反射的に顔をあげるけど、それがあたしに向けられた言葉でないことにすぐ気づいた。
「俺の時はそんな派手なことはなかったけど、本当は裏で戦ってくれていたのか?」
クロはまだすんすんと鼻を鳴らしていたが、目元をゴシゴシとこすって首を横に振った。
「あなたのときはアプローチが早かったですし、回復も早かったのでテンシの介入は受けていません」
「本当か?」
「本当です」
「そうか。それは……よかった」
心の底から安堵した様子で、マスターはハンドルを回し続ける。
「まあしかし、その話を聞いてしまった以上、俺も協力をせざるをえないな」
「いや……」
「おいおい。今この嬢ちゃんに言われたこと忘れたのかよ。恩義なんかじゃない。困っている友達がいたら力になる。それだけだよ」
おお、マスターもなかなか言い切るね。
「そうそう。あんたは難しく考え過ぎなの。三人寄れば文殊の知恵っていうじゃない。抱えている問題が人より少しばかり大きいけど、だからこそ一人で抱えないであたしたちに相談してくれればいいの」
「お二人とも……」
大きな目の端に涙を浮かべて揺らしながら、クロがあたしたちの顔を交互に見る。だからダメだってそういうの心臓に悪いから。襲いたくなるでしょ。
「そ、そうだここを集合場所にしましょう! あたしたちの秘密基地!」
秘密基地ってなんだと思いつつ、動揺した心を誤魔化すように思いついたことを口に出す。
「秘密基地……なんかわくわくしますね!」
「ね、ね、いいよね!」
「お前ら勝手に……まあどうせ客なんていないしいいんだけどよ」
適当に言ったのだけど、思いのほか二人ともノリノリだった。
「もちろんこのお店の改善にも尽力いたしますよ、私は。そもそもそのために来ているのですから」
「あ、じゃああたしも手伝います。どうせもともと入り浸るつもりだったし」
味の感想は特に言わなかったけど、どう考えても店の売り方が悪いとしか思えないほどには美味しいものだった。雰囲気もあたし好みだし、家からも近いし。
「やりましたね。常連さんゲットですよ」
「お前含めて二人しかいないけどな……」
――このお店はあたしたちが支えないとまずい。
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