第17話:崩落

 授業が終わって、今度こそご飯を食べるために食堂へ行こうとする。と、


「さ、ご飯食べましょう」

 クロが懐からお弁当箱を取り出した。文字通り懐からだったが、もうそういうのは気にしないことにした。こいつドラえもんかとか思ったけど気にしないことにした。


「お弁当なんて、いつの間につくってたの?」

「そりゃああなた、決まっています。せっかく私が起こしてあげたというのに、あなたがグースカ二度寝をし出したので、その間にね」

「う……なんかごめん」

「いーえーお気になさらずー」


 ぐっ……そう言われる方が心にクる。


「いつもすみません。勘弁してください」

「なんですか急にへりくだって。気持ち悪いです」

 うええ、と舌を出して苦しそうにするクロ。気持ち悪いとはなんだ、失礼な。


「そ・れ・にぃ」

 クロは表情をコロッと変え、小悪魔的な含み笑いを浮かべる。


「すみません、じゃなくってぇ、ありがとう、がいいなぁ」


 口元に人差し指を添えて、小首をかしげる。うわ、なんてあざとい。少し汗ばんだ額に髪が張り付いて、それをかき分ける仕草がなんともいやらしい。ムラ――イラッとしたので、


「ありがとぉ♡」


 今までの人生で一回も出したことのないようなめっちゃ猫なで声で言ってやった。ハートも付けたぞ。もちろん、小首傾げ~人差し指を添えて~も忘れずに。ええ、自分でも気持ち悪いと思うけど。


「うっわ気持ち悪い」

「あ、あんた! とうとう素を出したわね!」

 初めて素を出したのが『うっわ気持ち悪い』ってどうなのよ!


「ええ~だって~気持ち悪いんですも~ん」

 クロは腰をくねくねしながら頬に手を当ててイヤンイヤンする。


「あんただって十分気持ち悪いのよ! 自分の外見考えなさいこの高身長おっぱいおばけ!」

「まぁまぁ。私はいいんですよ、私は。アクマが小悪魔的魅力を使うのは当然なのです」

「な……え……? な、なんか知らないけどキモイキモイ! セリフも仕草も気持ち悪い!」

「えっ、そ、そんなにですか……?」


 ふと、昼休みの往来でぎゃあぎゃあ言い合っていることに気が付く。慌てて周囲をうかがうが、特別あたしたちが目立っているということはないようだ。これもクロのしわざなのか……。いや、大学の昼なんてこんなものか。あたしが気にし過ぎなのかな。


「食堂、すごい混んでますね」

「毎日の事よ」

 毎日食堂が混んでいるというのは、設計ミスではなかろうか。新しいキャンパスの方も、余裕を持った設計をお願いしたい。頼むから。


「ちょっと暑いですけど、お天気はいいですし外で食べましょうか。いい感じの木陰とか、ベンチとかどこかにあるんでしょう?」

「どっかにあると思うけど……使ったことないからなあ」


 しばし捜索にあたる。広いとはいえもう三年目になるキャンパスだが、自分の使うところしか知らないものだ。


「……」


 クロの外で食べようという誘いには正直ほっとした。なんせ昼休みだ。だいたいの学生が食堂へ集まってくる。それはもちろん、例外なく彼も。これだけ多くの人がいるのだから、そこに混ざっていれば気づかれないような気もするが――というのは目に留まるものだ。


「あ、でも」

 そうか、別に文系地区の食堂で食べる分には問題ないのか。彼は理農食堂にいるはずだし。いつも向こうに行ってたから忘れていた。あたしのほっとした分を返せ。


 まあなんにせよ、外で食べるというのには賛成。街中にあるキャンパスとはいえ、大学構内というのは得てして木陰があるものだ。昔彼に聞いたけど、あれは緑化や環境サービスだけでなく授業や実習で使う資料にもなっているらしい。あ、いま全然関係ない話ねこれ。


 何だっけ。ああそう、だからいたるところに木陰はあるわけよ。普段は目につかないし入っても行かないんだけど、図書館の裏とか経済学部棟の横の噴水の周りなんかにはおあつらえ向きにベンチが置いてある。普通はそういうところで男女が愛をはぐくんでいたりするのだろうけど、うちの大学はそういうのがあんまり活発でないので、たばこを吸っている人か食堂があまり好きじゃない人か、あるいはやたらと身振り手振りが激しい(関西人ではない)人とかが座っているのをよく見かける。


 しかしこの時期だとその辺も暑そうだ。もう少し陰になっていて風通しの良いところ……。


「こっちの方とかどうですかね」

 クロの後ろについていく。ちょっと探検みたいで楽しい。


「ふふ」

 そういえば、高校の時もこうしていい感じの場所を探したっけ。あの時は校内でだ

ったけど。教室で二人ご飯を食べていると友達やクラスメイトからからかわれるもんだから、二人でゆっくりお昼を過ごせる場所を探したんだった。確かはじめは今みたいに、中庭にベンチを探しに行ったんだけど、そこはもう使われてて――。


「……」

 あたしも世間一般の漫画の彼女の様に彼氏のお弁当を作ろうとしたこともあったけど、ぶっちゃけ自分のためにご飯をつくれない人間が愛する彼氏とはいえ他人に料理を用意するなど土台無理な話だった。

 彼は彼で、他人に弁当を用意するという行為は労働であり対価を払わなければいけない、というちょっと固い考えを持っていたし、自分で稼いでいない子供が家のお金でヨソサマに弁当を提供するというのはどうなのか、と常々漫画を読みながら思っていたことなので、このことはなかったことにした。


 ――そういえば、彼は今お昼をどう過ごしているのだろうか。いつものように理農食堂?


「――」


 そうだ。そうだった。今、彼には『今の彼女』がいるんだった。『今の彼女』は同じ大学だと聞いている。昼休みはそいつと過ごしているだろう。そいつがどこの誰かは知らないし知りたくもないが、今まで通り理農食堂にいるかもしれないし、別の食堂かもしれない。もしかしたら『今の彼女』はあたしと違って料理が得意で、彼のためにお弁当を作っているのかもしれない。


「――はぁ」


 あたしたちみたいに、木陰のベンチでお弁当を食べようとしているかもしれない。


「ふぎゅ!」

 どっかの研究棟の角に差し掛かったところで、前を行くクロが突然歩みを止める。急に止まるもんだから、考え事をしていたあたしはクロの背中に思いっきり顔をぶつける。


「ちょっ――」

「あ、ご、ごめんなさい! こ、こっち行き止まりで――」

 クロがわたわたとあたしをもと来た方向へ押し返そうとする。けれど、彼女のはもう……遅かった。


「ぁ――」


 彼がいた。

 クロの後ろ、建物のむこう側に、彼がいた。


 つい数週間前の、あの日までの彼とはまったく変わらない。


「――っ」


 一瞬、何かが溢れ出しそうになる。


 けれど。


「……」

 彼の傍らには、女がいた。あの日も傍らにいた女。彼の『今の彼女』。

 仲睦まじそうに歩いていく。


 まるで――。


「あの」

「……あ、あ」


 まるで、あたしの事なんかすっかり忘れてしまったように。


 あたしなんていなかったかのように。


 笑って。


「だ、大丈夫ですか」

「う、あああ、あ」


 これを、耐えるの?


 これを、乗り越えなくちゃいけないの?


 これを忘れて、この先生きていくの?


 こんな……。



 こんな苦しいものを?



「う、ああああああああああああああああ!」


 限界だ。

 無理だ。


 そんなの不可能だ。


「ちょ、ちょっと!」

「ああああああ――――」


 崩れ落ちた。

 体も。

 心も。



 あたしの、すべてが。

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